第25話 ユリウスの結婚相手

◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「一体、何をどう食べたらこんなに治りが早いのかね」

 山羊髭の医師は、驚きを通り越して訝しそうに私の腕を眺める。


「そんなことを聞かれても……」

 困惑しながら答えた。


「他の人と同じものを食べてますけど」

「お前、人間じゃないんじゃないか」


 私の隣に立って診察を見ていたジュリアが呆れたように私に言う。

 私はむっとして顔を上げた。


 上げて。

 やっぱり見慣れないジュリアの格好にちょっと戸惑う。


 背中の半ばを覆っていた髪は短く切りそろえられ、ふわふわとした絹のドレスを着ていた体には、今は軍服を羽織り、佩刀をつけている。


 似合う。

 男らしいし。


 いや、そもそも男なんだから、この格好が本当なんだけど、何を着せても似合うんだなぁ、となんだか少し落ち込む。


 ……これじゃあ、全く私とは次元が違う人だ。


「このまま傷跡は残るのか? 消えないのか?」

 私の視線や気持ちに気づかないのか、ジュリアは診察道具を鞄に片づけ始めた医師に尋ねた。


「これぐらいは、残ったうちに入りませんよ」

 医師は小さな目を驚いたように見開く。


 私もそう思う。

 まくり上げたブラウスからむき出しの左腕をねじり、自分の傷跡を見た。


 やっぱり、ウィリアムの判断は素晴らしかったとしか言いようがない。

 綺麗に縫ってくれたせいか、肉の盛りもなく、妙なひきつれもなかった。大きく赤いみみずばれのような線は残っているけれど、これは仕方ない。


「こんなものですよ」

 顔を上げてそう言うと、ジュリアは不満そうに口をへの字に曲げた。


「ウィリアムの縫い方が下手だったんじゃないか?」

「そんなこと、本人の前で絶対言わないでくださいね」

 人差し指を突き立てて厳命する。


「では、私はこれで」

 医師はそんな私たちを見てくすりと笑うと、山羊髭をひとつしごいて、鞄を持った。


「なんだか一雨来そうな天気ですな」

 医師は室内の窓を見ながら呑気にそう言った。

 つられて窓に視線を移すと、確かに、今にも降り出しそうな灰色の雲が、重く垂れさがって来ている。


「このところ、雨が続きますね」

 呟くように言うと、医師は小さな目を心配そうにぱちぱちさせた。


「このあたりはまだいいんだが、山の方では土砂が雨で膨れかかっているらしい。良い加減にからっと晴れてほしいもんだ」

 溜息交じりにこぼし、扉に向かって医師は歩く。

 私はイスから立ち上がり、小さく頭を下げてブラウスの袖を下した。


「もう、お医者様に診て頂かなくても、大丈夫ですから」

 そう言って、私はジュリアと向き合う。


 ジュリアは無言で片眉だけ跳ね上げた。にっこり笑ってみせると、「アレクシアがいいなら」と、ぼそりと答える。


 ジュリアのおじい様であるロゼッタ卿の屋敷に着いた途端、医者が呼ばれ、それ以降、一週間にわたって毎日その医者は私を診にこの館を訪問してくれていた。


 おそるおそる治療費のことを尋ねると、ロゼッタ卿は鷹揚に笑って、『孫をかばって怪我をしてくれたんだから、それぐらいのことはさせてくれ』と言ってくれた。


 正直、本当にほっとした。治療費を払う蓄えすらまだないので、いざとなったら医師の訪問を断ろうと思っていたところだった。


 ふと、こつこつと扉がノックされる。

 はい、と返事をすると、扉が開いて私と年がそんなに変わらない従僕が顔をのぞかせた。


 室内にジュリアがいることを確認すると、「こちらにいらっしゃいました」と背後の人物に声をかける。


「治療が終わったところだったんだな。さっき、医師に廊下で会ったよ」


 入ってきたのはロゼッタ卿だった。

 鬢も頭髪も真っ白だけど、背筋もぴんと張り、肩幅もしっかりしている。


 ジュリアと同じようにこの国ではかなりの長身の部類で、若い頃はさぞかしもてたんじゃないかな、という顔立ちをしていた。

 ジュリアはなんだかんだとこのおじい様を苦手にしているようだけど、容姿の面においては、とてもよく似た家族だ。


「ロゼッタ卿には本当にご迷惑をおかけし、ありがとうございます」

 足首まであるスカートを少しつまみ、膝を曲げて頭を下げる。


「これぐらい、礼には及ばないよ」

 ロゼッタ卿は笑う。なんというか。人に礼を言われなれた感じだ。


「それより、ユリウス。お前に見せたいものがあるんだ」

 ロゼッタ卿はジュリアに向き直ってそう言った。


 ユリウス、というのがジュリアの本名らしい。

 確かに、ジュリアを古語読みにして、男性形に直せば、ユリウス、になる。

 ロゼッタ卿が何度か柏手を打つと、5人の従僕たちが一人一枚の額縁に入った絵を持って入室してきた。


 すべて、若い女性のバストアップの肖像画だ。

 額縁は、大小さまざまな形をしていたけれど、肖像画の女性はどれも美人で、金色の髪と白い肌をしていた。


「お前の方から向かって右側から紹介しよう。フローレンス・ベーコン嬢、アン・オルグレン嬢」

 滔々と名前を読み上げるロゼッタ卿を、ジュリアは戸惑ったように見上げ、私はその戸惑ったジュリアを見上げている。


「まぁ。爵位があるのはフローレンスとアンだけだな。あとは爵位を金で買ったような商人だ。お前の妾でもいい、と言って来ている」

 ロゼッタ卿は、ふむ、と鼻から息をひとつ抜くと、自分でも腕を組んで肖像画を見始めた。


「まぁ、肖像画は2割増しだからな。実際に会ってみないと、本当に美人かどうかはわからんよ」


「話が、読めないのですが」


 ジュリアはそう言うが、しかめた眉からなんとなく気配を察したようだ。

 ロゼッタ卿がジュリアを振り返るように一瞥し、「お前の結婚相手だよ」と返答した時には、やっぱりか、と言いたげに小さく舌打ちしていた。

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