第2章

第6話 ぶさいくな女どもを蹴散らしてくれる

 ◆◆◆◆◆◆◆


「ジュリア姫?」


 私はドアをノックする。

 ドアに耳を寄せ、室内の音に集中するが、返事も物音も聞こえない。

 隣のウィリアムを見上げる。彼も困ったように肩を竦めるばかりだ。


 この部屋にいない、ということはないのだろうけど……。


「まさか、逃げ出した、ってことはないよね」

 ウィリアムはくすり、と可笑しそうに笑う。


 おいおい。笑い事じゃないわよ。

 私は溜息をつくと、周囲を見回した。


 人影は廊下には無かった。

 私は、小声だが、しっかりとした発音で扉の方に向かって声をかける。


「ジュリア? いるんでしょう。準備は出来ていますか?」

「うるさいっ」

 返事は早かった。


 いるんじゃない。

 顔を上げてウィリアムを見る。

ウィリアムは小さく噴出したようだ。


 ドアノブに手をかけ、大きく内側に向かって押す。

 チョコレートの板を貼り付けたようなドアは、なんの抵抗も無く開いた。


「ジュリア」

 大きく溜息をつく。

 部屋の中には、布張りの長椅子に寝そべるジュリアの姿があった。


 私とウィリアムは素早く室内に入り、後ろ手にドアを閉める。とてもじゃないけど、外部の人に見せられた姿じゃない。


「もう、舞踏会は始まってますよ。みんながジュリアを待っているんです」

 焦りながら声をかける。


 長椅子に寝そべるジュリアは、頭さえ起こそうとしない。


 桃色のハイネックのドレスを着て、髪も折角結い上げているのに、気にもしない様子でクッションに押し付けている。


「行かない」

 ジュリアは天井を見上げたまま、ぶらぶらと足を揺すっている。

 私の頭の中で、かちん、と硬質的な音がした。


「行かないなんて、選択肢はありませんっ」

 気付けば怒鳴っていた。


「ジュリアが参加したい、というから、我々はここにいるんですよっ」

「うるさいっ」

 がばり、とジュリアは上半身を起こす。


 ほっとしたことに。

 あれだけ時間をかけて結い上げた髪形に崩れはなかった。


「俺に指図するなっ」

 睨みつけてくるその瞳に、私はひるまない。


 というか、ここ数ヶ月で、コレぐらいには慣れた。〝怒鳴る〟〝凄む〟にひるんでいたら、この人の付き人にはなれない。


「指図されたくなかったら、ちゃんとしなさいっ」

 怒鳴り返すと、ジュリアは一瞬口を開いたが、結局言葉が見つからず、こっちに向かってクッションを投げる。


 間一髪でクッションを避けると、一歩ジュリアの方に歩み寄った。

 腰に手をあてて、座ったままのジュリアを見下ろして、言う。


「早く大広間に行かないと、みんなが不審に思いますよ」


「アレクシアのばかっ」

 ジュリアはそう怒鳴ってそっぽを向く。子供か。呆れて彼を見下ろした。


「ジュリアがこの舞踏会に参加する、って言いだしたんでしょう」

「大事なお役目があるんじゃなかったですか?」

 ウィリアムが優しくジュリアに尋ねている。


 ないわー。

 私にはこんな優しさないわ。


 だけど、ウィリアムの〝優しさアピール〟は効を奏しているらしい。ちらり、とジュリアがウィリアムに視線を向ける。ウィリアムはにっこりとほほ笑んだ。


「サンダース公爵夫人には、ジュリアが体調不良でしばらく部屋で休んでいる、と説明していますが、流石にこれ以上遅くなるのはいけません」

 ウィリアムが相変わらず頬に微笑を滲ませてジュリアに言った。


「さぁ。早速会場に向かいましょう」

 ジュリアはそんなウィリアムの顔を見ていた。

 てっきり、その指示に従うのかとおもいきや。

 急に目を細めて、じっとりとウィリアムを睨む。ぼそりと呟くように言った。


「舞踏会にはお前のお気に入りのアンやミランダが来てるんだろう」

「来て……、ますね」

 ウィリアムは相変わらず表情は変えない。表面上は穏やかに微笑んだままだ。


 この教会騎士を間近で見続けて気づいた事。

 それは。

 かなりの女ったらし、ということだ。


 騎士という立場や、甘いマスクで社交界の女性にはかなりモテるらしい。とっかえひっかえ、とまでは言わないが、かなり浮名を流しているようだ。

 ジュリアだけではなく、私もウィリアムを湿気に満ちた瞳で見てしまう。


 なんだ。ジュリアを急かして会場に行きたいのは、自分にも目的があるからか。


「結局、お前が会場に行きたいのは、お前の女たちに会いたいからだろう」

「何をおっしゃるやら」

 ウィリアムは小さく肩を竦める。


「アンもミランダも。……いえ、舞踏会場の女性の誰もが、ジュリアの前では霞みますよ」

 ウィリアムの言葉に目を丸くする。

 そんな私に気付かないのか、それとも無視しているのか、ウィリアムはにこにこしながら言葉を続けた。


「アンもミランダも、僕の前では、常に〝二番〟です。〝一番〟はジュリアだ。僕が早く会場に行きたいのは、そこに参加するすべての男たちの視線を、貴方が奪う様を見たいからです」


 なぁにを、言ってんだ、この男は。

 私は呆れたようにウィリアムを見上げる。


 だけど、ジュリアは違ったようだ。

 青い目の奥がきらり、と輝く。

 おもむろに立ち上がると、


「よく言った、ウィリアム」

 と、満足そうに背筋を伸ばした。


「それはそうだ。だ」


 すっくと背筋を伸ばして立ち上がると、すらりとした肢体にまとった桃色のドレスと相まって、いつも以上に可憐に見える。


「俺の容姿の前では、どんな女も霞んでみえる」


 その自信がすごい。

 さっきまで、「行きたくない」だの「来なけりゃよかった」だの、「なんで俺は生まれた時から女装させられてんだ」と愚痴愚痴愚痴愚痴言っていた人とは別人に見える。


「全くその通りです」

 ウィリアムは恭しく頭を下げる。その視線をちらりと上げ、私に向かって小さくウインクして見せた。


 すばらしい操縦術だ。

 内心で苦笑する。


「では、パーティーを乗っ取りに行くぞ。ぶさいくな女どもを蹴散らしてくれるっ」

 ジュリアはウィリアムが差し出した腕に手を伸ばす。


「アレクシア、着いて来いっ」


 はいはい。

 小さく返事をし、慌ててその背後についた。

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