第21話 賊

 クローゼットの方に視線を走らせる。あそこから、出てくるはずだ。


「……確認しますけど、エドワード王子が忍んできた、とかないですよね」

「あいつは俺が男だって知ってる」

 ジュリアは汚物でも見たように顔をしかめた。


「気持ちの悪い想像をするな」

 それはすいません。小さく肩を竦めると、そっとベッドから降りる。


「何か武器はありませんか?」

 私はジュリアに尋ねた。


 拍車をつけている、ということは騎士ではないだろうか。

 そうだとすると、剣を持っているはずだ。

 相手の体格にもよるけど、剣対体術ではやっぱり分が悪い。体術ほど得意ではないけど、父上から剣術も叩き込まれている。


 ふと、思う。

 父上は私にダンスを教えなかったけど、馬術だの剣術だの体術だのはしっかり教えてくれたな、と内心苦笑した。

 ちゃんと娘の適性をみている親だったんだな、って思う。


「ここに……」

 ジュリアが枕もとをごそごそと探るのが見えたかと思うと、大ぶりの剣を一振り抜き出してきた。


「貸してください」

 手を差し出す。

 ジュリアは躊躇ったものの、私に剣を握らせた。


「使えるのか?」

「正直、この諸刃の剣は苦手なんですけど」

 私は柄を両手で握りしめながら呟く。


 父が教えてくれたのは、母国で使用する片刃の剣だ。

 細いし、もっと長い。

 間合いが遠いところから打ち込んでいけるメリットがあるんだけど、この諸刃は重いし、短い。間合いがつかめるだろうか。


 私は鞘を引き抜き、何度か振ってみる。


 しっくりはこないけど、長さや重さは確認できた。

 ジュリアの視線を感じ、安心させるようににこりと笑って見せたその時。


 ウォークインクローゼットが内側から、軋みを上げて開く。


 ……良く考えたら、これこそ幽霊騒動よね。


 ベッドから離れ、クローゼットの扉に向き合う形に移動した。ちらりと見ると、ジュリアもゆっくりと私の側に近づこうとしている。


「離れてください」

 片手でジュリアを制した時、クローゼットから男が出てきた。


 この部屋の住人が寝ていると思ったのだろう。剣を構えて立つ私の姿を見てあきらかに男は動揺する。


「……ふたり?」

 その男のつぶやきを聞いて、おや、と思った。


 暗いせいだろう。

 男は、室内にいる私とジュリアの見分けがついていない。


 男は戸惑ったように私とジュリアを交互に見ている。同じような寝着を着、同じような背丈の私たちを見て、どちらがジュリアか判別がついていないのだ。


「この部屋がわたくしジュリア・オブ・ルクトニアの部屋と知っての狼藉か」

 そう大声で声をかけると、さまよっていた男の視線が私で止まった。私がジュリアだと確信したような目だった。


「ア……」

 私の名前を呼ぼうとするジュリアより先に、大声で言う。


「アレクシア! 窓を壊して助けを呼ぶのですっ」

 ジュリアは一瞬何かを判断するように動きを止めたものの、足早に丸テーブルに駆け寄った。


 男は助けを呼ばれるより先に、殺そうと思ったらしい。

 佩刀の剣を抜くと、駆けるようにして、間合いに入ってきた。


 男は間合いに入ると同時に剣を振り下ろしてくる。


 その速度に安堵を覚えた。

 見切れる。


 私は剣を立てて初太刀を受け止めると、そのまま鍔競りに持っていく。

 身長差もそれほどないようだ。

 がちがちと刃同士がぶつかる金属音越しに男と目が合う。

 ほぼ、目線は私と変わらない。のしかかるように剣を押してきたところを、私は男の右腹に蹴りを叩き込んだ。


 よろめいたところに剣を振り下ろす。

 男はとっさに前にのめりこむようにして躱すと、体を沈めて剣を振り上げてきた。


 背を反らせて、その太刀をよける。

 視界の隅で、ジュリアが丸テーブルを持ち上げるのが見えた。


 卓に乗っていたティーセットがけたたましい音を立てて地面に落ち、砕ける。

 ジュリアは構わずその卓を、カーテンの方にぶん投げた。思いのほか怪力だったことにぎょっとする。


 丸卓は勢いをつけてカーテンにぶつかり、そのまま嵌め殺しの窓を粉砕した。

 神経を逆なでするような破壊音が響き、それに続いてジュリアが窓に駆け寄る。


「ウィリアム! エドワード! 賊だっ」

 こんな時でも綺麗なファルセットでジュリアは窓に向かって叫んだ。

 今の大声なら誰か聞きつけて来てくれるだろう。


 その安心が、油断につながったとしか言いようがなかった。

 というか、こんなにジュリアのことを見ていたら、男への対応がお留守になるのは当然だ。


 気付いた時には、目の前で男が剣を振り下ろしていた。


 ここだ、と男も思ったのだろう。

 勢いづいてかなり前のめりになっての一振りだ。


 後ろに避ければ袈裟懸けに斬られるのは明白だった。かといって、前に避けることもできない。左に避ければ利き腕の右手に傷を負うだろう。


 一瞬の間になんだかそこまで考えて。


 私は右に避けた。


 男の切っ先が落ちてくるのが判る。

 剣の柄を右手でしっかりと握った。落ちて来たときが勝負だ。

 振りかぶるまでに時間がかかる。


 私は右に避けながら、右腕だけで剣を振り上げた。


 狙いは男の首だ。ここまで深く前かがみで振り下ろせば、流石に後ろには避けられないと踏んだ。


 次の瞬間、どん、っと衝撃が左肩を打った。見てはいないけど、男の剣が私の左肩を裂いたのだろう、と想像はついた。


 本当に不思議だけど。

 この時、痛みは全くなかった。


 逆に、「いまだ」と思った快感さえあった。


 私は振り上げた剣を右腕だけで、男の首元に向かって振りおろす。

 途端に、男がぎょっとしたように目を見開いたことに気づく。だが、動けない。当然だ。ここまで体勢を崩しては、逃げられない。


 私の剣は、男の首を狙って振り下ろされたけれど。


 完全に、剣の長さの目測を誤った。

 言い訳するわけじゃないけど、これがいつも使っている刀であれば、確実に男の喉を裂いていたいと思う。


 だけど、長さが足りない。

 剣は男の肩をかすめて、切っ先を床に沈めた。


「ああ、もうっ」

 私は舌打ちし、柄を握りなおす。


 いや、握りなおそうとして。

 取り落した。


 血で滑ったのだ。


 そこでようやく我に返った。


 剣を床に落としたまま、茫然と自分の両の掌を見た。

 左手が真っ赤だ。


 まるで絵の具を肩から流されたように、絶え間なく血が伝ってきて指先から落ちていく。

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