第4話 むつみお兄さんと紅子ちゃんin《ぁゃ》の部屋 4
「――ふむ。ありがとう」
手紙を読み終えると、むつみは、その太い指には似合わないほど丁寧な手つきで便箋を元の四つ折りに戻し、封筒の中に入れた。そして、静かに差し出した。
紅子は手紙を受け取り、胸へ押しつけるように手紙を抱き締めた。
「リセのことはだいたい予想どおりだ。僕とあやさんの見解は一致していた」
「リセが、ハッキングやクラッキングを繰り返して、膨大なデータを中国マフィアに流しているらしい、というところまではOKかな」と問い掛けられた。本音を言えばそれも信じがたかったが、冴、綾乃、そしてむつみの三人が口を揃えて言うのだ、仕方がない。
「にしても、結構知らないことが書いてあった」
むつみが右手で顎を掻く。
「質問してもいい?」
「はいっ」
「紅ちゃんがもし知っていたら教えてほしいことが二つ、どうしても紅ちゃんに教えてもらいたいことが二つ、それからおまけに紅ちゃんに言いたいことが一つ」
最後に何を言う気なのか分からず緊張しながらも、紅子は素直に「はい」と頷いた。
「もし知っていたら教えてほしいこと一つ目。あやさんとロキの間で何があったのか知ってる? これ、あやさん、相当ロキのことを嫌っていたみたいだけど。ロキ、あやさんに何かしたのかな」
指摘されてから、気がついた。
「僕からすると、あやさんとロキの組み合わせってかなり異色なんだよね。P2に入った時期が近いとか?」
「や、ロキは二年以上いて、初期メンバーの三人の次に古いんすよ。ロキの後に一年ちょっと間が開いて、ハルが入って、あやが入って、あたし、ノン、の順番だったはずっす」
なぜかむつみが「『ハル』ね。まあいいか」と呟いた。紅子はむつみにとって何が引っ掛かっていて何がいいのか気にかかったが、むつみはそんな紅子に気づいていないらしく一人で「あやさんとロキ、何なんだ」と悩み続けている。
「あまりあれこれ勝手な人物評はしたくないんだけど――あくまで僕から見た印象の話で、紅ちゃんはあまり深く気にせずに聞いてほしいんだけど。ロキって、ちょっとヤンキーっぽいところがあるよね」
《P2》での《露輝》の発言を思い出す。
確かに、《露輝》はあまり行儀が良い人ではない。校則を遵守する紅子をからかい、ルールを無視してでも力ずくで物事を解決することを好む傾向があった。
ついでに、煙草を一日に二箱も吸うと言っていて、《KATE》や《ぁゃ》と三人がかりで健康に悪いからやめろと諭してうるさいと返された記憶がある。喫煙者を十把一絡げにするのはよくないが、健康を気遣う人々に対しての態度としてその返事はどうだろう。
「あやさんの方は――亡くなった方のことを悪く言うのは自分でも良くないとは思ってるんだけど――何て言うか。いじめられっ子のオーラ、すごかったね」
悔しいが、否定できなかった。実際、《ぁゃ》は中学生の時に酷いいじめを受けたらしく、学校という場所に否定的だった。専門学校を卒業してすぐ就職した会社でも同僚から嫌がらせを受け、中学時代のいじめのトラウマがフラッシュバックし、鬱病を発症した。
《ぁゃ》は劣等感の塊だ。事あるごとに自分を否定した。
《露輝》はそんな《ぁゃ》をからかった。暗いだの面倒臭いだのと吐き捨てることもあった。そんな場面に出くわすたび、紅子や《KATE》、《ニンファ》や《晴》、時にはあの《Lise》でさえ《露輝》を叱ったものだ。
「ロキがいじめっ子で、あやさんがいじめられっ子、の構図だと思うんだ。あの二人が二人だけで交流する、というのは、僕には想像がつかない」
紅子にも想像できなかった。
「あやさんが、ロキがすごく嫌い、というのは、分かる。けど、あのリセよりロキを危険視する、って。今までの情報を鑑みると、どう考えても社会的にはロキよりリセの方が危険人物だし、手紙の文面からしても、あやさんもリセがサイバー犯罪のプロだということには気づいていたはず。となると、あやさんとロキの間で、何か一対一のいざこざがあったんだとしか思えないんだけど」
