ウィリアムepisode 6
さっき、観音扉から誰かが出てくる気配があったが、殿下だったようだ。腕を組み、にやにやと人の悪い笑みを顔に張り付けてこちらを睥睨している。
「殿下」
付き人の騎士が愕然としたように呟くのと、ランスロットが佩刀を抜くのは同時だった。
「シャーロット」
呼びかけ、半歩前の彼女の腕を掴んで、僕の後ろに下がらせる。
「殿下のところにいなさい」
横目で見た彼女は、がくがくと頷きながらも殿下のところに向かったようだ。
「ウィリアム様が……」
シャーロットの泣き出しそうな声が背後で聞こえる。殿下は、ふん、と鼻で嗤ったようだ。
「俺の死刑執行人を馬鹿にするとどうなるか思い知れ」
だったら、自分でやんなさいよ、と笑い出したくなる。
さて、と。殿下の許可はおりたものの。
僕は中段に構えるランスロットを見た。
構えが硬く、肘が横に張りすぎだ。あれでは柔軟に対応することはできない。
おまけに足の運びも悪い。時機をうかがっているのだろうけど、無駄な動き程自分の隙を作る。
アレクシア殿に依頼されて、アルフレッド坊ちゃんの剣術を指導しているけれど。
これでは、坊ちゃんの方が筋が良い。
「なにを笑っている」
知らずに笑っていたらしい。ランスロットに怒鳴られた。僕が肩を竦めた時だ。
ランスロットが一歩、僕に踏み出してきた。
同時に僕は剣を抜き、上段に構える。
左足で一歩踏み込み、目の前で大きく振りかぶってやる。
途端に。
竦んだようにランスロットの足が止まる。
中段から、振り上げようとした剣の柄は、微妙に顔の辺りで止まった。
反射的にその手首に剣を振り下ろそうとしたけれど、剣先を揺らす程度で留める。
背後からは殿下の舌打ちが聞こえ、おいおい、と内心で失笑した。本当に斬ったらまずいでしょう、と。
ランスロットは、奇妙で中途半端な構えのまま、左右に忙しなく瞳を動かす。
怖いんだろうなぁ、と心の中で僕は思う。
僕と彼との身長差は頭一個分ぐらいか。
肩幅も僕の方が広いし、今は上段に構えているからさらに大きく見えるだろう。
その大きな相手が目の前で剣を振りかぶっている。
その剣先は、いつ自分の頭上に落ちてくるかわからないのだ。
しかも、愚かなことに自分から間合いに入ってしまっていた。
間合いから出ようにも、攻めて行こうにも、自分の真上にある僕の剣の切っ先が気になって仕方ないはずだ。
身長の低い騎士でも上段を使う相手はいるが、やはり、大柄であればあるほど、この構えは有利だ。
何故なら。
相手が、威圧感を覚えて勝手に恐慌状態になるからだ。
「スターライン卿!」
突然、悲鳴が上がり、僕とランスロットの間に付き人の騎士が頭を腕で庇いながら飛び込んできた。片方の手で自分の頭を防ぎながら、もう片方の手で、ランスロットを地面に引き倒す。緊張と緩和が同時に来たのか、ランスロットはいとも簡単に庭の芝生の上に尻から座り込んだ。
「はい」
返事をすると、地面に突っ伏したまま騎士は僕に訴える。
「若はまだ未熟者でございます! 若のかわりにこの私が謝ります! どうぞ、剣をお納め下さい!」
必死な形相で顔だけ起こし、騎士はそう言った。僕は構えを解きながら、それでも首を横に振った。騎士は絶望したように口をあんぐりと開けたので、慌てて僕は口を開く。
「僕のことはどうでもいいんです。ただ、殿下を呼び捨てにしたことは、殿下に謝っていただく。それが礼儀というものでしょう?」
「若っ!」
騎士は、今日一番の怒声を張った。
それまで茫然と座り込んでいたランスロットは、弾かれたように肩を震わせると、僕の肩越しに見えるらしい殿下にむかって、がくり、と頭を下げた。
「大変失礼をいたしました。申し訳ございません」
僕は振り返り、殿下を見る。
殿下はシャーロットの側に立ち、つまらなそうにこちらを見ていた。
「よろしいですか?」
僕が尋ねると、ふん、と鼻で嗤った。
「お前はやっぱり変わったな。昔なら斬り殺してただろ。やれ、かまわん」
そう言い放つ殿下は、僕にとっていつもの殿下なのだけど。
対外的には柔和で穏やかな印象を与え続けていただけに、騎士とランスロットは慄いたように殿下を見入っている。
「いやいやいや。それはまずいでしょ。僕ならもう十分ですから」
くだらん。殿下はそう言うと、付き人の騎士の方に視線だけ向けた。
「申し訳ないが、今日は引き取ってもらえるか? できれば躾をしなおしてから当家に来てもらいたいものだ」
「申し訳ありません。失礼いたします」
騎士は平伏すると、ランスロットを引きずるようにして庭の奥の方へ走り去っていった。
「様子を見に来て下さったんですか?」
僕は剣を鞘に戻しながら殿下に尋ねる。殿下はつまらなそうに前髪をかきあげると、ちらりと観音扉の方に視線を向けた。
「アレクシアが、やけに心配するからな」
そう言った後、やっぱり人の悪い笑みを浮かべた。
「ランスロットから守っても、次はお前がシャーロット嬢に手を出してるんじゃないか、って」
僕が苦笑すると、殿下はゆっくりと館の方に歩き出した。
「俺は今からアレクシアとダンスを踊るから、そっちはそっちで適当に」
無造作にそう言い捨て、さっさと扉の中に入ってしまった。
「どうして、怒らないんですか?」
さて、僕はどうしたもんか、と思っていたら、不意にそんな風に声をかけられた。
「怒るって?」
声の方に顔を向けると、シャーロットが僕を真っ直ぐに見据えている。僕は首を傾げて彼女に尋ねた。
「殿下への無礼にはあんなにお怒りになりましたのに。どうして、ご自身が侮辱されてもお怒りにはなりませんの?」
「どうして、って」
僕は苦笑する。
「別に。僕は殿下さえよければそれでいいから」
「わたくしは良くありません!」
シャーロットは握った両こぶしをぶんぶんと振りながら僕に訴えた。
「ウィリアム様が侮辱されるなど、耐えられません!」
頬を紅潮させて、怒るシャーロットをどこか眩しく思いながら、僕は首を横に傾げる。
「僕の側に居たら、いつもこんなだよ?」
その言葉に、シャーロットはつぼみのような口を閉じた。僕は眼を細め、彼女の顔を覗きこむ。
「君は僕に好意を寄せてくれてるみたいだけど、僕の身分なんて、吹けば飛ぶほどに軽い。僕の側にいたら、いつもこんな不愉快な思いをするんだよ?」
彼女にそう告げた。
それで。
彼女が僕のことを諦めればいい。
そう。
思ったのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます