第17話 俺の思い通りになったことなんて、一度も無い
「どうした?」
異変を感じたのか、ジュリアがカンテラを持って戻ってくる。ぼんやりと橙色に照らされた扉を呆然と眺めながら、答えた。
「開きません。閉まってて……」
「持ってて」
ジュリアは、こちらにカンテラを押し付けると、自分でも押したり叩いたりしてみたが、開かないということに気付いたようだ。
私を見ると、それはそれは嬉しそうに笑った。
「これはもう、進むしかないな」
……ですね。
私は大溜息をついてカンテラをジュリアに戻す。ジュリアは意気揚々と真っ暗な通路を歩き始め、私はその後を慌ててついて行く。
「危ないから、私が先頭を歩きましょう」
そう声をかけると、ジュリアはふん、と鼻を鳴らす。
「どうせジュリア・オブ・ルクトニアなんて人物はいないんだ。死のうがどうしようが関係ない」
なんでそんな投げやりな言い方をするのよ。
カチンと来てジュリアの横に並ぶ。
「そんなことを言ったら、ジュリアを守ってるウィリアムが悲しみますよ」
「じゃあ、お前はいつまで俺がこんな格好で居られると思う?」
ジュリアは視線だけ私に向けてそんなことを口にする。
言い返せず、唇を閉じた。
何か言わなければ。そう思うけれど、適切な言葉が浮かばない。
「正直だな」
ジュリアが笑う。乾いた、どこか虚ろな笑い声が暗い廊下に響いた。
「綺麗ですね。お美しいですね。花のようだ。天使のようだ」
ジュリアは歌うように言葉を連ねる。彼にしては珍しく弱弱しい声だった。
「そんなことをいわれる時期なんて、あと数年あるかないかだ。あとはただ、女装したおっさんにしか見えなくなるよ。そうなったら、俺は一生人目につかないところに幽閉されるか、利用されるか、殺されるかのどれかだ」
ジュリアは力のない声でそんなことを言った。
声を聞いているだけで、いたたまれなくなる。
私が最近思い始めたことなんて、ジュリアはとっくの昔に気付いていたのだろう。
気付いていて、でも、どうしようもなくて。
そんな思いを抱えながらずっとあの館で過ごしてきたんだろう。
「ジュリアが、こうしたい、って思うことはなんですか? そうはできないんですか?」
喉のつかえを吐き出すように尋ねる。ジュリアは小さく肩を竦めた。
「俺の思い通りになったことなんて一度も無い」
吐き捨てるように言う。
「こんな格好したくない、女でなんて過ごしたくない、馬に乗って外を走り回りたい。ウィリアムと一緒に町に飲みに出たい。お前と」
ジュリアは足を止める。
私も立ち止まった。その私の目を覗き込んでジュリアは言う。
「アレクシアと男の格好でみんなの前でワルツを踊りたい」
言葉を無くして、ただただジュリアの目を見返す。
「どれも無理だ」
ジュリアはゆったりと微笑をすると、またいつものように軽快に、大またで歩き始めた。
「この先、どこにつながっているんだろうな」
ジュリアは楽しそうに言う。
私は並んで歩きながら、なんて言えばよかったのか。なんて伝えればジュリアの心を軽く出来たのかばかり考えている。
「あった」
ジュリアが声を上げる。
心の中をもやもやさせながら、ジュリアが示す先を見た。
カンテラが、ぼんやりと扉らしき物を映し出している。
私たちは顔を見合わせ、歩く速度を速めて近づいた。
「開くと思うか?」
ジュリアが嬉しそうに私を見る。がぜん、興味が湧いてきた。
「どうでしょう。っていうか、どこにつながってるんでしょうね」
ジュリアを見上げる。二人で顔を見合わせて笑うと、「いっせーのーで」で、同時に扉を開く。
目の前に現れたのは、意外なものだ。
ハンガーにぶら下がった、何着ものドレスだった。
「……これって」
カンテラの光を頼りに見なくてもわかる。
「これ、ジュリアのドレス、ですよね」
