第二部3災いに消えるもの

 続いた天災の中でも御門主導の改革は続いた。

 筑紫の地震から三年後、律令制定の詔が発せられる。

 それは豪族の合議制に乗った大王おおきみというものを、中央集権体制の中心である天皇すめらみことへと変えようという意志の発現だった。

 天皇を絶対的な中心とした、より強固な国家。

 全ては同じ法を基準に定められ、全ての土地と民は等しく国の元にある。

 大王ごと、その後援者ごとに揺れ動くことのない確たる都をもち、その都に全てが集約されていく国。

 目指す場所は余りに遥かで、たどり着ける気さえしないが、それでも歩みださなければ決してたどり着けはしないのだ。

 実際、豪族の反発は強く、歩みは遅い。

 それでも。

 ひたむきに、ただ一歩一歩を踏みしめるように、改革は進められようとしている。

 

 「阿礼、お前何か面白い事をやっているんだって?」

 仕事明けに朋輩の一人である那津なつに声をかけられた。

 「面白い事というか、安麻呂が物語を書き取るのを手伝っているだけだ。」

 阿礼の知る、サキの里の物語を全て書き取った安麻呂は、他にも物語を集めるようになった。ちょっと面白くなったのだそうだ。

 ただ、物語を知っているものがいるとして、それをその場で完璧に記すのはやはり難しい。それで阿礼を伴って物語を聞きに行くようになった。

 安麻呂が書き落としても、阿礼がいれば聞いた物語は覚えている。

 都に都合よく各地の語り部がいるわけではないので、聞くことが出来るのはたいてい聞きかじりの断片だが、それでもあちこち聞いてまわれば色々な話が集まってくる。舎人の何人かにも聞いたので、阿礼がそういう手伝いをしていることを知っている者は多かった。

 「俺の知っている奴に、一族のいわれを残したがってる奴がいるんだけど、聞いてやって貰えるかな。」

 そしてそんな事をしていれば、こう言う話も出てき始める。

 「もちろん。那津の里の話?」

 尋ね返すと、那津は首を横に振った。

 「いや、地震で里がだめになって、都に出てきたんだと。厨の下働きの婆さんなんだけど、いわれが絶えるって嘆くからさ。」

 その女は那津が子供の頃に亡くなった祖母にちょっと似ているのだそうだ。

 安麻呂も一緒に伴われて、那津に連れて行かれたのは、下級役人のための食事を調える厨だった。

 皮を剥いたり筋をとったりという作業をこなす中に、那津の言う「婆さま」がいた。確かに若くはない女だが、サキの婆さまや比売田の大刀自のお婆ほど年を取ってはいなかった。

 手が空くのを待って、話を聞いた。

 女は名をカゾメといい、もともとは伊勢の方へ向かう山中の里に暮らしていたらしい。

 筑紫の地震の前年に起きた地震で里を失い、都に出てきたのだと言う。

 「ほんにひどい揺れで。山が里を呑んでしもうた。残ったもんだけではもうどうもならんで。」

 あの時だ、と阿礼は思う。

 真礼に持たされた衣装を身に着けたサキが、歌を歌ってくれた時。足を潰された婆に乾飯を分けたっけ。

 「里のいわれももうわししか知らん。わしが死んだら絶えてしまう。」

 カゾメの里に伝わるのは、白鳥になった王子の物語だった。遠く東国のまつろわぬ族を平らげた王子は、帰路で受けた傷が元で生命を失ったという。王子は死して白鳥に身を変じ、大和へ向けて飛び立ったそうだ。

 「わしらの里はかの君の従者が作ったのよ。わしらは白鳥を追って山中へ入ったが、途中で力尽きとどまらざるをえなんだ。かの君と同じく手傷を受けた者たちが、進むもならず留まったのがわしらの里よ。わしらはかの君がかすめた梢の下にとどまり、そのいわれを永く忘れまいと誓い合うた。」

 カゾメは白鳥の話だけでなく、王子の戦った話も語り継いでいた。

 王子を守った太刀と、それを手放したためにとった不覚。常勝の王子はその不覚故に傷を負う。

 思いの外に豊かなカゾメの話を聞くために、阿礼は安麻呂と幾度かカゾメの元に通った。

 続く戦乱や天災は、連綿と受け継がれていたものをいくつも絶ち切ってしまおうとしている。物語を集める行為は阿礼にそのことをひしひしと思い知らせた。

 やはり墓だ、と思う。

 自分たちは失われるものの墓を作っているのだ。

 墓は生命を元通りに蘇らせる事はできないが、その生命のあった事を記憶する役には立つだろう。

 少しでも、あったものをありのままに残すために、阿礼は耳を澄ませ物語を自らの中に刻みつける。

 

 走り書きの文字を、新しい竹簡に写してゆく。側では阿礼が走り書きに使った板を、砥石にかけていた。表面の墨の入った面を削ってしまえば、板にはまた文字を書くことができる。全体を消すのに、小刀だとあとが書きにくくなるので、砥石で滑らかに磨いているのだ。

 作業は阿礼の部屋で行われ、今では部屋の隅には書きかけや走り書きの板や竹簡が多く積まれている。清書の終わった分は安麻呂が持ち帰り、保管していた。

 安麻呂が根をつめた作業の合間に息をつくと、サキの人形が目に入った。

 いつでもきれいに整えられて、一緒に季節の花など飾ってある。今は白い萩が竹筒に生けられて、わずかに花びらをこぼしていた。

 阿礼の身体から離された人形は、結局仕舞い込まれることはなく、阿礼の部屋に飾られている。

 「あ、やってる、やってる。」

 戸が開いて、史が顔を覗かせた。 

 史はまだ成り立ての舎人だが、文書を書くことが巧みで、いつの間にか安麻呂の清書を手伝うようになっていた。年は安麻呂よりも二つ三つ下かというところだが、人懐こい質なのか大舎人寮でも当たり前のような顔をして混ざっている。

 「お前も暇なやつだな。せっかくの非番に他にやる事はないのか?」

 場所をあけてやりながら安麻呂がくさす。

 「安麻呂にいわれたかないですよ。そもそも誰の道楽なんです?」

 史は部屋に上がり込むと、座る前にサキの人形にちょっと目礼した。事情を話したことはないはずなのだが、薄々察しているらしい。

 決して不躾に距離をつめない史の人懐こさは、安麻呂にとっても不快ではなかった。

 そのまま座って、走り書きを取ると、整った字で清書を始める。

 「面白いですね。この白鳥になったという方は河内の白鳥の陵の方でしょうか。」

 「かもなあ。」

 伝承は時々妙なつながりを見せることがある。つなぎ合わせれば一つの物語になりそうなものも珍しくない。

 「大切に伝えられてきたものだ。集めれば大きな物語になるのだとしてもおかしくはないよ。」

 比売田という伝承の一族に育った阿礼からすると、それは不思議な事ではないようだ。比売田の伝承にある土地を巡れば、確かに対応する物語が伝わっていそうな気はする。

 はるかな神代から、今に時間がつながっている。

 その実感は安麻呂には目新しいが、阿礼にしてみれば当たり前の感覚なのかもしれない。

 「これ、後で貸して下さいよ。写して返しますから。」

 たまに気に入ったらしい物語を、そんな風に史が借りてゆく。

 「いいけど失くすなよ。」

 一応そう答えるが、史の書物の扱いが丁寧であることは、安麻呂も認めているのだった。

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