第二部11神剣

 艶やかで、鮮やかで、彼女が自分のものであるのが誇らしかった。

 もう何年も前の、若い時の話だ。

 鏡王の娘は二人。

 姉の鏡は兄の葛城のもとへ。

 妹の額田は弟の大海人のもとへ。

 考えて見れば額田は、大海人が自分で勝ち取った女ではなかった。言霊を操る力を受け継いだ姉妹が、両親ともに天皇である兄弟にそれぞれめあわされたというだけのこと。だからふと見限られ、兄へと乗り換えられたのも致し方ない事だったのだろう。

 今なら大海人もそんな風に思うことができる。

 強い権力を持った男に、強い力を持った女がそうのはある意味当然のことだ。葛城の権力ちからは大海人より強く、額田の霊力ちからは鏡より強かった。まして力にひかれる額田の性質を思えば、それはどうしようもない事だった。

 鏡女王は臣下の藤原鎌足に下げ渡され、大海人は額田を失った。

 その代わりのように大海人は、葛城が遠智娘に生ませた姉妹を得たわけだが、結果だけを見ればこの取引は悪くなかった。それどころか讚良というこの上ない右腕を得た事が、現在の大海人につながっている。

 本当に大友に跡を継がせるなら、葛城は讚良を大海人に与えてはいけなかったのだ。

 そして、自分でも度しがたいと思うのは、それでも額田を失った痛手が消えていないということだ。たまさか額田を見かけた折りや、噂を耳にするごとに、それは古傷と言い切るには少しばかり鋭く痛む。

 未練なのか。

 そうなのかもしれないし、それとはまるで違う事のようにも思える。

 例え額田に誘われても、大海人はきっとその臥床を訪ないはしない。そういうものは求めていない。裏切りへの恨みや憎しみかと言えばそれも少し違う気がする。今さら復讐がしたいわけでもない。

 ただ、あの手酷い痛みがいつまでも、胸の奥から消え去ってはくれないというだけの事なのだ。

 人の心というのは厄介だ。

 全ては過ぎ去り、納得もしているのに、それでも痛みだけがいつまでも残る。

 そんな痛みに慣れることも、歳をとるということなのだろうか。 


 面白い話を聞いた。

 河口の里の話だ。

 ある時一天にわかにかき曇り、ひどい嵐になったという。

 天の甕の底を抜いたかというような猛烈な雨に、どろどろと轟く雷。稲妻は空を裂き、風は全てを吹き飛ばす。

 始まりと同じく唐突に嵐は去り、恐る恐る様子を見に表に出た里人は、河口に神威を宿す剣が流れついているのに気づいた。

 遥か沖には破れ船が漂う。剣はその船から放たれたものであろうと里人は話し合い、社を建てて剣を祀った。 

 その里を「放出」と呼ぶ。

 阿礼が聞いた中でも特に新しい話だ。なんと言ってもそれは前の帝の即位の頃の話だというのだから、阿礼の生まれた後の話なのだ。

 今もその剣を大切に祀っているのだと、阿礼に話したタヅという男は誇らしげだった。

 その剣がどこの剣なのか、なぜ放出にもたらされたのかはわからない。ただ、それは祀るべき剣であるとわかったから、里人は大切にしているのだ。

 自分が知る、猿女が伝えて来た物語は、確かに今に繋がっている。そんなことを実感させてくれる話だった。その剣のいわれを、放出の里人は知りたがっているらしい。阿礼はそれらしい伝承を見つけたらタヅに教えると約束した。

 

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