第一部9貝殻の簪

 さらさら

 きらきら

 それはとても美しい簪だった。

 阿礼がいつものようにくれたお土産。

 薄紅の花房の垂れる鳥の簪。

 初めて貰ったあの櫛と意匠としては同じでも、遥かに凝った作りだ。

 よく見れば花房は、薄い薄い貝殻を何枚も糸に貫き留めて作られている。自分では髪に挿すのが畏れ多いような気さえするその簪を、阿礼は無造作にサキの髪に挿した。

 花房はサキの耳をかすめて垂れ、かすかだけれど心地よい音が、まずサキを満たす。

 「よかった。よく似合う。」

 冬の間中々戻って来なかった阿礼は、春になって戻ってきた。

 咲き初めた桜の白い花は、新芽の色をうつして遠目にほんのりと紅い。簪の花房はちょうどそんな色だ。

 きらきら

 さらさら

 貝というのは海で採れるものだと聞くのに、どうしてこんなにも花に似ているのだろう。海では貝が花のように咲くのだろうか。

 耳元で貝殻の花房はかすかにささやく。

 その音に満たされたサキの内側に、花吹雪の景色が広がる。

 光をはじいてきらめきながら舞い落ちる花びら。

 なんだか舞い落ちる花が、いつもこんな音をたてていたような気さえしてくる。

 「気に入ったか?」

 聞いてきた阿礼ににっこりと笑って、サキはお礼を言った。

 今度はサキの番だ。

 冬の間に覚えた物語を、阿礼に聞いてもらわなくてはいけない。

 サキは立ち上がり、歌い始めた。


 美しくなったな、と思う。

 歌も、姿も、身のこなしも。

 雪に耐えた芽がいっきに芽吹くように、サキは春を迎えてさらに伸びやかになった。

 今回贈った貝殻の簪は、阿礼がコツコツと作り上げたが、最初に思った石の飾りの下がった簪を諦めたというわけではない。いずれ求婚のときにはぜひとも贈りたいと思い、探し続けてもいた。

 それでも自分で作った割には悪くない簪だという気持ちはある。

 サキの髪で簪が揺れる。

 さらさら

 きらきら

 聞こえるはずのない貝殻の触れ合う幽かな音を、阿礼の耳が捉える。

 簪の形に作り上げて行く間に幾度も聞いたその音は、阿礼の耳の奥に刻み込まれている。

 さらさら

 きらきら

 その音はサキの歌と絡みあい、サキの歌を包み込んだ。

 今日、自分の里に戻った阿礼は、早速先のもとへ向かおうとする足を、お婆によって止められた。

 お婆とサキの婆は、阿礼やサキの知らないところで何やら話し合いを持ったらしい。サキの婆はいずれサキが娘らしい年頃になれば、阿礼を迎えても良い意向なのだという。もちろんサキの意思が最も重視されるが、サキの同意を得ても、サキの婆の許しが出ないという事態の心配はしなくていいらしい。阿礼のお婆もまた、語り手であるサキと阿礼の結び付きは歓迎してくれるということだった。

 全く戸惑いを感じなかったと言えば嘘になる。

 当事者である阿礼とサキの間にまだ何の約束も成立しないうちに、両方の祖母が話し合うというのは気が早すぎるように思う。

 大切に育てているものを、不躾に覗き込まれたような不快感もあった。

 でも、心の一部は情けなくも浮かれている。

 サキの婆の意向がそれなら、サキは簡単に他の男を通わせはしないだろう。サキの枕辺の戸を叩く男さえ、やすやすとは現れないはずだ。

 サキの里にサキに釣り合うような男はいないし、ヒメダの男なら阿礼の婆さまの意向を無視することはできない。

 サキは阿礼のものになる。

 サキがもっと娘らしく成長し、阿礼の気持ちを打ち明けるにふさわしい年頃になるまで、焦ることなく待つことができる。

 その事実はうれしい。

 ただ、それが婆さまたちから与えられたものなのは、男として情けない。

 阿礼の心境は中々に複雑なのだった。

 だからこそサキを妻問う時には、これこそという簪を贈りたい。もっと大人びて美しくなったサキにふさわしい、サキの婆さまの驚くような品を。

 サキの歌を聞きながら、阿礼は改めて心に誓った。


 

 

 

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