第2話 やっと山荘にたどり着いた紅子ちゃん

 吊り橋の歩き方に慣れ、気持ちに余裕が出てきたので、青年を見上げた。


 非常に背の高い青年だ。紅子はかなり顎を持ち上げなければ彼の顔を見ることができない。

 銀縁のフレームの眼鏡、無地のTシャツ、肘までまくり上げられた本来は長袖とおぼしきシャツ、ヴィンテージでも何でもなさそうなデニムパンツ――一見文学青年といった雰囲気だ。しかし外に出ている腕は太くたくましい。

 年齢は、紅子の兄よりは若い気がする。


「――えっと。P2のひと、すよね」

「そうだよ」

「P2の、誰すか?」

「誰だと思う?」


 沈黙した紅子を、青年がまた笑った。


「そういうのは、全員が集合した時に、みんなで誰が誰か推理し合うのが楽しいんだと思うから、とっておいたら?」

「で……、でも。あんたは、あたしが紅だって、知ってるんすよね」

「むしろ、君を見て一目で紅ちゃんだと気づかないメンバーはいないと思うなぁ。その髪、校則違反じゃないのかな」


 思わず頭に手をやった。

 終業式の午後に張り切って染めたのだ。もともと色素が薄い毛に、その名も『ヴィヴィットレッド』の染料を入れたので、コスプレイヤーのウィッグのような赤い髪になっている。


「……だ。だって。夏休みですし」


 青年が口元に手をやり、肩を震わせた。紅子は一度奥歯を噛み締めたあと「どうせ笑うなら堂々と笑ってください!」と訴えた。


「紅ちゃんがバンギャだったとは思ってもみなかったけど」

「や、それは、別に。赤と黒が好きなんで、そんな感じの服ばっかり選んでたら、こんな、ゴスパンクっぽくなっちゃっただけで……音楽は、パンクとかロックとか、たまぁに戦闘曲に欲しいなーって思って動画サイト漁るくらいで……作業用BGMはエスニック系かクラシックで……」

「そうか、そうだよね。紅ちゃん、すっぴんみたいだしね。V系とかが好きだったら、きっともっと強烈なメイクで来るよね」


 どうも面白くないと思って外を向き、大自然を見て心をなごませようとした。


 途端、青年がまた余計なことを言った。


「それにしても――身長、いくつぐらい? そんな厚底ブーツでも、僕の肩までない、ということは、ブーツを脱いだら一五〇もな――」

「もうっ、喋らないでくださいっ!」

「ハイハイ、ごめんごめん」


 頭を撫でられた。あやしているつもりだろうか。この上ない屈辱だ。ここまで失礼な男が《P2》にいるとは思っていなかった。いまさらながらオフ会のリスクを噛み締める。


 いつの間にか吊り橋を渡り切っていた。

 別荘の正面に着いた。

 緑の屋根を見上げると、心が慰められた。

 自分はやっと、辿り着いた。達成感が込み上げた。


 板チョコを二枚横に並べたような、観音開きの扉の前に立つ。

 扉の向こう側には、夢のような時間が待っている――はずだ。


 まっすぐ扉に手を伸ばした。

 そんな紅子をたしなめるようにチャイムが鳴り響いた。

 眼鏡の青年がインターホンを押していた。

 そう言えば、今は個人所有の別荘であり、他人が自由に出入りできる施設ではなかった。

 また、顔が赤くなったのを感じた。


 間を置かず、扉が内側から開けられた。


 内側の取っ手をつかんで立っていたのは、紅子の兄より少し年上くらいの青年であった。カッターシャツにスラックスの、真面目そうな青年だ。背は高いが隣の眼鏡の青年ほどではない。


「ようこそ、いらっしゃいませ」


 もともと細い垂れ目をさらに細めて、青年が微笑む。


「《ぁゃ》こと綾乃あやのの兄で、慎悟しんごと申します。綾乃に頼まれて手伝いに来ました」

「手伝い……ですか」

「はい。古い建物ですし、泊りがけなら何かと入り用かな、と思ったので、引き受けたんですけど」

「オフ会の、というのは、あやさん――綾乃さんからお聞きになっている?」

「もちろんですよ」


 眼鏡の青年は何か引っ掛かるものを感じているようだ。先ほどまでのひょうひょうとした雰囲気を納めて、真剣そうな眼差しで慎悟を見ている。


「お邪魔にならないよう黒子に徹するつもりです、あまり気にしないでいただきたいんですが」

「はあ、そうですか、お疲れ様です」

「では、もう、皆さんお揃いですので。ご案内しますね」


 慎悟が一歩引き、指先を揃えて内を示した。まるで執事のようだ。


 眼鏡の青年が別荘の中に足を踏み入れた。紅子も彼の後ろに続いて床のカーペットを踏み締めた。


 扉を閉めてから、慎悟が小走りで二人の前に出た。「こちらです」と、本当に案内をするつもりで動いているらしい。


 慎悟に聞こえないよう、紅子は小声で一歩前を行く青年に話しかけた。


「あの。何か、おかしいことでもあるんすかね」


 青年もまた、声をひそめ、慎悟の背中を見たままこっそりと答えた。


「普通、オフ会って、親兄弟に言うかな。まあ、あやさんのお兄さんもまだ三十前の気がするから、こういうネット文化みたいなのに理解があるのかもしれないけど。ひとによっては、『ネットで知り合った人に会うなんて危ないだろ』って、オフ会そのものに反対するから」


 言われてから気づいた。

 紅子自身も兄にさんざん心配されたのだ。どうしても《P2》のメンバーに会いたかったので、逐一兄にLINEを送って安否確認をするということで許してもらったのだが、兄以外の家族には『高校の友達との旅行』と言って出てきた。


「それも、わざわざ同伴? と思うと、なんだかね」


 言い終わるか否かのところで、大きな扉の前に辿り着いた。赤い塗料の格子状の木枠に、上から下まで余すところなくガラスの窓がはめ込まれており、何となく明るい。


 「どうぞお入りください」と言い、慎悟が扉を開けた。

 紅子は元気良く「はいっ」と返事をした。

 眼鏡の青年は何も言わずに慎悟と紅子を見ていた。

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