第二部13妙手
詔が下った。
そう言われても最初はピンとこなかった。
宮の警備から史共々外されて、初めてうっすらと理解できた。
つまり阿礼はひたすらに、物語を聞き覚えることを命じられたと言う事なのだ。
史はもちろん清書の要員だ。
やることは基本的に今までと同じだが、酔狂ではなく仕事になる。
今までのように阿礼の部屋に書付を積み上げて作業するのではなく、正式に作業のための部屋が与えられたし、木簡も竹簡も墨もふんだんに用意された。
積み上げられていた書き付けが片付けられると、阿礼の部屋はがらんとした印象になった。何もない部屋に、サキの人形の衣装の、鮮やかな色が目につく。
さらさら
きらきら
不意に現れた気配に、阿礼は目を閉じる。
背後から抱きしめてくる幽かな感触。サキは今も阿礼の側にいる。阿礼の執着が、サキが黄泉路を辿るさまたげになっている。
死者が現世に留まるのは大変なことだ。それでもサキは阿礼を連れて行こうとしない。阿礼もまた、サキヘの執着を手離さない。
こうして歪な形のまま、二人は寄り添っている。
「御門は言の葉の陵をご所望らしいよ。」
目を閉じたまま阿礼が呟く。
安麻呂は阿礼が書き付けを「墓」と称している事を話したそうだから、きっとそういうことなのだろう。消えゆく伝承の屍を拾って、壮大な陵を作ろうというのだ。
望むところだ。
誰もが決して忘れることのできない、壮大な陵を作ろう。消えていった無数の一族とその伝承に思いを馳せずにはいられないように。
阿礼にはもう、言の葉を天へと駆け上らせる声はない。それでも陵を作ることなら、きっとなすことができるだろう。
「伝承の墓、か。」
大海人は、中々上手いことを言うと思った。
それは史書と言うものの本質だ。
この国とは違い、王朝の交代が多い大陸では、交代した新王朝が旧王朝の史書を編む。まさに旧王朝を葬る手順の一つとして史書の編纂が存在しているのだ。だから大陸の史書は常に、英雄王にはじまり昏君に終わる。
大陸では天命を受けて王朝は起こり、天命を失って王朝は倒れる。史書を編む新王朝が天命を受けたなら、編まれる旧王朝は天命を失った道理だ。
この国で求められるのはそういう物では確かにない。
天孫の子孫である
だが、だからといって国に変化を起こさないでやっていけるというものでもない。
世界が刻々と変化するのなら、自分達もあわせて変わっていかなければ、いずれ取り残され、揉み消されてしまう。
百済が良い例ではないか。
援助した百済は大陸の援助を受けた新羅の前で、めためたと半ば自壊するように瓦解してしまった。
いつまでも古い、豪族たちが大王を推戴するような形にこだわっていては、この国もまた同じような運命に陥りかねない。
天皇を中心とするもっと強い国。
天皇の下に全ての人民が手を携える国に。
そのための布石は打ち続けている。律令の制定を目指しているのもそれだし、官吏の階級や仕組みも整いつつある。
ただ、それでも力のある緒族を押さえるのは難しい。それぞれに族長を頂き伝承を伝える彼らは、国よりも一族に属する気持ちが強い。
ならばその伝承をまとめて天皇中心に組み上げればどうか。
安麻呂のまとめていた書付は、大海人のぼんやりとしていた構想に輪郭を与えた。緒族の伝承を集め組み合わせれば、天皇を中心とした物語を作り上げることができるではないか。
書付を物語の墓と呼ぶのなら、これは緒族の伝承で作り上げる壮大な
これは中々の妙手ではないか。
大海人は久々に心が軽くなるのを感じた。
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