第22話 まだ痛いか?
「姫っ! 姫っ!」
ウィリアムの怒声が聞こえたかと思うと、激しく正面の扉が揺すられた。
「鍵をっ」
「ここにございますっ」
複数の男たちの声が扉の向こうで聞こえる。
私の目の前で剣を持っていた男は、逡巡したものの、結局クローゼットの方に向かって駆けだした。
逃げる。
反射的に追おうとしたけど、右手が何かに捕まれて、がくり、と膝が崩れた。
振り返ると、ジュリアが怖い顔をして立っている。
「馬鹿っ。何やってんだ!」
鼓膜を震わせるほどの大声は、すぐに扉からなだれ込んできた幾人もの男たちの足音に消えた。
手に手にランタンを持っているのだろう。一気に室内が明るくなる。
「賊はそこから逃げた」
ジュリアがクローゼットを指さすと、佩刀の男たちはランタンを掲げて消えた男を追っていく。
「怪我は?」
ウィリアムが息せき切って駆け寄ってきた。
彼の淡いグリーンの瞳を見た途端、なんだか安堵する。
よかった。
もう一人でジュリアを守らなくてもいいんだ。そう思った次の瞬間だった。
「……いったぁ……」
痛い、と言ったつもりだったけど、後半は言葉にならなかった。奥歯を食いしばり、堪えるように腕を抱えて床にうずくまる。
なんていうんだろう。
じんじん、ずきずき、とかじゃないのよ。
「熱い」に近い痛みなのよ。何か熱湯か熱した鉄棒をねじ込まれているようで……。それが、ずーっと間断なく続く。
私は膝を抱えるようにして座り込むと、肩を抱く右手に顔を埋める。
痛い痛い痛い痛い。
もう、頭の中はそればっかり。
「アレクシアが斬られて」
ジュリアの声が聞こえた。
埋めた腕から目だけ出すと、室内が明るくなっていることに気づく。
多分、執事が部屋の照明に火をいれたのだろう。
ジュリアは私の側に両膝をつくと、気遣うように背中をさする。その手の動きに悲鳴を上げた。
ジュリアが驚いたというより、慄いた顔で手を背から離したことに気づく。
悪気はない。
ジュリアに悪気はないことは重々わかってる。多分、労わってくれたんだと思う。
だけど、どこを触られても痛い。
もう、全身痛覚。
傷とか関係ない。
私は折れるんじゃないか、と思うぐらい歯を食いしばる。
本当は大声で、「痛い痛い」とわめき倒したいのだけど、さすがにそれはダメだと理性が言う。
「アレクシア殿、ちょっと腕を見るよ。触らないから安心して」
痛い痛い痛い痛い。
エンドレスでそう思っていた私の耳元に、ウィリアムの優しげな声が響く。
また腕から目だけ出して、小さく頭を縦に動かした。
もう、痛い。この動きだけでも痛い。
ウィリアムはだらんと垂れた私の左腕を肩から肘まで眺めると、にっこりとほほ笑んで見せた。
「縫う?」
「いやっ。放っておいてっ」
即決で答えると、ウィリアムに苦笑された。
ウィリアムは両方の人差し指を立てて、間隔をしめしながら私にゆっくりと伝えてくれる。
「傷の長さはこれぐらいなんだけど、深いんだよ。結構肉がえぐれてる」
貧血を起こしそうだ。
えぐれるって。
えぐれるって、どうよ。
腰から力が抜けかけたところを、ジュリアに支えられ、また喉から漏れそうな悲鳴を、目を瞑ってぐっと堪える。
「縫わないと無理か?」
ジュリアの心配げな声が聞こえてきた。私はゆっくりと片目ずつ開ける。
背後から、抱きしめるようにしてジュリアが支えてくれていた。
彼が話すたびに、密着した背中から声が響いて伝わってくる。
「縫う方が治りは早いし、化膿しにくいとは思うんですが……」
ウィリアムは顎をつまむようにして腕を組み、私を見る。
「縫う?」
「いやっ。もう、放っておいてっ」
さっきと同じやり取りに、ウィリアムは笑う。
笑えない。私は笑えない。痛い痛い痛い痛い。
「傷を密着させて包帯できつく巻きますか。それでも傷がくっつかなければ、縫うよ?」
「うう」
うん、と言いたかったけど、口から洩れたのはそんなうめき声だけだった。
ウィリアムは頷くと、立ち上がって扉のところに控えている執事たちのところに行く。
