第4話 真相を聞く紅子ちゃん 2
その言葉を口にした瞬間、慎悟が急に二十歳くらいは老けて見えるようになった。
「自殺、したんです――綾乃は。これまでの、すべてを、僕宛の遺書に書き遺して」
紅子もまた、その場に膝をついた。
綾乃は、自分が殺されることを予想して、万が一の時のために紅子へ手紙を書いたのではなかったのだ。自分がこれから死ぬ予定であることを念頭に置いて手紙を書いたのだ。
「綾乃の、遺書には。この半年間、P2で綾乃が何をやらされていたのか、それに気づいた綾乃がどういう行動を取ったのか、すべて書いてありました」
綾乃は、最初から、死ぬ気だったのだ。
「綾乃はリセという人物から大容量データを圧縮するためのソフトの作製を依頼されていました。圧縮もできるし、整理も簡単になる、プラットフォームとしても使えるようなソフトを作ってほしい、と。最初のうち、綾乃は、自分のスキルを活かして役に立てるのならと喜んで引き受けたようです。でも、メンバーが入れ替わった時に疑問をもったようで――いったい何に使う気なのかと疑い始めたようで」
その半年間には、《P2》にはすでに紅子もいた。
《ぁゃ》はそんなことなど一言も言わなかった。
「それを相談した相手が、ロキという人物と、ケイトさんという方の二人だったらしく――そのうちすぐに連絡がついて話を詳しく聞いてくれたのはロキという人物の方だったようです。それで、ロキは案外頼りになると――好感をもった、と」
恵人が顔を背けた。
「まさか――あやちゃんは、ロキとオフで会ったんですか」
恵人の問い掛けに、慎悟が頷いた。
慎悟の声もまた震えていたが、その震えは彼が隠そうともしない怒りのせいであって、強く恐ろしく聞こえる効果をもたらした。
「綾乃にとっては、何もかも初めてのことだったんです。ずっと、家から出ることもまれだった、友達もいなかった綾乃にとっては、男と一対一で会うなんて、初めてのことだったんですよ」
慎悟はあえて具体的な言葉を口にしなかった。
それにもかかわらず、理世が能天気な声で言ってしまった。
「あの二人、まさかアタシの知らないところでヤっちゃってたの?」
恵人が「そういうことは」とたしなめようとしたが、慎悟は否定しなかった。それどころか、それをきっかけに説明を爆発させた。
「綾乃は何も知らなかったのに! それをいいように使って、騙してホテルに連れていって、綾乃に作業内容を全部吐かせて、そのまま捨てていったって――綾乃が何をしていたのか知れたら満足だからって言って、そうでもなかったらお前みたいなブス相手にするわけないだろって言って、そう言って、あの男は帰っていったと」
《ぁゃ》が《露輝》の話をまったくしなくなったのは、その事件がきっかけだったのだ。
「綾乃は初めてだったのに……っ、それをそんな風にもてあそぶなんて」
紅子は、何にも、本当に何にも、知らなかったのだ。
「綾乃は僕に託したんです、
もはや狂気しか感じられなかった。
紅子からは遠い世界の話になっていた。
「その手紙に、ロキという奴だけは煙草を吸うから、客室から灰皿を全部撤去しておいてほしいと――そうすれば絶対に、灰皿をくれ、って言いに来る奴が出るから、と。そいつが確実にその男だから、懲らしめてほしい――そう、綾乃は締めくくっていました」
「そしてそれを最後に」と、慎悟が口元を押さえた。声色に初めて涙が滲んだ。
「警察が動くわけがないじゃないですか。綾乃は行儀良く、崖っぷちに靴を揃えて、その靴の下に僕と紅ちゃん宛の手紙をわざわざ雨に濡れないようビニール袋に入れてしまって置いて、川底に落ちたんですよ。誰がどう見たってあれは自殺ですよ……!」
「でもロキのせいでありリセのせいでありみんなのせいなんだ」と叫んだ。