紅子は素直に、「ノンに言われて気づきました」と答えた。
「確かに、あやは、ロキが嫌いでした。でも、何だろう……、あたしはそこまで深刻だとは思ってませんでした」
二人きりでのスカイプの様子を思い出す。
確かに《ぁゃ》は《露輝》の悪口を言っていた。けれど紅子はそれをそこまで深刻なものだとは思っていなかった。
あれだけ嫌っているのに、《ぁゃ》はむしろ《露輝》の話をしたがっていた節があるのだ。
「なんか、変なたとえっすけど。あやがロキの悪口を言うのって、中学の、真面目な女子が不良っぽい男子の文句を言ってるのと、同じ感覚だったんすよね」
むつみがきょとんとした目で、「どんな感覚?」と問うてくる。かつて男子中学生だったむつみには伝わらないようだ。紅子は具体例を探すために「えーっと」と唸った。
「なんかこう……、合唱発表会ってあったじゃないすか」
「あったね、そう言えば、そんなのも」
「その時、男子、絶対ちゃんと歌わないでしょ?」
「胸に刺さるね。黒歴史を思い出しちゃったね、当時学級委員だった女子に頭を下げに行きたいね」
「それそれ! あやの言うロキの悪口ってそういうのなんすよ! ちょっと男子、ちゃんとやってよ、みたいな! 心底嫌ってるとかそれこそ憎んでるとかそういうのじゃなくて、怒ってるんすよ。なんでこうしょうもないの、みたいな」
「なるほど」と、むつみが頷いた。
「じゃあ、紅ちゃんからしたら、あやさんがここまでロキのことを許さないって言ってるのは、ちょっとおかしいんだ」
「はい」
「ちなみに、最後にあやさんが紅ちゃんと二人きりでロキの話をしたのって、いつ?」
それも、むつみに問い掛けられてから気づいた。
「そう言えば、いつからだったかぱったり、あやからロキの話を聞かなくなったような。そもそも、梅雨になってからあやが病んじゃって、スカイプに上がってくる頻度が下がってて、二回くらいしか喋ってないんすけど……」
「その二回は、何の話をしてたのかな」
「んー、確か、一回はオフ会の話で、リセと三人で喋ってたんすよね。最後の一回は――」
《ぁゃ》の、追い詰められた、切羽詰まった、苦しそうな声を思い出した。
「ケイトの連絡先を知ってるか、って聞かれました」
《ぁゃ》は《KATE》と連絡を取りたがっていた。何かに悩んでいるようで、どうしても《KATE》と一対一で話して相談したいと言っていた。
紅子は少し傷ついた。《ぁゃ》と一番仲が良いのは自分だと思っていたので、紅子には話したくないと、《KATE》にだけ話したいと言っていたのが、ショックだったのだ。
「ケイトって、P2以外で連絡取れないんすよ」
「たぶんみんな」と付け足した紅子に、むつみから「他のSNSや個人のスマホではやり取りできないってこと?」と返ってくる。頷く。
「ツイッターもほとんどツイートしない上に通知切ってるらしいし、インスタもフェイスブックもやってないっぽかったし、LINEも嫌いだけど旦那さんとやり取りするために仕方なくやってて他の誰にも教えてないって言ってたんすよね。スカイプ――は、一応、IDを教えてくれたけど、事前にP2で約束をしないと上がってきてくれないし、字チャだけで、ボイチャしたことはないんす」
「徹底してるなぁ。まあ、リセとニンファの挟み撃ちに遭ってるみたいだったからある意味当然の自衛か」
むつみに、「と言うか、ネット上の知り合いとは本来はそんな感じでいいんだよ」と言われた。たしなめられたような気がして、紅子は唇を尖らせた。
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