第38話 俺に会えなくて寂しかったか?

「誰だと思ってるわけ?」


 ユリウスは更に不機嫌に私を見下ろす。


 手を伸ばして彼の腕に触れる。

 触れるまで、自分が震えているということに気付かなかった。


 私の手は彼の腕を掴み、彼はそれをただ一瞥する。


「お前を探すのに、どれだけ苦労したか」

 ユリウスは憮然とした表情で、腕を掴まれたままそう言った。


「あの大司教は強情ごうじょうで言わねぇし」

 思いっきり顔をしかめている。


「拷問にかけろ、ってウィリアムに命じたら、『いやぁ、これでも僕、教会騎士なんで、それはちょっと』って言うし……」


 あの大司教様。

 ちゃんと私のお願いを聞いてくれたんだ。


 ……その結果、拷問にかけられる寸前だったとは……。ごめんなさい。大司教様。


「おじい様は隠そうとするし。お前の家族に聞いても、『妹の居場所をこっちが知りたいぐらいだ』と泣きつくし」

 ユリウスは、ふん、と鼻で息を抜く。


「結局、ウィリアムと二人でなんとか探して二年も経ったよ」


 やっぱり、あの私を探しているという騎士はウィリアムだったのか。

 ぼんやりそんなことを考えていると、ユリウスは私が掴んだ腕を取って、部屋の中に入る。


「まぁ、座れよ」


 貴方の家じゃないでしょ。

 そう苦笑しながらも、ユリウスに促されるままにソファに腰掛けた。彼も隣りに座る。


「なんで俺から逃げてるわけ?」

 ユリウスは私の顔を覗き込むようにして尋ねる。


「……だって」

 口ごもると、ユリウスは意地悪く笑った。


「どうせ、妙な気でも遣ったんだろ。俺が王位を継いだし、とかなんとか」

 そう言われ、唇を噛んで俯く。


 ユリウスの視線を感じていたけど、私は自分からは何も言わなかった。

 呼吸を吐くように、小さくため息をつき、彼は言葉を続ける。


「俺が王だから逃げてました、っていうんなら、もうその原因は解消したから」


 ユリウスの言葉に、顔を上げる。

 驚いた私を見て、可笑しそうに笑った。


「あと1ヶ月程度で、王権は完全にエドワードに移行する」


「はぁ!?」

 声を上げる私に、ユリウスは背もたれに上半身を預け、足を組む。


「もともとそういう約束だったんだ。ある程度落ち着いたら、エドワードに王位を譲るって。おじい様も死んだしな」


「……亡く、なられたんですか……」

「半年前にね」

 ユリウスは肩を小さく竦めた。もう、彼の中では整理がついたような表情だった。


「俺が進めた施策については、引き続き進める、っていう約束で王位を譲っている。まぁ。それを守らなければ、また反乱軍を率いるだけなんだけど」

 人の悪い笑みさえ、なんだか、懐かしい。


「キスマークが消えて大分経つけど。俺以外の男に乗り換えて無くてよかった」


 絶句して。

 ユリウスを見上げた。

 彼にとっては、まだ有効な話だったのだろうか。


 私は彼のもので良いのだろうか。

 あの話の続きは。

 こんなに、幸せな結末でいいのだろうか。


「アレクシアに会ったら、絶対言ってやろうと思ってたことがあってな」

 黙っていたら、不意にそんなことを言い出した。


「私に?」

 尋ね返す。ユリウスは瞳に複雑そうな色を滲ませて私を見た。


「俺、お前と別れて戦場に行ったじゃないか」

 あの晩のことだ。


「あの後、王都で宣言を出したけど、すぐに敗走して……。っていうか、ほとんどずっと敗走なんだけど」

 つまらなそうに、顎を掻いた。

 ……まぁ、そうだよね。うん。よく最後の最後で勝てたよ。


「秋口に、潜伏先をまた襲われてさ。山間の渓谷で野宿してるところを急襲されて、崖から川に飛び込んで逃げたんだよ」

 その時のことを思い出したのか、面白くなさそうに顔をしかめた。


「寒いし、急流だし、ウィリアムからはぐれるしで、散々でさ。あ、これ俺死ぬな、って思ったんだよ。もうダメだ、って」

 ふん、と鼻で息を抜いて、前髪を指ではじく。


「その時、『ああ、やっぱりここで死ぬんなら、あの時アレクシア抱いとくんだった』って思って」


 ユリウスはそこで、私を睨みつけた。


「思った瞬間、ものすごく腹立ってさ。あいつ、あの時、気を利かせろよって」


 いや……。この男、何言ってんの。


「もう、これは絶対生きて帰って、あいつを抱いてやる、って思ってさ。必死で川を渡ったんだよ」


 それ、私に聞かせて、どうしろと。


「結果、こうやって生きてるわけだから、そのことについては感謝している」


 ……どのこと。なに。ちょっと分かりにくいんですけど。


