第10話 ワルツなら、踊れるんだろ?

 ふわり、と。

 夜風が吹き込んで髪を撫でていく。

 鼻先をかすめたのは、甘い夾竹桃の香りだ。

 私は後ろ手に観音扉を閉めると、石畳のテラスに出た。

 かつり、と長靴のヒールが床に当たって硬質的な音を立てる。

 その音も吸い込まれそうな夜空だ。


 私は手すりを掴んで空を見上げる。

 雲一つない見事な夜空だった。

 大きく丸い月がぽっかりと西の空にあり、黒布に金砂をまぶしたかのような星が天空を彩っている。

 耳を澄ますと、かすかに曲が聞こえてきた。ポルカだ。

 私は小さくため息を吐く。

 まぁ。

 ホールに降りたからといって、踊れなかったな。

 私は小さく笑った。

 よく考えたらホールに下りたって誰かに誘われるわけじゃない。一人じゃ踊れない。

 私はぼんやりと空を見上げる。


「どうしたもんかなぁ」

 思わずぽつりと呟いた。

 結婚も就職もなかなかに難しい。

 他の同世代の女の子よりも、背は高すぎるし、なんだか骨ばってるし、胸はぺったんこだし。

 ふと、さっきのホールにいる淑女たちの姿を思い出す。

 みんな、可愛らしくおめかしをして、それこそ色とりどりの花のようだった。髪型だって凝った編みこみをして生花なんかを差している。


 そんな中。

 改めて自分の格好を見下ろす。

 ……。まぁ。主役はジュリアだから。

 私はそのジュリアの家庭教師として同伴してるだけだから。

 そうは思っても、ものすごーく地味な格好だ。

 もう、色からしてダメだ。ピンクだの水色だの黄色だのじゃないもの。茶色だもの。

 これでは誰かが声をかけようとも思わないよね。

 私は大きく腕を夜空に向かって突き上げる。うーんと息を吸い込んでみると、夾竹桃の甘い香りが胸に充満する。


「アレクシア?」

 背後で観音扉が開く音がしたかと思うと、ジュリアが姿を現す。

 どうやら一人らしい。

 観音扉を素早く閉めると、私の隣に歩み寄ってきた。

「お話は終わったんですか?」

 私は欄干に手を置いて、ジュリアを見る。

「終わった」

 ジュリアはつまらなそうにそう返すと、夜風に揺れる髪を片手で押さえながら空を見上げた。

「見事だな」

 思わず目を見開いているその様子に私は笑った。

「すごい星空でしょう」

 私が声をかけると、ジュリアは声をなくして頷いた。

 あら。素直じゃない。

 私は嬉しくなって笑顔のままジュリアと同じように夜空を眺める。

「そうでしょう。そうでしょう」

 私が満足げにそう言うと、ジュリアは声をたてて笑った。

「お前のものでもなんでもないのに、自慢げだな」

「ジュリアが嬉しそうでしたから」

 私がちらりとすぐ横に居るジュリアに視線を向けてそう言うと、ジュリアはしばらく私を見ていたものの、ふい、っと顔を背けてしまった。


「なんの話をしていたのか、聞かないのか」

 ジュリアは欄干にもたれながら、遠方の夜景を眺めてぽつりとそう言う。

「なんの話を、ですか?」

 そう呟いてから、ああ、私が席をはずしている間の話か、と気付く。

「話したいんですか?」

 私が尋ねると、ジュリアは青石のような目を一瞬私に向けただけで無言だ。

「じゃあ、別に聞きません」

 私は無言のままのジュリアにそう言う。


 多分。

 言いたくないのではなく、聞かせたくないんだろう。

 欄干に頬杖をつき、無表情で夜景を眺めるジュリアの整った横顔を眺めながら私は思う。


 横暴で、わがままで、怒ったりすねたりしかしないジュリアだけど。

 基本的にやさしいところがあるのは知っている。

 なんの話かは分からないけど、それを聞くことによって私に危険が及ぶと思っているのかもしれない。


「踊りたかったのか?」

 ジュリアは欄干に頬杖をついたまま、いきなり私にそんなことを聞く。

「うーん」

 私は腕を組んで唸る。そんな私にジュリアは言った。

「なんだったら、ウィリアムと踊ってこい」

「なんでウィリアム限定なんですか」

 私が笑うと、ジュリアは大真面目な顔で答えた。

「あいつが一番安全だからだ。他はお前。男は皆下心があるんだよ」

「いやいやいやいや」

 私は手を横に振る。

「ウィリアム、結構、女ったらしですよ。下心の塊ですよ」

「あいつの好みは知ってるからな」

 ジュリアはにやりと笑う。

「お前はウィリアムのタイプじゃない」

「でしょうね。ええ、そうでしょうよ」

 私はうんざりしたように言い、欄干に背を向けてもたれた。夜空を見上げ、私は溜息をつく。


「まぁ。あのフロアに行っても浮くだけでしょうから、別にもういいんですけどね」

「ワルツしか踊れないし?」

 ジュリアがくっくっくっ、と喉の奥で笑い声もらす。

 ほんっと、腹立つわ。


「私は王子様としか踊らないんです。そう決めてますから」

 ふぅん。ジュリアは素っ気無くそう言った後、夜景に視線を投げかけて尋ねた。

「王子様と踊れるといいな」

 なんか、その馬鹿にしたような物言いがかちん、と来たものの、「そうですね」と返事をする。


「あ」

 ジュリアが小さく声を上げる。

「ん?」

 私も耳を澄ます。

 フロアから溢れ出てきた曲が変わった。ワルツだ。


「手を出せよ」

 ジュリアが欄干から体を離し、すらりとした腕を私に向けた。ぽかんとその手を見ていると、ぎゅっと眉根を寄せて睨まれる。


「手」

「手を、どうするんですか。ひねるんですか?」

「何で攻撃することばっか考えるんだっ」

 とうとうジュリアに怒鳴られた。


「手をどうするんです」

 私が困惑してジュリアの手と顔を交互に見ていると、小さく舌打ちされる。

「掴むなよっ。折るなよっ」

 ジュリアに念押しされたかと思うと、腕をとられて、もう片方の手で腰をホールドされる。


 ぎゅっと、抱き寄せられた瞬間、ジュリアの服に焚き染めていた香の薫りがわずかに鼻先をかすめた。


「ワルツなら踊れるんだろ」

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