第二部15津波

 さらさら

 きらきら


 阿礼はゆめうつつにその音を聞いた。

 サキだ、と思う。

 重たいうめきがサキの気配を上書きする。

 変だ。

 目をあけた。

 どぉぉぉぉぉぉ

 遠くから響いた音を追いかけるように揺れが来た。

 ゆさゆさゆさゆさゆさ

 あたりの梢も幹も簡単に貼った天幕も無茶苦茶に揺さぶられる。

 「大きいぞ。」

 「立つな、かがめ。」

 阿礼は安麻呂と声を掛け合い、飛び起きたその場所でかがんだ。かがんだというよりはそもそも立ち上がることができない。せいぜいが膝をつき、そうでなければ座り込んだまま揺れをやり過ごす。

 「うおっ、崩れる!」

 ずずずず、と音をたてて斜面の一部が崩落する。近くにいた荷運びがなんとか難を免れる。

 いつになく長い揺れがおさまると、山は奇妙に静かになった。

 皆、地震には慣れている。

 ここ数年大きな地震も多いし、小さなものならそれこそ無数に起きている。それでも、この地震はひどく大きく長く揺れた。

 阿礼と安麻呂は不安な気持ちで足下を見た。先程崩れた部分が、朝には降りてゆこうとしていた道をざっくりと抉っている。大きな地震に揺り返しはつきものだ。もしも大きく揺れれば更に崩れるかもしれない。

 「きたぞ。」

 案の定、地面が再び大きくゆれる。

 先程崩れた縁にとどまっていた木が、ずずずずと滑り落ちていった。

 「これは、落ち着くまで動けんだろう。」

 安麻呂のつぶやきに阿礼も頷いた。運んでいた荷が崩れたせいで時間を取られ、峠に思わぬ野宿を強いられたのだが、大変な事態になったものだ。これではいっそう明るくなるまで動きようがないが、足下の地面がいつ崩れるかと思いながら待つ夜は途方もなく長かった。

 幾度か遠く唸るような音を聞いた。

 揺れもあった。

 海辺の村で雇った荷運びは、何度も気がかりそうに海の方を見ていたが、斜面が崩れたせいで木立が歪んで見通しが悪く、月明かりを木々が吸い取った黒々とした影以外に見えるものはない。

 朝の光がやっと届いた時は途方もなくホッとした。

 「ひっ」

 恐る恐る麓を覗き込んだ荷運びが短く叫び、斜面を滑り降りる。

 「どうした。」

 阿礼は後を追って自分も斜面を降りた。崩れたせいで木々が切れ、視界の開けた場所に出る。

 荷運びは声もなくへたり込んでいた。

 荷運びの視線の先には海があった。

 海と、潮の引いた浜辺。

 そこにあったはずの村も、田も、港も、船も、何一つ残っていなかった。


 天武十三年十月十四日、南海トラフ地震と推察される大地震が起きた。被害の記録は機内から土佐に至るまでの広い範囲に及び、津波や液状化の被害も記録されている。

 白凰地震、あるいは天武地震と呼ばれるこの地震は、波乱の天武時代の災害の中でも極め付きの大災害と呼べるだろう。 

 被害は大きく、多くの里や村が崩れた土中に埋まり、海中に没した。


 とりあえず大量の木簡、竹簡の書き付けを含む荷をしっかり根を張った木にくくりつけ、駆け降りた海辺の村は、目をおおうことも出来ないような惨状だった。

 なにせ、なにもないのだ。

 死骸も、壊れた家屋も、何もない。

 ただただ波にさらわれたあとの土地が、海に向かって広がっているだけだ。知らなければただの海に向かって開けた土地だが、何日か前にその場所の港から上陸し、そこに豊かな村のあったことを知る阿礼達には、あまりに背筋の冷える光景だった。

 もし、荷が崩れず、昨日の内に村にたどり着いていたら、阿礼も安麻呂も、村と運命を共にすることになっていただろう。

 荷運びは生き残った村人を探して狂ったように走り回った。

 昼頃になって山を少し登ったところに、僅かな生き残りが身を寄せ合っているのが見つかった。荷運びの幼い娘がそこにいたが、老母や妻の姿はなく、荷運びは娘を抱いて泣き崩れた。