彼は頷き、扉を抜けてさらに歩く。
目の前には蛇腹の扉が見え、それを押すと光があふれ出してきた。
「まぶしい」
思わず呟き、目を瞬かせる。
「なんだよ、これ」
ジュリアは呆気に取られているようだ。
目が慣れてきた私は、自分たちが今出てきたところを振り返って確認する。どうやらウォークインクローゼットのようだ。
室内に目をやると、壁の四隅の照明がつけられたままで、私があてがわれた部屋よりも大分広い。
天蓋つきのベッドや、脱ぎ散らかしたドレスがソファに置いたままになっていて、猫足の丸テーブルの上にもティーセットが冷めた状態で放置されている。
「俺の部屋だ」
ジュリアが言った。
「じゃあ、あの階段の隠し扉からは客用の部屋に通じている、ってわけですか」
首をかしげてジュリアを見あげる。
「なんのために?」
「なんのために、ってそりゃ……」
ジュリアは露骨に顔をしかめた。
ん? どゆこと。
「ここ、ヘンリー王が別荘として利用してたんだよ」
「ですよね。そう聞いてます」
「ヘンリー王って妾が何人かいてさ」
「エドワード王子も妾腹の子だそうですね」
「……わかんないかな」
「なにが?」
ジュリアは「なんでわかんないかな」と困ったように私を見る。
きょとんとその青い目を見返した。
「例えばさ、正妃とヘンリー王とでここの別荘に泊まりに来るだろ?」
「あるでしょうね、そういうことも」
「そんなときに、まだ妾にしていない若い女もゲストとして呼んでおくわけだ」
「ふんふん」
「で。客室のここに泊めるだろ?」
「ええ」
「夜中にヘンリー王が忍んで行こうと思っても、堂々とは行けないわな」
「正妃がいらっしゃいますもんね」
そう言ってから、「あ」と、声を上げる。
「それで、抜け道と隠し扉か!」
ジュリアは無造作に前髪をかきむしりながら、感心したとも呆れすぎて困り果てたとも言いがたい顔をしていた。
踊り場から突如消える男の幽霊。
それは、愛人の寝室に隠し扉を通じて忍んでいくヘンリー王の姿だったんだ。
「叔父上も、なーにを考えているんだか」
「お好きなんですねぇ」
私もそう言い、ジュリアと顔を見合す。
どちらともなく噴出し、私たちはひとしりきお腹を抱えて笑いあった。
「幽霊見たり、枯れ尾花、ですね」
目の縁に浮かんだ涙を指で拭いながら、ジュリアに言う。全くだ、とばかりに、彼も頷いた。
「では、私は帰ります」
ジュリアにぺこりと頭を下げると、ほんの少し青い目に寂しそうな色を浮かべて、「ああ」と言葉を返してくれた。
……そんな顔をされたら、帰りにくいけど。
いつまでもここにいるのも変だもんね。
後ろ髪を引かれる思いで、扉の方に歩み寄る。さっき見た隠し扉とは全く違う、重厚な扉の金色のノブに手をかけ、回す。
というか。
回らない。
掌の中でがちり、と硬質な音がして、右にも左にも回りきらない。何かひっかかっているのか、と一旦手を離してドアノブを見るけれど、よく磨き上げられたつるん、とした表面には邪魔する物は何も無い。
私が少ししゃがんで鍵穴を見ようとした時、「どうした?」と、不思議そうにジュリアが尋ねて近づいてくる。
「ジュリア、鍵をかけましたか? 開かないんですけど」
「いや」
ジュリアは首を横に振り、私と同じようにノブを回してみるが、がちゃがちゃと鳴るばかりで全くノブ自体が動かない。
「……どうして」
ジュリアはそう呟いて何かを考え込むように飴色のドアを見上げる。
私は室内を見回す。
何かおかしい。
さっきの隠し扉だってそうだ。何故、「開かなくなった」のか。
この状況を良く考えれば、私たちは「閉じ込められている」のだ。
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