タウンゼント子爵episode 2
「どうぞ」
私は彼女にイスをすすめる。彼女は頷き、ゆっくりと腰掛けた。私も彼女の向かいに座る。
ハンナは足元で蹲る仔犬をしばらく眺めていたけれど、ふと顔を上げて私に言った。
「タウゼント子爵には申し訳ありませんが、このお話はなかったことにしていただけませんか?」
決意のこもった瞳を見、私は苦笑した。
「まだ、2回しかお会いしていませんが。私になにか落ち度がありましたか?」
「いいえ。とんでもありません」
彼女は驚いたように首を横に振る。
「では」
私は首を横に傾げた。
「誰か、忘れられない人でも?」
ハンナは一瞬私を見、そしてうつむいた。無言ではあったけれど、答えは諾、なのだろう。
私は彼女の方に身を乗り出した。
「母や姉妹のことなら安心して下さい。貴女との結婚については、私が説得し、納得させますから」
ハンナは、まだ涙にぬれる瞳を、私に向けていた。
「私は、貴女が大事に思っているその男を、忘れさせてみせますよ。約束します」
私はハンナの顔を見つめ、そう断言した。ハンナはしばらく私の目を見返していたものの、長く深いまばたきをひとつし、それから困ったように笑った。
「タウンゼント子爵の奥様は、本当にお幸せでしょうね」
それは、自分ではない。言外にそう言われた。
「忘れられないのですね」
私は口元に笑みをたたえたまま、彼女を見やる。ハンナは首元をそっと撫でると、テーブルのもう冷めた紅茶を眺めた。
「しるしが、消えないんです」
彼女が言う「しるし」というのがなんなのか、私にはわからなかった。するりと彼女の指がすべる首元には、なんの痕も傷もない。
「しるしとやらは、心に残ってしまったのですか?」
私が尋ねると、ハンナは目を上げ、それから力なく笑った。
「そうかもしれません。困ったものです」
「貴女に消えないしるしをつけた、その男性は今どこに?」
僕はティーカップを再び手に取る。足に何か触れたと思ったら、仔犬だ。ハンナから離れ、僕の足元に移動していた。
「遠いところに行ってしまいました」
遠いところ、とは。それは物理的な距離なのか、心理的な距離なのか。私には判断がつきかねた。私は彼女を眺めながら、随分と匂いも味も落ちた紅茶を口に含む。
「今日はどうも、ありがとうございました」
ハンナは私に頭を下げる。私はカップをソーサーに戻して首を横に振った。
「どうか、その男性と幸せになってください」
私の言葉に、ハンナはくすり、と笑った。
諦めたような、力の抜けた笑いだった。彼女はもう一度頭を下げると、クラッチバックを持って立ち上がる。
「貴女は信じないようだが」
随分と背が高い。多分、私より背が高いのではないだろうか。私は座ったまま彼女を見上げた。
「運命というのは本当にあるんですよ」
ハンナはクラッチバックを両手に持ったまま、私を見降ろしていた。
「貴女にしるしをつけた相手が、貴女の運命の相手ならば、きっとまた出会いは訪れます。大切なのは、願い、待ち、そして賭けることです」
「賭ける?」
黙ってハンナは私の話を聞いていたけれど、不思議そうに首を傾げた。
「この人が、自分にとっての運命の人だと思ったら、思い切りよく自分のすべてを投げ出して御覧なさい。手持ちの札を全部相手に賭けるのです」
私はハンナを見上げて笑いかけた。
多分。
この娘に足りないのは、自信だ。
「この人だと思っているのなら、迷ってはいけない。この人だと思っているのなら、その運命の相手は自分だ、と胸を張ってごらんなさい。そうすれば」
私はハンナを指さし、人差し指をぐるぐると回して見せた。
「運命の環は回る。貴女とその男性を巡り合せるためにね」
ハンナは私の指先を見ている。
「だから、祈ればいいのです。また、その運命の男性と出会えるように、と」
私の言葉に、ハンナは屈託ない表情で微笑んだ。
「今日は良いお話を伺いました」
そう言うと、眼を細めて私を見降ろす。
「では、タウンゼント子爵が運命の相手と出会えるように、私は願っています」
なるほど、そうきたか。「では」、と私は笑った。
「私は、貴女が運命の相手と出会い、結ばれるように、祈ることにしましょう」
そういって私たちは、互いに頭を下げ、別れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後。
私はとある舞踏会で出会った子爵の娘に運命を感じ、婚約することになった。
ハンナの祈りが通じたのだろうか。気づくと口元に笑みが浮かんでいる。
「どうした?」
父にそう尋ねられ、私は首を横に振り、また作業に戻る。
私もハンナの幸せを願い、祈っている。
だからきっと。
彼女も今頃、運命の男と出会い、結ばれていることだろう。
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