その間私は、とうとう頭痛まで起こってきた。ぐらり、と頭が揺れてのけぞるけど、戻せない。
倒れる。そう思ったけど、ジュリアがしっかりと抱きとめてくれていて、私はその温かさにものすごく救われた。
戻ってきた、ウィリアムは手に酒瓶と白布をいくつか持っていた。
もう、それだけで怖い。
これ以上私に触らないで。そう思った瞬間、目から涙が零れた。
「大丈夫、大丈夫」
ウィリアムは優しくそう言うけど、絶対大丈夫じゃない。絶対、痛い。
「肉が斬れただけだって」
十分ひどいわっ。
「骨が折れてなくてよかったよ。僕が見た中で、一番えぐかったのは折れた骨が中から肉を突き破ってるやつだね。あれは厄介だ」
……もう、吐きそう。
「今、ちゃんとした医者を手配しているから、明日の朝にもう一度診てもらおう」
「だったら明日の朝まで放ってて! 触らないでっ」
悲鳴を上げると、ウィリアムはにっこり笑って、「無理」と言った。
「ひどいっ」
「今傷を押さえなきゃ、失血で気を失うよ?」
「痛さで気を失いそうっ」
私の発言をにこにこ笑って聞いてたウィリアムは、その目を私の背後にいるジュリアに向けた。
「ジュリア、僕が酒で消毒するから、傷口をぎゅっと合わせてください。その隙に白布をきつく巻いちゃいますから」
「触ると、痛いんだろう? 傷口にふれて大丈夫か」
弱弱しいジュリアの声に、私は大きく頷く。
痛いっ。ほらもう、顔動かしただけで痛いっ。
「じゃあ、誰かに代わってもらいますか? 悲鳴を上げようが暴れようが、傷は塞がないといけません」
ウィリアムはきっぱりとそう言い切る。私を後ろから抱きしめているジュリアは明らかに迷っていた。
「そうしないとダメなんだな?」
ジュリアは念押しするようにウィリアムに尋ねる。ウィリアムが頷くのが見え、私は絶望する。
「俺が抑えるから、早く縛ってしまおう」
ジュリアの意を決したような言葉に、目の前が真っ暗になる。
「じゃあ、消毒するよ」
ウィリアムは手に持っている酒瓶を掲げる。目を閉じて歯を食いしばる私。ウィリアムの声が聞こえる。
「ジュリア、しっかりと押さえてて」
そう言われ、ジュリアの腕に力がこもる。
こと、ここに及んで私は気づく。
ジュリアに抱きしめられているのではなく、これは押さえつけられてるんだと。
そう思い知った時だ。
私は悲鳴を上げた。
もう、我慢する、という選択肢を捨てた瞬間のような気がする。
「痛い痛い痛い」を連呼して、足をバタバタと無意味に暴れさせて、なんとかジュリアの腕から逃れ出ようとした。
だけど、体はがっちりと抑え込まれて全く動かない。
こんなに細いのに、どこにこんな馬鹿力があるのよっ。
「すぐ終わる、すぐ終わる」
ウィリアムの呑気な声に、真剣に殺してやろうか、関節を外してやろうかと考えた。
もう、絶対この世の中で一番痛い殺し方をしてやるっ。
体中の関節と言う関節を反対に曲げてやるっ。
そんな暗い狂気にどっぷりと身体が沈んでいたら。
「ほら、終わったよ」
ウィリアムに言われ、私は息をぜいぜい吐きながら、目を開ける。
ちらり、と自分の右腕を見ると、真っ赤だった腕が綺麗に清められて見るからに清潔そうな白布できつく巻かれていた。
首をねじるようにして後ろを向くと、ジュリアは相変わらず私を抱きしめていた。
「……まだ痛いか?」
視線が合うと、ジュリアは泣きそうな顔で私を見てそう尋ねる。
痛みは変わらない。
ずっと痛い。
痛いけれど。
布で圧迫されたせいか、乱暴な痛みと言うより制御されつつある痛みに代わりつつあった。
「痛い」
そう一言返すと、ぽろりと目の淵から涙が零れた。
ジュリアは片腕で私を支えたまま、もう片方の腕で私の頭を撫でる。
今度は、痛くなかった。
張りつめていた何かがぷつり、と切れた気がした。
頭を撫でられてうっとりする仔犬のように。
私はうっとりしたまま、意識を失った。
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