「王位に就いたら就いたで、結構女が寄ってくるんだよ。寄ってくるんだけど、なんかこう。誰に対しても食指が伸びなくてさ」


 はぁ。


「俺、病気かなって真剣に悩んだ」


 ふぅうん。


「結局、いろんなことを妄想するのも想像するのも、相手はお前でさ。これはあれだ、もうアレクシアに会うしかない、って」


 ……素敵な再会、という話ではなくなってきた。

 目の前の男が、欲の塊にしか見えないんですけど。


「お前は俺に会えなくて寂しかったか?」


 私の顔を覗き込むようにしてユリウスは尋ねる。

 途端に、噴出した。

 なんだかんだで、聞きたいのはそのことか。


「……寂しかったですよ」


 数年前にいえなかった言葉を、今、伝える。

 ユリウスは満足そうに笑った。

 昔のままのあの、傲岸そうな笑みだ。

 つい頬が緩む。変わらないなぁ、本当に。


「だろうと思った」

 そう言われる。


「相変わらずな性格ですねぇ」


 笑いながら、伝えた。

 ユリウスは組んだ足の上に頬杖をつき、私の顔を覗きこんでくる。


「俺のことで妄想した?」

「ばっ……」


 馬鹿じゃないのっ。

 そう言おうとした口を、ユリウスの唇でふさがれる。

 絶句した私から唇を離すと、にやにや笑いながらまた尋ねて来た。


「俺はめちゃくちゃ妄想した。アレクシアは?」

「してないっ」


 顔を真っ赤にして反射的に返事すると、ユリウスは不満そうに顔を歪める。

 なんなの、この男はっ。


「なにそれ。俺だけかよ」


 そんなこと、知るもんか。


「じゃあ、今晩で俺のことを忘れなくさせてやるからな」


 何宣言!?

 ユリウスはそのまま私にのしかかってきて、私はソファに押し倒される。


「ちょ、ちょっと待った!」

 おもわず扉の方を見る。


「扉! 開いたままっ」

 そう叫び、そういえばこの男、どこから入って来たんだ、と今さらながらにユリウスを見上げた。


 この館には、伯爵夫妻とお嬢様がた。

 それから数人の使用人がいたはずだ。

 戸惑う私を見おろし、ユリウスはしれっと答えた。


「大丈夫。今、この家は誰も居ないから」


 はぁ!?


「王になって初めての散財。サザーランド伯爵からこの家買ってやった」


「はぁ!?」

 今度は、声が出る。ユリウスは私を見て愉快そうに笑った。


「お前がここに来てるって言うから、サザーランド伯爵を呼び出して説明したんだ」

 ユリウスは、晴天のような瞳を細める。


「ハンナ・ヨハンセンという偽名を使った娘は、俺のものだ。悪いが、お嬢さんがたの家庭教師は他の誰かをあたってくれ、って」


「……伯爵はなんて?」

 茫然と尋ねると、ユリウスは喉の奥でくつくつと笑い声をたてた。


「そしたら、あの夫婦良いやつだな。久しぶりの再会でしょうから、この屋敷をお使いください、って」


 伯爵ぅぅぅ。


「お前が伯爵夫婦と明日の予定を話し合っている間に、ウィリアムが姉妹のところに行ってさ。今日は、王様が来るから、別のお屋敷に泊まりますよ、って。だけど、一度大騒ぎして先生を呼んじゃおうか、ってけしかけて」


「ウィリアムが、あの姉妹のところに行ったんですね!?」


 まさかと思うけど、ウィリアム。私の大事なお嬢さんがたに手を出してないでしょうね!?


「で。お前が姉妹を寝かしつけてる間に、先ず伯爵夫婦が別宅に移動して、今はウィリアムが姉妹を連れて別宅に移動してる最中」


 あの伯爵夫婦が、今頃面白がっている顔が目に浮かぶ。『なるほど、大司教がおっしゃる〝ワケあり〟とは、こういうことか』と。


「だから、この家にはお前と俺しか今いない。扉が開いていようが、ソファで何しようが、俺の勝手だ」


 ユリウスは人の悪い笑みを浮かべた。


「お前はこれからもずっと、俺のものだ」


 ユリウスが唇を重ねる。

 私は彼の腰に腕を回した。


 そうかもしれない。

 それでいいのかもしれない。


 色々考えて逃げ回っていたけれど。

 ユリウスの側にいる、という選択をし、それにすべてを賭けてもいいのかもしれない。


「一緒にルクトニアに帰ろう」

 私の首筋に顔を埋めてユリウスが言う。私は大きく頷いた。



 結局、その晩。

 ユリウスは小憎らしい言葉を言うくせに、私の肌にさわる唇も腕も繊細で。意地悪なくせに、まるで壊れ物をあつかうように、私にふれた。


『俺のことを忘れられなくさせてやる』

 ユリウスはそう言ったけれど。


 彼の指も腕も声も。

 私にとっては、あのダンスを踊った日から、忘れられない。


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