第9話 奈良出身者と群馬出身者

 むつみに引きずられてホールに向かうと、カウンターの内側から小さな音が聞こえてきた。


 カウンターの中を覗き込んだ。


 セントが床に座り込んでいる。

 中途半端な長さの髪をむりやり一つにひっつめ、あぐらをかき、壁の下の方を睨んでいる。


 セントの周辺には小さな工具が散らばっていた。コンパクトに収納できる組み立て式のドライバーだ。紅子には小型ヘアアイロンに見えるものは、おそらく携帯式のはんだごてだろう。


 セントが見ていたのは、正確には、壁ではなかった。

 モジュラージャックだ。

 手に、電話線と思われるコードを握っている。

 コードは途中で切られており、中の銅線が剥き出しになっている。プラスチックの皮を剥いだのはセントかもしれない、もう片方の手にプラグのついているコードの続きを握っていた。


 むつみは紅子の手首を離すと、音を立てぬよう慎重に戸を押した。忍び足でセントの背後に忍び寄った。

 そして、いきなりセントの両肩に両手をついた。


「ハ・レ・ハ・レ!」


 まったく気づいていなかったらしい、セントが「ぎゃあ!」と大きな悲鳴を上げた。

 真っ赤な顔をして振り向き、「何やノンか」と怒鳴る。


「いまさら何しに来たん!? 黙ってんのや頼れんのやてずぅっと思っとったんやで!? 結局来るんやったらもっとはよう話し掛けるべきやったんちゃう!?」


 むつみは即答した。


「嫌だな、ハレのことを信用しているからに決まっているじゃないか。ハレならばたくましく生き延びる、と」

「えらい真顔で言うてるけど、紅ちゃん連れてんやん。ノンはオレより紅ちゃんのが大事やねん、ロリコンはこれやからな」


 まだ座り込んだままのセントの頭を、むつみが「ちょっと黙ろう」と言って叩いた。自分の頭を撫でつつ、セントはぶすっとした顔で「本当のこと言うてるだけやろ」と応じた。


「セントさんがハルだったんすか!?」

「紅ちゃんも勘違いしとったんやな。あれは『ハル』やない、『ハレ』や」


 むつみが「誰が聞いているか分からないから小声でね」とたしなめた。紅子とセントが慌てて声の音量を下げた。


「結構知らん人おるんやなぁ」

「結構というか、ほぼ全員気づいていないのでは?」

「や、だいぶ前やけど、ハンネの話題になった時おった人みぃんな知ってるはずや。ニンファとロキにさんざんややこし言われたし。ノンが入る前――もしかしたらもっと前、あやが来る前かもしれんけど」

「あやが来る前だったら、あたしが知ってるわけないじゃないすか」


 「そうやな」と笑った顔は朗らかで、《晴》というハンドルネームにふさわしい。

 言われてみて、気づく。オンラインでもオフラインでも雰囲気は変わらないのに、どうして分からなかったのか。

 口調と文章が合わなくても、セントは間違いなく《晴》だ。


「ハレとノンって、前から知り合いだったんすか?」


 むつみが「スカイプでこそこそ喋っていたのはあやさんと紅ちゃんだけじゃなかったということさ」と答えた。


「P2で喋っていて、すぐくらいかな。ピンと来たんだよね、あ、こいつ、同類だな、と。で、Sメを送ってみたんだよ」

「オレも最初びっくりしてんけどな、ノン、P2ではぜんぜん自分の話せんやん。けど、言われてからやな。ああ、こいつ、オレと同じ匂いする、って」

「同じ匂い……?」


 二人が声を揃えた。


「男子校出身者の匂い」


 女子校に在籍している紅子が嗅ぎ取れるわけがなかった。


「二人とも、男子校出身なんすか」

「中高一貫で男子校やったからこじらせてもうたわ。アメリカ行ったら逆にありとあらゆるカラーのねーちゃんに囲まれて何もできん毎日送っとる」

「僕の田舎では進学校は基本男女別学なんだよ。県立高校だったけど、選択の余地がなかったから、大学デビューするという目標のために生き抜いた。でも進学してから悟ったんだ、ああ、慶應には勝てないんだな、と」


 《晴》が立ち上がり、「そう言やまだ聞いとらんかったな」と言って一人腕組みをする。


「奈良のこと鹿しかおらんとか大仏が巨大ロボに変形して守ってくれはるとかさんざん言うとったけど、その自分の田舎てどこ?」


 むつみが目を逸らした。こんな風に困る様子のむつみを見るのは初めてだ。紅子は「あたしも知りたいっす」と乗った。


「ほら、紅ちゃんも言うてはるやん。教えたったら?」


 むつみがものすごく嫌そうな顔をした。


「……――ま」

「はい?」

「もうちょっと大きな声で」

「群馬……」


 《晴》と紅子の「群馬!?」と言う声が重なった。むつみが珍しく頭を抱えた。


「グンマーやったん!? なんや奈良のことバカにしやって! 奈良は大昔日本の首都やったんやで!? 群馬は今でも国外やん!」

「国内だよッ! しかも分類するなら関東だッ!」

「よう国境越えてきはったな! 大変やったやろ! 大都会東京には慣れたんけ!?」

「国境を越えてるのはそっちだろ! あとずーっと言いたかったけど言えなかったことを今言うよ、マサチューセッツはアメリカで一番治安が良いだろうが、日本の方が安全だなんて思うな!」


 紅子が「ちょっと、今一番ノンの声が大きいっす」とたしなめると、むつみが黙った。


「ノンとハレってすっごい仲が良いんすね」

「紅ちゃんにはそう見えるん? まあ毎晩こんなやったけど――そうや、こいつオレが関西人やて知っとったんやで。オレもノンは同世代の男やて知っとったからすぅぐこいつノンやて分かってんやんか、なのに今の今までずぅっと放置プレイやってん、冷たない? 酷ない?」

「冷たいっすね、酷いっすね」

「ほら見ぃ! 聞いた!? 紅ちゃんはオレの味方や!」

「もういいよ好きに言ってください……」

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