第一部7冬の日

 久しぶりの里からの使いに真礼は顔をほころばせた。同じ都に起居する阿礼や安麻呂と顔を合わせて話すことはできないが、里から使わされた女となら話すことが許される。奇妙な不自由さだがしょうがない。

 里の近況に混じって阿礼にまつわる話があった。

 阿礼が近在の里の語り手の娘に懸想しているらしいことや、相手の大刀自の婆の感触も悪くないこと。相手の娘がまだ若すぎるので通うような話になるまではまだ時間がかかりそうだということ。

 阿礼が妻問うということを考えなかったわけではないが、実際にそういう話が出てきたことは真礼に衝撃を与えた。

 真礼が里を離れたとき、阿礼はすでに声変わりをしていたが、子供の頃の阿礼の歌が今も真礼の中にある。

 あの伸びやかな声。

 ふとした身振りにさえ舞を思わせる美しさが宿る。

 なぜ、阿礼は女に生まれなかったのだろう。

 何度もそう思った。

 誰よりも、真礼よりもずっと早く物語を覚え、天に駆け上がる調べにのせて歌い上げる。 

 阿礼は真礼の理想だった。

 今も真礼の中に理想の猿女としての阿礼の姿がある。

 阿礼が女であればそうあったであろう猿女。それをなぞるように、追うように、真礼は歩いてきた。

 そして、それでもまだ、惜しんでいる。

 阿礼が女に生まれなかったことを。

 阿礼が妻問うなら、と真礼は考える。生まれた娘を一人貰い受けたい。相手の娘はその里の語り手になる娘だそうだから、きっと歌える声を持っているのだろう。そういう娘が阿礼との間に生む娘なら次代の猿女になれるかもしれない。

 そう考えれば阿礼の妻問は喜ばしいことだ。

 真礼は強いてそう考える事で、波立つ心を抑えた。

 

 年の瀬が近づくと、都にも雪が降る。美しく整えられた板葺の屋根に降る雪は、ふわりと粉を撒いたようだ。

 サキの里でもそろそろ雪が降るだろう。雪支度の手伝いに誰か行っているだろうかと気になった。

 都に上ってすぐの頃にはそんなことにはまるで気が回らなかった。阿礼が出仕した真新しい宮はまだ造営されたばかりで、都の何もかもがまだそんな感じだった。

 その新しい板葺の宮は阿礼の目には十分に壮麗なものに映ったけれど、安麻呂が筑紫で見た大陸にあるという都の絵には、遥かに壮大な宮城が描かれていたという。しかも壮麗なのは宮城だけではなく都そのものも美しく整えた路で区切られているのだそうだ。

 「いずれ大王はああいう都を作るつもりでおられるのだと思う。色々と調べたりもしておられるようだし。」

 その都はまさに切り開きはめ込んだように、辺りの山や野とは趣を変えるものになるだろうと言われても、阿礼には中々想像も届かないのだった。

 ただ、都に降る雪は都を飾るように見えることはある。雪の中にあっても宮城は宮城で、雪に埋もれればひっそりとその中の一部のようにも見えるヒメダの里とは確かに違っていた。

 雪が降ればその雪を降ろさなければならない。

 そこは里も宮も違いはなく、宮の雪を下ろすのは舎人たちの仕事だ。雪下ろしは面倒な仕事だが人気がないかといえばそんな事はない。宮の中を垣間見ることができるからだ。

 美しい采女などを見かけると誰でも心躍るらしく、雪下ろしのあった日には見かけた采女の話で盛り上がる。阿礼はいつも真礼を見かけることはできないかと考えていたけれど、中々そう上手くはいかなかった。

 その日も早朝から、阿礼は朋輩と宮々の雪下ろしに回っていた。板葺の屋根は足場として滑りやすいのが残念だが、その分雪も落ちやすい。落とした雪を集めて山にすると、童殿上の子供たちが上って遊びだしたりする。都でも里でも、そんなところにはほとんど違いがない。

 子供と言っても宮廷に上って小間用など務める子供は華やかな衣を着ていて、それが雪と戯れている様は采女とはまた違った、華やいだ光景を作っている。

 阿礼にしてみると童女の無邪気さにはサキを連想させるところがあって、采女を垣間見るよりも子供が遊ぶのを見守る方が好もしい。他にも子供好きの舎人などは、上から雪を降らせて子供を喜ばせたりしていた。

 ふと、一人の男が目に止まった。

 がっしりとした上背のある男で、室内から子供たちが遊ぶのを見ている。佇まいは静かだが、特に微笑んでいるわけでもないのが気にかかった。

 まとっている衣はしっかりと厚い絹地の綿入れで、見るからに上等なものだが派手ではない。男本人の印象と同じように手堅くどっしりとしている。

 「おい、あれは誰だっけ?」

 一緒に雪をおろしていた同僚に囁くと、同僚は派手に仰け反った。

 「お前、いい加減にしとけよ。御門だぞ。」

 遠目にしか見たことのない大王の顔を、阿礼は覚えていなかった。

 里で言う大王というのは古い言い方のようで、都ではすめらぎとかすめらみこととか言うことが多い。しかもそのまま口に出すのは憚って、御門とか主上などと申し上げる。

 御門というのは宮殿の門をその主になぞらえているのだが、初めてはっきり見た御門は、雪をも自らの飾りに見せる板葺の宮にふさわしい方に思えた。

 安麻呂が言っていたことも頷ける。この方ならば切り開きはめ込んだような別世界の都を作り上げてしまいそうだ。

 ふと、目が合いそうになって、阿礼は慌てて目をそらし、作業に戻った。

 貴人をじろじろ眺めるのは不敬にあたる。まして高い位置からだ。

 ざくりと雪を切り、下へ落とす。落とした雪が危険でない程度に小分けにしながら。黙々と作業を続けながらも、阿礼は御門の視線を感じていた。

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