第3話 死体とこんにちはする一同


 紅子は初めて二階に上がった。


 階段を上がると、階段の真正面に大きな部屋が二部屋、通路を挟んで右側に一回り小さな部屋が五部屋、並んでいた。


 右側の小部屋は、奥からシズカ、サエ、コーヘイ、セント、ムツミの、左側の大部屋は、奥がオサム、手前がカトーの部屋らしい。


 セントとサエが声をかけていく。


 シズカとコーヘイはすぐに出てきた。シズカは、化粧崩れのない綺麗な顔で気持ち良さそうに「よく寝た」と言った。

 コーヘイの方は疲れた顔をして「もうそんな時間かぁ」とぼやいた。


 最後、一番手前の部屋――カトーの部屋のドアをサエがノックした。


「すみませーん! もうお昼なので起きてくださーい!」


 いくら叩いても、いくら叫んでも、カトーの返事はない。

 セントは、冗談のつもりだったに違いない。


「生きてはりますかー」


 明るい表情のままのセントの一歩後ろで、ムツミが小さく呟いた。


「本気で、生きてるのかな」


 全員が一瞬黙った。


「いくら何でも、この状況で、起きない、というのは、ちょっと……、何かあったのか、疑ってしまうのですが」


 ムツミの隣で、オサムが「うーん」と唸った。


「殺されてたりして」


 シズカが一歩前に出て、ドアに耳をつけた。


「何の音もしないネ。動いている気配はない」


 サエが青ざめた顔で慎悟の方を振り向いた。


「マスターキーってあります?」

「あります、持ってきます」


 慎悟が階段を駆け下りていく。

 その間もサエがドアのノックと声掛けを続けるがやはり応答はない。


 鼓動が早くなっていく。


 慎悟はすぐに戻ってきた。その手にはプラスチックの棒が握られていた。先端には銀色の鍵がぶら下がっている。


 慎悟が階段を上がってすぐ、ムツミが慎悟から鍵を取り上げるように奪った。

 ドアの鍵穴に鍵を突っ込んだ。

 回した。


 言葉では言い表せないような酷い臭いが漂ってきた。


 鉄錆の臭い――

 血の臭いだ。


 ムツミの腕越しにおそるおそる部屋を覗いた。


 部屋の中、カーペット中が、血の海になっている。


 血の海の真ん中、ベッドとベッドの間に、人間の足が転がっていた。スウェットのハーフパンツをはいた足だった。


 ムツミやサエに続いて、全員が部屋の中に入った。入らなければという強迫観念に駆られて紅子も続いた。


 頭蓋骨を失うまで後頭部を破壊され、脳髄を床に撒き散らしているカトーが、血走った両目を見開いた状態で、横たわっていた。


 静かだった。誰も何も言わなかった。


 クラスメート数名とテーマパークに行った時のことを思い出した。絶叫マシンに乗った際、紅子は感情に流されるまま大声を上げたが、隣にいた友人には、余裕そうだったね、と言われた。いわく、本当に恐ろしい時、人間には声を発することすらできなくなるらしい。

 紅子は、今、声を上げることができない。


 目の前に、死体がある。

 それも、ほんの十数時間ほど前まで言葉を交わしていた、動いて喋っていた人間の、死体がある。


 眼球はわずかに飛び出しかかっていた。

 床に散らばるほのかに白い塊には、網状の赤いものが絡みついている。


 怖い――そして、気持ち悪い、と、思った。

 なのに、目を離すことすらできない。喉も、足も、目線さえ、紅子の自由にはならない。


 突然二の腕をつかまれた。強い力に痛みを感じて、紅子は初めて「いたっ」と小さな悲鳴を上げた。


「見ない方がいい」


 紅子の体を後ろに引いたのは、隣に立っていたムツミだった。


 ムツミの言葉に反応して、時が動き出した。

 紅子のすぐ後ろに立っていたコーヘイが、ムツミからバトンを受け取ったかのように自然な流れで紅子の両肩を抱えた。「紅ちゃんは外に出よう」と耳元で囁く。コーヘイの声や手も震えている。


