第一部11地震
地震で崩れた宮はなく、せいぜいが幾分かしいだという程度だったが、後始末は大変だった。しかも揺れの続く間は公卿や女官達も屋内に戻るわけにも行かず、阿礼達舎人は、敷物を敷き、簡単な天幕をたてた御座所を庭に作ることにまず忙殺された。
天幕は柱を立てるより、立木の方が倒れなくて良いというので、程よい枝ぶりの木にはもれなく布がかけられる。
敷物を敷き、衝立になるものを巡らせ、几や褥を持ち出して、何とか
一通り御座所を作り終えた頃にその日は終わり、あかあかとした松明の番をして阿礼は夜を過ごした。
比売田の里も、サキの里も揺れたろう。
気にはなるが舎人である阿礼には、この状態の都を離れる事はできない。ただ無事を祈るばかりだ。
夜が明けると様々なことがわかった。
宮廷の被害に比べて、庶人の被害は酷いものだった。
庶人の住むあばら家なぞ、崩れてしまえば焚きつけの山と変わらない。当然のように火も出て、多くの人が焼け出された。
お救い小屋が建てられて、粥が配られる。
身体は無事な者、軽い怪我で済んだ者は粥で腹を満たして一息つく事ができた。
そうは言っても瓦礫の下からは救いを求める声がきこえ、大きな怪我を負った者は手の施し用もなくただ横たえられている有様で、誰の顔に浮かぶ表情も冴えない。
それでも少しづつ、どうにか眠る場所を拵え、飯など商う者も出てくると、少しづつ都は立ち直ってくる。地震というのは恐ろしい災いではあるが、程度の差こそあれど生涯に一度も合わないというわけにも行かないので、それなりに誰にも心得はあるのだった。
たった二年まえの年の暮れに地震にあった記憶もまだ新しい。あの時は寒さで死ぬ者もあったが、この度は夏の事でもあり、屋外での生活はまだ楽だ。
その分匂いも早く出るので、焼跡や瓦礫の片付けは急がれた。この上疫鬼でも呼び込んでは目もあてられない。
阿礼は朋輩と忙しく働きながらもサキの事を気にしていた。サキの里にはろくに男手がない。比売田から手伝いは入るだろうが、比売田がおおかた片付いてからの事になるだろう。
随分心細い思いをしているのではないかと気がかりだったが、役目に追われてどうする事も出来ない。なんとか短い休みをもぎ取ったのは、前の地震の時と同じく、ひと月近くたった後だった。
「これは?」
安麻呂が持ち込んだ荷は、阿礼の部屋には驚くほどに不釣り合いだった。
なんとか背負える程の葛籠二つの中には布や紐が沢山入っているのだが、中にはかなり色鮮やかなものがある。どう見ても采女や女官の身につけるような品だ。
「昨日、真礼どのから届いた。侍女が持ってきたからここに持ってくるのは目立ち過ぎると思ったんだろう。里に届けてほしいそうだ。」
確かに里で一番不足していそうなのは衣類だろう。都と違って、里山に入れば食べる物はある。衣類に妙に華やかなものが混ざるのは、女官達の古着だろうか。
阿礼は大きな布で葛籠を包み、肩に背負って里へと急いだ。安麻呂も同じように葛籠を背負ってついて来た。
比売田の里はすでに落ち着いていた。
お婆の暮らす館にいくらか歪みが出たそうだが、そんなものもすでに直されたり補強されたりしている。まだ時折揺れるので、お婆は外に簡単な小屋掛けをした中にいた。
しっかりとした大木に、細い柱を咬ませ、簡単な草葺の屋根を被せてある。湿気の上がらないように低い台を作って、毛皮や布を敷いた上にお婆が座っていた。
「いい
実際、台を組んだのはいい考えで、庭に直接敷いたせいで湿った敷物を乾かすのに、女官たちが毎日苦労している。
「なんの、御門にお仕えするのはわしらも同じ。わしとて元は宮中の猿女じゃ。大した差などあるものか。」
お婆に真礼からだと、下ろした葛籠の中身を見せるとわずかに顔を綻ばせた。中を探り、幾つか取り出して阿礼に渡す。
「なんだ?」
絹地の綿入れと、やはり絹の女装束の一揃え。
「あの娘に持っていっておやり。綿入れはあそこの婆に。あの婆はわしと同い年なんじゃ。夜寒が堪えておるかもしれん。」
そのまま急かされるように、サキのもとに向かった。
サキの里の被害は小さくなかった。いくつかの家や、機屋も倒壊し、比売田からの男手も入って、あちこち直している。
サキは、外で寝起きをしている年寄りの、世話に走り回っていた。
サキの里の里人は全体に老いている。
先帝の都の普請に駆り出されたことと度重なる天災が、もともと少なかった里人を大きく削っていた。サキが物語は受け継いでも、このままでは一族が絶えてしまいそうでもある。
「阿礼!」
阿礼を見つけるとサキが走りよってきた。寄ってきてから、少し戸惑ったように後ずさる。外で寝起きしているせいか、サキはいつもよりもくたびれた衣をきていた。
「これ。うちのお婆からだ。真礼が荷を寄越したんだ。綿入れはサキの婆さまにって。」
少しつっけんどんな喋り方になってしまったが、受け取ったサキは嬉しそうな顔をした。
「サキや着替えといで。それを着て歌っておくれな。」
近くにいた婆がサキに声をかける。サキはちょっと迷ったが、結局着替えに行った。
「サキがな、待っとったよ。あんたの事をずうっとな。」
サキを促した婆が話かけてくる。
よく見るとその婆は怪我をしているようだった。
「足がな、もういかんよ。ひどく挟まれてしもうて。下の事までサキに手伝うてもらうようではなあ、もう長くはないわ。」
阿礼の視線に気づいたのか、問わず語りに答える。着物に隠れてはいたが婆の足は変なふうに歪になっているようだった。
歩けなくなった年寄りは長くない。それは自然の摂理だ。どんな動物も歩けなくなれば死ぬ。
「まあ気を落すな。これでも食えよ。」
阿礼は懐から乾飯の袋を出すと、ひとつかみ婆の掌にのせた。もう少し気の利いたものがあれば良かったが、あいにく他に何もなかった。
「なんの気なんぞ落とさんよ。あちらに行けば賑やかでいいようなものじゃ。」
婆は笑って乾飯を口に含んだ。
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