第二部8受け継ぐべきもの

 年が明けた。

 案の定、美津は宮中から退くことになり、年の瀬に新しい猿女として、比売田の里から沙耶さや紀里きりが上って来た。

 最も年長のサヨは結局、猿女にはならなかった。男を通わせて子を身籠っていたからだ。

 真礼には信じられなかった。

 比売田の里は猿女の里。はるか祖神である夫婦神に始まって、伝承をもって天孫の一族に仕えてきたことが誇りだ。

 それが猿女の候補に選ばれながら、やすやすと男を通わせるなど、あってはならないことだ。

 年若い二人の猿女は教えなければならないことも多く、かえって手が取られた。ただ、その分真摯ではあり、真礼の気持ちも幾分なだめられた。

 新年の慌ただしさが過ぎると、正式に美津が去った。

 真礼が猿女として宮中に上ってから九年。真礼もすでに二十六になる。

 あと十年か、二十年か、いずれ真礼も宮中を下がる日が来るのだろう。そうすれば比売田の里に戻りお婆のように、大刀自として暮らすことになるのだろうか。

 猿女を引く理由は一つではない。

 体が弱って猿女の任に耐えずと引いた美津は余裕のある方で、死病を病めば穢れを避けて宮中を出なければならないし、事情があれば婚姻のために引くこともある。

 いずれ月水の絶える日が来れば、猿女の資格を喪失したと言う事で、やはり宮中を出る。

 真礼は子を産む必要はない。

 比売田にはまだ月水を迎えない猿女の候補が育てられているし、自分の血筋については双子の阿礼がいる。

 血を残す事は阿礼にまかせて、真礼はただ良き猿女であればいい。

 だから。

 いずれ猿女の任に耐えぬようなるか、死病を病むか、月水が絶えるか。

 その日までは猿女として、宮中に仕えることになるだろう。

 その事に不満はない。

 理想の猿女をなぞって生きてきた真礼としては本望だ。

 それだけにサヨの有り様に納得がいかない。猿女の候補として出仕を目前にしながら、なぜサヨは男など通わせたのだろう。


 年が明けたからと言って何か状況が劇的に変わることなどまずない。大海人はいつもの年明けの行事を淡々とこなした。

 それでも年が改まったことで、心機一転の仄かな期待は生まれている。大海人としてはその期待に乗って少しでも改革を進めたいところだが、まだまだ天災の記憶は濃く、大きな動きは取りづらい。

 慌てるな、焦るな。

 そう自分に言い聞かせながらの足踏みを、延々と続けているようなもどかしさは、大海人を疲弊させた。

 大海人も五十になる。既に老人と呼ばれる年だ。即位してから十年という年月は、老いという重石をずしりと大海人の背に乗せている。

 慌てるな、焦るな。

 自分に言い聞かせ続ける一方で、あとどれだけの時間があるのかと自らに問う声も湧く。

 兄の享年はとおに越えた。

 母が初めて即位したのが四十九の時なのだから、まだまだという気持ちもあるが、すでに若くはないという事実は動かしようもない。

 なんとか律令制の端緒を掴みたい。

 天皇を中心とする確固とした国家の礎石を置きたいという思いは強くなる一方だ。

 「また、年が改まりました。律令の発布に近づいたのですわ。」

 大后讚良はいつも大海人の焦燥を静かになだめる。諦めずひたすらに目指す場所へと向かうなら、確かにじりじりとは近づいているはずで、前進を焦るよりは後退のもとになる瑕疵を作るまいということに、意識を変えさせてくれるのだ。

 そして何より讚良の落ち着きは、遥かに年長である自分の、軽々しい焦りへの戒めだった。

 今も艶やかで「年を取ることを忘れたひと」と囁かれる額田とは違う意味で、讚良も年齢を感じさせない。ごく少女の頃から手堅い落ち着きを備えていた讚良は、年齢を重ねることでの印象の変化がほとんどなかった。