 安麻呂と阿礼がこの村にまできたのは、いつだったか放出のタヅに聞いた剣と関係しての事だった。比売田の大刀自の弔いを終えて都に戻った二人が調べてみると、神剣を放り出して去ったという船の足跡が、内海から下関の方にではなく、大きく外海の方に向かっているらしい事に気づいたのだ。

 興味を引かれた二人は淡路などの伝承を集めがてら、その足跡を追うことにした。

 途中の淡路では国の始まりに関わる伝承を拾うことができ、それだけで収穫は大きかったが、放出の神剣についてははかばかしくない。

 結局、船は四国沖で沈んだこと、乗っていたのは新羅僧であった事まではわかったのだが、新羅の僧が何故神剣を放り出して去ったのかはわからなかった。

 船が沈んだときにまだ息のあった新羅人を助けた男の娘という女が、海辺の村から山向こうに嫁いだと聞いて、話を聞きに山を越えたのが五日前。それ以外にもいくつかの伝承を聞いて、海辺まで戻る途中での地震だ。

 淡路で聞いた伝承の書き付けなど、海辺の村に預けてあった幾らかの荷は、全て失われてしまったが、阿礼がいれば復元はきく。

 揺り返しは幾度も続き、木々は悪夢のようにざわめく。時には小さく海の上がって来ることもあり、怯えきった人々はただ固く身を寄せ合った。

 阿礼は荷を置いたところまで戻って荷を取ってくると、荷の中の食料を人々に分けた。

 山向こうの村まで生き残った村人が避難するのを助け、更に無事だという別の港を目指すのに時間を大きく取られ、二人が都に戻ったのはそろそろ師走になろうかという頃の事だった。

 

 相次ぐ天災の上にさらに襲った大地震への対応は困難を極めた。時期が悪かったということもある。土佐や伊予では都に運ぶために集められていた調が船ごと流され、大量に失われた。

 そうでなくとも徴税の季節の大災害に、税の集まりはひどく悪い。被害のあった場合はもちろんだが、大した被害がなくともこういう場合はそれを口実に徴税を免れようという者が多く出る。しかも相次ぐ災害は帝徳を問われる事態でもあり、朝廷としても強くは出にくい。大海人の苦悩は深く、対応は激務を極めた。

 こんな時も頼りになるのは皇后おおきさき讚良だ。讚良は皇族を巧みに使い、必要な手を打っていった。

 家を失った都の人々に粥を与え、あからさまにあやしい徴税免除の嘆願には調査をいれる。なんとか一通り形をつけるだけで年を越した。

 その中で紛いなりとも安麻呂や阿礼に言いつけた伝承ふることの収集が続けられたのは、讚良が早い段階で名目上の責任者に、自身の異母弟である川島を据えたことが大きい。都での清書、筆写の責任者を史に任せ、阿礼と安麻呂は伝承の収集に各地へ赴くようになった。

 「探せば面白い話もあるものだな。」

 提出された写本に目を通す。書かれているのは淡路に残っていたという国産みの物語だ。いまだ激務の続く大海人にとって、時折川島を通して提出される伝承の書付は良い気晴らしになっている。

 「今は熊野へ行っているようでございます。その話の続きになりそうな話があるとかで。」

 国を産み、神を産んだ夫婦神は、熊野へと移ったらしい。その足跡を安麻呂と阿礼が追っている。

 「それから、これはまだまとまっていないらしいのですけれど。」

 讚良がもう一巻をそっと差し出した。

 「清書の筆耕を取りまとめている史という舎人が、気になるからと提出してまいりました。」

 受け取って中身にざっと目を通す。

 難波の放出に投げ出された神剣と、それを投げ出した新羅僧の顛末。確かに何か奇妙だ。さらに付け足しのように、何年か前に熱田の神剣の写しが作られたという噂が添えられている。

 「この神剣を祀る社にうかみを貼り付けておけ。あと、各地の神剣に探りをいれよ。特に熱田には手厚くな。」

 讚良が頷く。

 神剣は幾振りもある。宮中にもそれ以外にも。

 異常の報告はないがそれだけに、放出の神剣の話は不可解だった。

 


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