 コーヘイと紅子を押しのけて代わりに入ってきたのは、オサムとシズカだ。

 シズカは眉間に皺を寄せ、「ずいぶんと派手にやったネ」と呟いた。


「撲殺? 何で殴ったらこうなるかな」


 オサムが「ちょっと失礼」と言いつつ、どこからともなくスマートフォンを取り出す。そして構える。

 ややして、シャッター音がした。


「何をしてるんだよ」


 コーヘイが珍しく強気な声でオサムをたしなめた。オサムはなぜ叱られるのか分かっていないこどもの顔で「え」と首を傾げた。


「証拠写真」

「何の」

「誰かが触る前に今の状態を撮っておいた方がいい。第一発見時の状況、というやつだね。だって、」


 背筋を寒いものが駆け上がる。


「警察は、来ない。道路が復旧するまで」


 オサムがそこまで言った時だ。


 ようやくのことだった。


「――皆さん、動かないでください」


 口を開いたのは、サエだった。

 全員の視線がサエに集中した。


「私の指示なしに勝手に動かないでくださいっ」

「サエさん」

「けっ。警察です」


 真っ赤な顔をしたサエが、震える手で、自分のポケットをまさぐった。

 一同が唖然とした顔で見守る中、数十秒ほど経過した頃だろうか。サエのポケットから四角い何かが出てきた。

 黒地に金の旭日章きょくじつしょう、同じく、金色の三文字――『警視庁』と読めた。

 二つ折りになっていたのを開いた。そこに、警察官の制服を着て澄ました顔をしているサエの写真と、逆三角形をしている金色の徽章、『POLICE』の文字が納まっていた。

 サエが、震える声を一生懸命張り上げて、名乗った。


「警視庁サイバー犯罪対策課サイバー犯罪捜査官、武藤むとうさえ警部補です! 今からこの場は本官が取り仕切らせていただき――ちょっ、こらああああっ!」


 オサムがいろんな角度からカトーの遺体を撮り続ける。

 ムツミが机の上を漁って、「キーあり、スマホあり、煙草が一ケースあり、携帯灰皿ただし中は空、と」と指さし確認をする。


「警察が! ここに! いる! って! 言っているでしょう!? 勝手なことしないでくださいよっ」


 オサムとムツミがベッドサイドにしゃがみ込む。落ちていたドラムバッグの写真を撮ってから、チャックを開け、中身を確認する。


「着替えと、煙草がワンカートン」

「財布発見。中身が盗られている感じはないですね。カードもある」

「あ、これ、免許証。本名だ。『平野ひらの清正きよまさ』」

「『清正』だから『カトー』だったんですねぇ。これは、熊本県民と全国の歴史オタクの皆さんに喧嘩を売ってますねぇ」

「いい加減にしなさいッ!!」


 サエ――冴がオサムとムツミの襟の後ろ首をつかんだ。二人が引きずられるようにしてベッドの終わりまで下がった。


「あなたたち何なんですっ!? どうしてこんなこと――」

「逆に聞かせてもらうけど、君は何なのかな」


 オサムの問い掛けに、冴が喉を詰まらせた。無表情の美人に見下ろされている。怖そうだ。


「P2のメンバーに警察官なんていないはずだし、その警察手帳が本物なら、どうして昨日この別荘が陸の孤島になった時名乗り出なかったのかな」


 冴の方が縮こまり、「すみません……」と呟いた。


「じ、事情は後で話しますっ! とりあえず、ご遺体から離れて! 長野県警と連絡が取れるまで、この部屋は鍵をかけてこのままにしておきますっ!」


 ムツミが「『ガイシャ』って言わないんですね」と言ったら、冴が「刑事ドラマの見すぎです!」と怒鳴った。


「さあ、ほら! 出てください、皆さん、出て! もうっ!」


 自分よりも二回り以上大きなムツミの背中を押し、全員を部屋の外に出そうと一生懸命に試みる。一番大柄なムツミが動いたために、他の全員もところてん式に部屋の外へ押し出されていく。


「ストップ」


 シズカが、男性陣の脇の下を掻い潜って部屋の中へ戻った。冴が「ちょっと、勝手なことは――」と注意している途中で、机の上に放り出されていたリモコンを取る。


「このまま放っておいたら、腐るヨ」


 リモコンをエアコンへ向けた。そして、冷房の設定を一気に最低室温である十八℃まで下げた。

 シズカの行動に対しては、冴は怒らなかった。目を逸らしながら、「とにかく、すぐに出てくださいね」とだけ小声で言い、部屋を出た。

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