第16話 隠し扉、ですね

「ジュリアが一番でした」

 繰り返すと、ジュリアは鼻歌を歌いながら歩き始める。


「お前、あの後いろんな男にダンスを申し込まれてたじゃないか」

「あの後、ポルカだのメヌエットだのが始まっちゃったので、踊れない、って断ったんですよ」


「もったいない。将来の結婚相手がいたかもしれないぞ」

「エマも言ってました。『だぁから、ダンスをちゃんと練習しなさい、って言ったでしょ』」


 エマの口調を真似てそう言うと、ジュリアは声を上げて笑う。

 こんな、何気ないことが。

 やけに嬉しくて楽しい。


「あの正面の階段らしい」

 しばらく歩くと、大きなホールに出る。


 私はジュリアがカンテラを掲げる先を目を凝らしてみた。

 なるほど。大きな階段だ。

 二十数段ある絨毯の敷き詰められた階段を上がると、左右に分かれて伸びている。


 私は振り返り、闇の中を見た。


 ぼんやりと見えるのは、館の正面扉のようだ。

 どうやら、エントランス付近まで来たらしい。屋外のようなねっとりとした闇ではなく、薄いベールのような闇越しに、正面扉に張ってあるステンドグラスがきらりと光って見えた。


「あの階段を上がった踊り場に男の姿が現れて、すっと消えるらしい」

 ジュリアはわくわくした口調で言うと、私の手を握った。


「行こうぜ」

 温かいその手で急に掴まれてびっくりするけれど、ジュリアはなんの意図もないらしい。愚図愚図と周囲を見ている私に焦れたようだ。子どものように私の手を引いて階段を登り始めた。


 カンテラが揺れ、階段の踊り場付近をぼんやりと照らす。

 踊り場には、どうやら大きな一枚物の風景画が飾られている。

 狩りの一場面を描いているようだ。数人の男たちが騎乗で弓を引き、絵画左側に描かれている鹿を追っている絵だ。


 ちらりと。

 その時、何かに気付く。


 ジュリアも気付いたようだ。

 カンテラを左側前方に向けた。


「……なんだ」

 ジュリアががっかりした声を漏らし、私も笑う。


 踊り場に立ち、左側に向かって伸びる階段には、丸い装飾性の強い鏡が飾られていた。


 そこに、私とジュリアが並んで写っている。

 多分、これを夜に見て幽霊と勘違いしたのだろう。


「幽霊話なんて、こんなものでしょう」

 ジュリアに話しかけた時、すいっと腕を撫でる風に気付いた。


 ……あれ?


 周囲を見回す。

 窓など空気が入るところはない。玄関扉だって、ここからだと大分距離がある。

 だけど、私の寝着から伸びた腕には冷気が触れ、風が動いている事は確実だ。


「なんか、風を感じるよな」

 顔を上げると、ジュリアが私の目を見てそう言う。おずおずと頷いてみせた。

 ジュリアはカンテラでじっくりと周囲を照らし始めた。私も風の先を追う。


「絵……、じゃないですか?」

 まっすぐに指差すと、ジュリアはカンテラを持ったまま絵画に近づいた。しばらく照らすと、おもむろに額縁を持ち上げた。


 裏側に顔を突っ込むと、「あった」と嬉しげに顔をこちらに向ける。


 私は慌てて絵画に手を差し込み、額縁を支える。ジュリアはその隙に完全に裏側に体を滑り込ませた。


「扉がある。行ってみよう」

「ええ? やめましょうよ」

 そう言ったのに、扉が動くような軋み音が聞こえてきて、私の提案は完全に却下されたことを知った。……まったく。


「アレクシア」

 名前を呼ばれ、仕方なく、絵画の裏に体をもぐりこませる。


「……隠し扉、ですね」

 思わず呟く。

 絵画と板目に誤魔化されて全く気付かなかったが、本当に一枚物の扉がそこにあった。

 腰を屈めるでもなく、膝を折るわけでもなく、普通に歩いて扉を通過すると、そこには長い一直線の廊下がある。


「行ってみよう」

 真っ暗闇の廊下に、カンテラを掲げたジュリアだけがぽつんと立っていた。


「あからさまに怪しいですよ。探検なら、明るくなってからウィリアムと来ましょう」

 扉に手をかけたまま、ジュリアに向かって首を横に振る。


「ジュリアに何かあったら大変です」

「何も無いよ」

 ジュリアは短く答える。いやいやいや。あったら大変だから、って話なの。


「あったとしても、別にどうでもいい」

 ジュリアはくるりと、背を向けて歩き出す。私は慌てて扉から手を離し、彼を追おうとした。


 背後で隠し扉が閉まる音がする。なんとなく、「かちり」と軽い音がするものだと予想していた。


 だけれど。

 背後で響いたのは、「がつん」というやけに重々しい金属音だった。


「え?」

 咄嗟に、振り返る。


 ジュリアがカンテラを持って先に進んでいるせいで、背後は闇だ。

 手探りで隠し扉を探し当てると、内側から押してみる。


 開かない。


 マジか。

 焦って力いっぱい体ごと扉で押し開けようとしたけれど、全く動かない。

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