 「讚良お前、いくつになった。」

 「三十六でございます。」

 聞けばためらいも遅滞もなく答えが返る。

 大海人が三十六の頃といえば、京が大津に移った頃だ。あの時の自分はこれ程に揺らぎない落ち着きを備えてはいなかったように思う。

 「そうか。まだまだだな。」

 まだまだ、自分は腹の据え方が甘い。

 まだまだ、讚良は若い。

 そしてあとを継ぐ草壁はもっと遥かに若いのだ。

「左様でございます。まだまだ道は遥かですわ。」

 ふとこぼれた讚良の笑みに、大海人は讚良のもとへと通い初めた頃の事を思い出した。


 太田皇女と鸕野讚良皇女の元に大海人が通い始めたのは、彼女たちがまだ少女の面影を宿している頃のことだ。母親の越智娘はすでに亡く、祖母である帝と叔母の姪娘の庇護を受けていた姉妹を、姉妹の父である葛城から弟の大海人が任されたような形だった。少し前に大海人の妃であった額田が葛城の妃になおっているので、その代わりというような意味合いもあった。

 姉の太田はふわりとほころびた大輪の花のような少女だった。幾分目尻の下がった優しげな顔立ちに、ふれると吸いついてくるようなもち肌で、葛城の寵姫であったという母親の面影を宿している。

 妹の讚良は姉に比べて明らかに父似だった。

 切れ長の大きな目に、すらりと通った鼻筋の整った顔立ちは、姉とはちがって硬い琅玕の珠を思わせる。

 見るからに柔らかな姉の唇と違い、薄く引き締まった口元は、少年のように引き締まっていて、吸ってみても柔らかくほころびる手応えは薄かった。

 姉妹のうち大海人に女としてより寵愛されたのは姉の太田だった。

 だが、大海人の人生においてどちらがより重要かと問われれば、間違いなく讚良の方だ。大海人が寵愛した女は多いが、讚良の代わりの出来る者はいない。

 大海人が髪をおろして吉野に隠棲しようというとき、剣を取って京に帰ろうというとき、常に傍らに讚良がいて、大海人を支え続けた。

 もしも太田が生きていたとして、讚良ほどの大后になる事は望むべくもなかったろう。もしかしたら姉妹の順を乱しても、大海人は讚良を大后に据えることになったかもしれない。

 太田の産んだ二人の子も、大海人の望むようには育たなかった。祖父の葛城のもとで育ったことで、幾分甘やかされたのかもしれない。伊勢の斎宮をつとめている姉の大伯皇女は、祖母の越智に生き写しという評判だったから、二代続けて母に死なれた子らの哀れさが、葛城の心を掴んだのだろうか。

 そもそも姉妹でありながら、太田と讚良は鏡と月ほどにも違ったから、もっと根本的な資質の違いなのかもしれない。 

 太田の産んだ弟の大津皇子は頑健な体質と陽気な性格に、軽々しさが目につく。讚良の産んだ草壁が幾分病弱ながら大兄とされているのも、年齢が僅かに上であるという事だけが理由というわけでもないのだった。

 できることなら自分の代の内にある程度形にしたい。次代に不安定な形で引き継げば、ほとんど同格の皇子二人を担いでの争いにもなりかねない。

 それは讚良にもわかっているはずだが、讚良はその焦りをまるで出さない。そんな讚良を見ていると、讚良がいればなんとかなるのではないかとも思える。

 とにかく今は一つ一つ、望む方へと進むしかない。

 太宰府から持ち出した文書を移した難波宮では、今も仕分けが続いている。断片的ではあっても律令の資料も見つかってはいるのだ。

 焦るな、焦るな、焦るな。

 目をつむり、自分に言い聞かせる。

 この国の行く末に、これは必ず必要な事だ。だから決して焦ってはいけない。

 国家百年の計の礎を確かにしなければならないのだから。

 

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