第29話 お前は俺のものだ

「平気じゃないけど」

『その娘の容姿はダメだ。姉たちの方ならまだしも、異国の血を濃く引きすぎている。お前にはふさわしくない』

 ロゼッタ卿の言葉が耳から離れない。


「私は、貴方に相応しくない」

「そんなのは俺が決める」

 ジュリアは頑固に言い張った。


「お前は俺のものだ」

 どきり、と心臓が拍動した。その拍子に目からまた涙が零れる。ジュリアは私の肩を掴んだまま、自分の顔を近づけてきた。不意に、口唇を重ねる。

 もう、動けなかった。

 酩酊に似た、まどろみに似た感覚が頭一杯に広がる。痺れたように身体が動かなかった。

 そのまま床に押し倒され、ジュリアの口唇が私の首筋に当てられる。

「ちょ……。ジュリア」

 ジュリアを押し返して上半身を起こそうとしたのに、ちらりと視線だけこちらに向けて睨まれる。


「ユリウスだ。二度とその名で呼ぶな」

 そう言ってまた口をふさがれる。気配で、ブラウスのボタンに指をかけていることがわかるけど。

 どうしようもない。

 温い湯船に全身を浸したような多幸感に包まれて、体から力が抜ける。


 その時。

 本当に、突然。

 馬が、いなないた。


 ジュリアが顔を起こす。私も一瞬我に返った。

 その次の瞬間だ。


 雷鳴じゃない。

 もっと低い「音」が響いてきた。


 ジュリアが私から体を離す。馬はいななき、暴れるように前足を掻くような音を立てた。

 ジュリアが私を床から引き起こして抱きしめるのと、「揺れ」が始まったのは同時だった。


「地震?」

 私はジュリアに抱きしめられたまま悲鳴を上げる。長い横揺れの後、短く早い縦揺れが始まった。小屋がみしみしと不機嫌な音を立て、私の不安を掻き立てる。立って逃げたいのだけど、まず立てない。

「長いな」

 ジュリアは私を抱きしめたまま、舌打ちする。私も思う。とにかく、止まらない。いつまで揺れるのか、それもまた不安だ。

「立てるか?」

 ジュリアは強引に私を引き起こす。大分揺れが収まりつつあるのが幸いした。私は頷き、ジュリアを支えに立ち上がる。

「小屋がまずい。潰れそうだ」

 ジュリアは私を腕の中に抱えたまま、扉に向かう。ちらりと天井を見ると、梁が地面に向かって押し曲げられ、古い埃がもうもうと煙のように上がっている。

外れかかり、斜交いに止まった扉が幸いした。良い感じでつっかえになり、出入り口を塞ぐ事を防いでいた。

 ジュリアはその隙間に私を押し込んで先に外に出すと、続いて自分も出てきた。

 途端に、また大揺れが始まる。

 今度は突き上げるような下からの揺れで、私はよろめいて地面に膝をついた。ジュリアはその私の肘を取ってひっぱり、もう片方の手で木の枝にかけている馬の手綱を取って小屋から離れた。

 みしみしと。

 軋むような、揺れるような、押しつぶすような音で振り返ると。

 小屋は、土煙を上げて崩れていた。

「あ……。あぶな……」

 もう、それしか言えない。馬はというと、「怖かった」とでも言いたげにジュリアの顔に鼻面を押し付けている。

「止まったな」

 ジュリアは大きく息を吐くと、馬の顔を掻いてやりながら呟いた。

 確かに。

 しつこい揺れはようやく収まりを見せた。


「ジュリア! アレクシア殿!」

 私たちの名前を呼ぶ声に、私とジュリアは顔を合わせる。ウィリアムだ。

「ここだ!」

 ジュリアが大声を上げると、蹄の音が次第に近づいてくる。

「ご無事でなにより」

 ウィリアムは私たちを見ると、陽気に笑った。身軽に馬を降り、手綱を引いて近づいてくる。炭小屋を見て、「うわ、何これ」と驚いていた。


「館は無事か?」

 ジュリアが心配げにウィリアムに尋ねる。ウィリアムは呆気に取られたように炭小屋を見ていたけど、ジュリアを見て首を横に振る。

「僕が出たのは地震の前です。今はどういう状態なのか、わかりません」

「すぐに戻ってください。山間の村も心配なんでしょう?」

 私はジュリアに声をかける。「じゃあ、一緒に」。そう手を伸ばすジュリアに私は首を横に振った。

「一人の方が早いでしょう。あれだけの揺れですから、なんらかの被害があるかもしれない。先に戻ってください」

「アレクシア殿は僕が馬に乗せて帰りますよ」

 ウィリアムがにっこり笑ってジュリアに言う。ジュリアはそれでも逡巡するように何度か私とウィリアムの顔を交互に見たけれど、

「宜しく頼む」

 そう言って鞍にまたがると、馬の腹を蹴って駆け出した。


「意外に範囲が広そうな地震だね」

 ジュリアの姿が見えなくなると、ウィリアムはふぅ、と息を吐いて私に言う。そうかもしれない。私は頷く。だとしたら、遠方にも被害が及んでいるかもしれない。姉や妹たちが心配だ。無事だろうか。


「あのさ」

 ウィリアムに声をかけられ、私は彼を見る。ウィリアムはごそごそと軍服の内ポケットから大判のハンカチを差し出してきた。

「……えっと」

 私は戸惑う。どこか、怪我でもしているのか、私。これで何をしろというんだろう。

「ハンカチなんだけどさ、これ、大きいから。なんていうか……。首に巻いてスカーフみたいに出来ると思うんだよね」

 ウィリアムは首を横に傾げながら、にっこりと笑う。


「そしたら、首のキスマークが隠れると思うんだ」

 それを聞いた瞬間、顔から火が出るかと思った。

 反射的に首に手をやると、ブラウスのボタンも一つ二つ外されている。もう、穴があったら、入りたいとはこのことだ。


「ジュリアにはちゃんと僕から注意しておくよ。他人の目の届くところにはつけるな、って。だいたい所有欲の強い奴がつけちゃうんだよねぇ」

「コレは違うのっ」

「何が違うの? ジュリアじゃないの?」

「……っ。ジュリア」

「でしょ?」

「それ以上は何もしてないというか」

「そりゃそうだ」

 ウィリアムは陽気に笑う。

「だって、ロゼッタ卿に言われて僕が追ってからここに来るまでの間に、そんなに性急にことは運ばないもんねぇ」

「……っ。そういうことでは」

「まぁ、とにかくソレは隠して。ブラウスのボタン締めて。ロゼッタ卿にでも見つかって感づかれたらまたややこしいから」


 ウィリアムに言われ、確かにそうだ、と私は相変わらず顔を真っ赤にしたまま、彼に背を向けて、ブラウスの襟首からもぞもそと大判のハンカチを押し込んだ。

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