「綾乃をそんな風に追い詰めたのはここにいるメンバーなんだ。綾乃を直接辱めたロキや綾乃を利用しようとしたリセは確実に殺そうと思ったけど、残りも同罪だと、二人を始末できたら順番にと――」
「そんな、なに無茶言いやるん……」
「天候だって僕と綾乃の味方だった。土砂災害注意報は毎日出てたし、吊り橋なんてどうせ誰も使わなくて錆びついてる、何にも大変じゃなかった、本当に、まったく、何にも」
「あの男は最期の時、なんでだ、どうしてだ、と繰り返してた」と慎悟は言った。あの男とはおそらく《露輝》のことだろう。殺害したその夜のことを言っているのだろう。
「分からないのが余計に許せなかった……! こいつは何にも考えずに、すっかり忘れて、のうのうと生きていたんだと思ったら……絶対に許せない、って……!」
そして慎悟は最後に口走った。
「あんな奴のために、綾乃は自殺したんだ……」
紅子は、自分が落胆しているのを感じた。呆れにも近い感情だ。
湧いてきた気持ちはただ涙になって溢れ出るばかりで何にもならない。
《ぁゃ》は、最初から、紅子に会う気などなかったのだ。
《ぁゃ》は、最初から、《露輝》に復讐するためだけに、今ここにいるメンバーを慎悟に集めさせたのだ。
紅子は関係なかったのだ。紅子はどうでもよかったのだ。
考えたくなかった。
けれど、もう、認める他なかった。
一番信用するべきでなかったのは、《ぁゃ》だったのだ。
溜息をつく声が聞こえてきた。
「自業自得じゃない?」
顔を上げると、理世が険しい顔をしていた。
「アタシはわざわざ誰にもアシがつかないように調整して仕事振ってやってたのに、なんでみんなこうして自滅していくのかしら。アタシへの連絡なしに、勝手に悪さをして。黙ってソフトを納品してくれれば、何にもする気はなかったんだけど」
隣で寧華が鼻で笑っているのが見えた。理世ではなく寧華が始末してきたのだ。寧華こそが本当に本物の《P2》の管理人だったのだ。
すべていまさらだ。気づくのが遅い。
慎悟が吠えた。
「貴様この
理世がいとも簡単に「ええ」と頷く。
「なんで直接アタシに言わなかったの? アタシだってそんなに嫌なら無理強いしなかったわよ。それをさあ、ロキみたいなチャラ男にホイホイついていって騙されてヤり逃げされてさあ。冴ちゃんがアタシのことばっかりであやちゃんとロキの関係がこじれてたことを知らないってことは警察にはロキの話をしてないってことじゃない? それで勝手に死なれて、アタシのせいにされてもねぇ」
怒りのあまりか言葉を失った慎悟に、むつみが、あくまでも穏やかに、声をかけた。
「僕はね、今の理世みたいな――いじめはいじめられる方に原因がある、みたいなことを言う奴も、どうかしてると思いますよ」
「そう、綾乃は何も悪く――」
「けど、僕も綾乃さんに何の非もないとは思えないんですよね。だって、見てくださいよ。綾乃さんの私怨に何の関係もない人たちが巻き込まれているとは感じませんか。少なくとも僕とハレはあやさんがそんな行動に出ていたなんてまったく知りませんでしたし、紅ちゃんもケイトもあやさんにまったく信用されていなかったことに気づいてショックを受けているでしょうね」
慎悟と紅子の目が合った。
紅子は何も言わなかった。言えなかった。言うべき言葉が見当たらなかった。
紅子には分かっていた。綾乃のどこをどう
それが、慎悟にも伝わったのだろうか。慎悟が、肩を落とした。
「それに、何より――誰より、」
そして、その場に、崩れ落ちた。
「本当の本当に、一切何にも関係のなかった、最愛の実のお兄さんを、殺人犯にしてしまったんですね。綾乃さんは、自分のお兄さんの人生を、一生を、棒に振らせてしまったんですね」
むつみの言葉に、反応を返す者はなかった。
厨房に、慎悟のすすり泣く声だけが響き始めた。
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