第15話 俺が一番だろ?
◆◆◆◆◆◆◆◆
ドアがノックされ、私は鏡台の前に座ったまま後ろを振り返る。
てっきり、聞き間違いかとも思ったのだ。
だってちらりと見た柱時計の時間はもう十一時を過ぎている。誰かが訪問するには遅すぎる時間だ。
だけど。
硬質的な音が2回。確かに扉から響いてくる。
寝着のまま立ち上がり、扉に近づく。
「……はい?」
チョコレートの板を貼り付けたような扉の前で小さく返事をすると、いきなりドアが外から押し開けられた。うわ。なにっ。
思わず半身になって構えたけれど、ひょっこり顔を出したのはジュリアだ。
「起きてたか?」
私と同じように袖のないシルクの寝着を着て、手にはランタンを持っている。
なんかいつもと見慣れない、と思ったら背の半ばまであるいつもの金髪は、今はひとつに束ねて頭の後ろでお団子を作っていた。
首周りに髪がないせいで、随分とすっきりと顔全体が見えるし、いつもは隠している喉仏も見える。
だからかもしれない。
ものすごく、男らしく見えた。
そう思った瞬間、どきり、と心臓が拍動した。ぱくぱく、と勢い良く血液を体中にめぐらせるのが分かる。
「何事ですか?」
そ知らぬ顔で尋ねる。顔が赤くなりそうで、わずかに俯いたまま聞いてみた。
「寝てたのか?」
「……寝てたとしても、起こしたでしょ」
「まぁな」
ジュリアは笑う。
「こんな時間になんですか?」
夜も更けて、立ち歩くには遅い時間だ。
ジュリアが扉を開けたまま、目に悪戯っぽい光を宿らせて私を見た。
外気が入るせいか、なんだか肌寒い。自分の肩を抱くように腕を回す。
「この館、幽霊出るらしいぞ。知っていたか?」
質問を質問で返された。
そういえば、エマもそんなことを言っていたような気がする。
「姉上が、そんなことを言っていたような」
私がそう言うと、ジュリアは嬉しそうに頷いた。
「観にいこうぜ」
「はぁ?」
私は思わず尋ね返す。ジュリアは至って真面目なようだ。好奇心に満ちた青い瞳を私に向け、親指を立てて後ろを指差す。
「中央の螺旋階段に出るらしい。見に行かないか?」
「ウィリアムを誘ってはいかがですか?」
そう言うと、ジュリアはつまらなそうに口を尖らせた。
「あいつは嫌だって。寝るらしい。つまらん奴だ」
なるほど。それで私の部屋に来たらしい。
「男の幽霊が出て、ぱっと姿を消すらしいぞ」
ジュリアは嬉しげに言う。
それが、夜中に女の子の部屋に来て言うことかね。
思わず噴出す。ジュリアは不思議そうだ。私は首を横に振ると、「じゃあ、行きましょうか」と、声をかけて部屋を出た。
廊下に出ると、ノースリーブの薄い寝着だけではやっぱり肌寒い。
一旦部屋に戻ってショールでも持って来ようかとおもったけれど、前を歩くジュリアは羽織物を持っていない。動いていると温かくなるかもしれない。
……大丈夫かな。
手早く扉を閉めて、ランタンを掲げながら歩くジュリアの後をついて行く。
多分、短時間で済むだろう。
幽霊なんて所詮出ないのだから。
「幽霊が出る、って誰から聞いたんですか?」
ジュリアの背中に尋ねる。
廊下の両脇にはいくつもの扉が並ぶが、一階を宿泊として利用しているのは私とウィリアム、ジュリアの3人だけだ。エドワード王子と供回りたちは、2階を利用している。
歩くと毛足の長い絨毯に足音は吸い込まれ、私たちはしずしずと中央玄関の螺旋階段に向かった。
「エドワードの供回りの奴」
ジュリアはちらりと振り返る。「お前が聞いた姉はどの姉?」。私にそう尋ねた。
「エマです」
「エマ?」
「今日、紹介させていただいたすぐ上の私の姉です」
「あの妊婦さんか」
ジュリアはちょっと眉を下げる。
「悪いことしたな。妊婦だと分かってたら、こっちが行くのに」
そんなそんな。慌てて首を横に振る。
「お姉さん、なんの幽霊か言ってたか?」
先に立って歩くジュリアがカンテラで廊下を照らす以外、明かりがない。カンテラが照らす橙色が、真っ黒な廊下を円形に切り取る。
ちょっと、お月様に似ているな。そんなことを思ってジュリアの後を着いて歩く。
「男の幽霊らしい」
ジュリアは嬉しそうに、おっかないことを言った。
「男ねぇ」
幽霊って、女が相場だと思ってた。
「意外だろ」
ジュリアは本当に楽しそうだ。「早く来いよ」。そう言って手招きをする。私は足早にジュリアの隣に歩み寄り、並んで歩く。
本当に、背が伸びたんだ。
気付かれない程度に、ちらちらとジュリアを見る。
ふわふわとした寝着を着ているのは私と一緒だけれど、肩幅も広くなっているし、背だって伸びている。今はハイネックの服を着ていないせいで、喉仏だってちゃんと見えた。すらりと伸びた腕だって、肩口から二の腕にかけてはがっしりとした筋肉が張っている。
男の子なんだなぁ。
そんなことを思った。
「なに?」
見ていることに気付いたらしい。ジュリアは青い目を私に向けて、少し首を傾げる。「なんでも」と口早に応じる。
「静かだなぁ、と思っただけです」
「今ここにはエドワードとウィリアムと、付き人数人しかいないからな。2階にいるはずだ」
ジュリアは人差し指を上に向ける。
「エドワード王子とは仲がいいんですね」
途端に、ジュリアは毛虫でも見たように顔をしかめた。
「仲がいいわけじゃない。あいつはおじい様と共謀してるんだ」
俺を利用しようとしているだけだよ。ぼそり、とそう続ける。
「利用って?」
私が尋ねると、ジュリアはちらりと私を見ただけで無言だった。言いたくないのか、聞かせたくないのか。
「ワルツ、楽しかったか?」
急に話を変えられる。さっきまで私を見ていたのに、俯き、顔を上げる気配は無い。
「ジュリアが気を回してくださったんでしょう?」
ジュリアの顔を下から覗き込むようにして訊く。ジュリアは更に私の視線から逃れようと顔を背けた。
だったら、なんで訊くのよ。
「王子様と実際に踊ってみたら、意外に楽しく無かったです」
正直に言うと、不意にジュリアの姿が横から消える。
あれ。私は立ち止まり、振り返った。消えたんじゃない。ジュリアが足を止めたんだ、と気付いた。
「本当か?」
予想外に真剣な双眸が私を見ていて、思わずひるむ。その顔からはジュリアの感情がイマイチ読み取れなくって、私はこのまま正直に話していいのか、それとも冗談で済ませたほうが良いのかわからなくなった。
「……せっかく、王子に口を聞いてくださったんですけど」
とりあえず謝りの言葉を口にした。
「私は、ジュリアと踊ったあの晩の方が楽しかった」
その後、本音を口にする。
「本当か?」
カンテラを掲げられて、もう一度尋ねられた。その明かりが眩しくて目を細めながら、大きく頷く。
「だと思った」
ジュリアは口端を引き上げるようにして笑う。
安堵したような、嬉しげな。
まるで、幼い子どもみたいなその笑い顔に、また胸がきゅっと絞られたように一拍鼓動を打つ。
「俺が一番だろ?」
自信満々なジュリアに、苦笑した。
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