ルクトニア領百花繚乱円舞曲

武州青嵐(さくら青嵐)

第1章

第1話 良いご縁が巡ってきますように

「貴女様に良いご縁が巡ってきますように」


 執事は立ち上がると、頭を丁寧に下げた。私もベンチから軽く腰を浮かせ、ドレスの端をつまんで慎ましく頭を下げて見せる。


「もう少し、この東屋で休憩していてもよろしいでしょうか?」

 教科書通りの数秒で顔を起こすと、目の前の執事に尋ねた。


「あんまりこのお庭が素晴らしいもので。休憩がてら、拝見して帰ってもよろしいでしょうか」

 初老の執事はわずかに眉根を寄せる。

 瞳の奥には憐みの色を浮かべたものの、流石に上流貴族の執事だ。すぐにその感情は消し、ゆったりとほほ笑んだ。


「どうぞ、ゆっくりとご堪能ください」

 執事は再度深々と頭を下げると、東屋から出て行く。


 私は、その背中が館のポーチへと続く小路に消えていくのを見届けると、盛大にため息をついてベンチにどかり、と背中をもたれさせる。


 五回目だ。

 もう、家庭教師を断られて五回目だ。


 二回目まではさすがに落ち込んだり、へこんだり、恨んだり、悩んだりしたものの、もう、こと、ここに及んでは執事が断りの気配を見せた段階で、「ですよね」と相槌を打ちたくなってきた。


 だいたい、正式採用なら、庭に呼ばんだろう、庭に。


 あの執事には、「今日は大切なお客様がいらっしゃっているので」と断りを入れられて庭に誘導されたけど、正式採用する気があるなら、その「大切なお客様に紹介がてら」館に招くよね、絶対。

 もう、これは完全に、館に入れることすら拒否られた感がある。


 私は裾の長いスカートを蹴り上げて脚を組むと、背を伸ばすようにして天井を見上げる。


 ふと、視界を何かが邪魔すると思えば、帽子だった。

 頭の上に、申し訳ない程度に乗っている小さな帽子。


 つばは短く、ただ、レースだの造花だのがゴテゴテと載った、日よけとしての帽子ではなく、単純に装飾なだけの帽子だ。

 姉が被れ、と私に押し付けるから仕方なく頭に乗っけてきたが、ものすごく邪魔だ。無造作に取り上げ、ベンチに放る。


 ようやく解放された気分で、もう一度上を見上げた。


 この東屋の天井は板ではなく、藤蔓で覆われている。藤のかわいらしい葉と葉の間からきらきらした陽光が砂のように零れ落ちているのが見えた。まるで、星屑のようだ、と思う。


 ルクトニア領の初夏は諸国で歌に詠まれるほど見事だという。


 確かに、からっとした湿度のない空気に、日の光がさらさらとさす様はなかなかに素晴らしいと思う。


 この家の庭も、最近はやりの「自然調」とやらで、できるだけ人の手を入れず、自然を模した庭だった。


 遠くの方には池や小さな木製の橋が見える。ゆったりと回っているのは、水車かもしれない。

 まるでどこかの村の風景をミニチュアサイズで切り取ったようだ。煉瓦でつくった人工物を、ヒースやラベンダーの茂みがところどころ覆い隠し、『趣がある』と思えば、趣がある。この国では、『野趣あふれる』とでも表現するのかもしれない。


 私は、組んだ脚の上に頬杖を突き、ぼんやりとバラの生垣を見た。

 できれば、この館に家庭教師として正式採用されてからのんびりこうやって風景を眺めたかった。


 ちらり、とベンチの端に置いたクラッチバッグに視線を向ける。

 その中には、姉に書いてもらった紹介状があと三通入っていた。


 あと三通ある、と思うべきか、あと三通しかない、と思うべきか。


 私はまた盛大にため息を吐く。

 かすかに東屋に風が吹き込み、頬を撫でた。風と一緒にハーブの良い香りが漂う。


 眼を細めて遠方を見ると、庭師らしき男たちが二人、ハーブの茂みを剪定しているのが見えた。

 『自然を模す』っていっても、植えっぱなしはダメだ、ということだろう。


 ……家庭教師を諦めて、庭師でもいいな。


 思わずそんなことを考えて苦笑する。

 自分では楽天的な方だと思っていたけど、やっぱり事態の深刻さに気付き始めたというか……。


 十六の女を雇ってくれるところはない、と、今更ながらに実感した、というか。


 そもそもの始まりは、父上が死んだことによるお家の御取りつぶしだった。

 父には私を含めて五人の子がいたけれど、そろいもそろって女ばかりだった。


 私の下の妹を生んだ時、母は「また女か」と嘆いたのだそうな。

 その気落ちが原因ではないだろうけど、母は妹を生んで間もなく他界している。

 私は五人姉妹の四女で、年が二けたになるからならないかの頃には、姉たちは皆、他家に嫁いでいた。


 父は私か妹に婿を取らせて家を継がせようとしたけれど、その望みが叶うことなく、半年前に流行り病であっけなく死んでしまった。


 この国においては男子のみが家を存続できるため、女子ばかりが生まれたうちのような家は、あらかじめ国王に対して、「女児に家督を継がせる」旨を申請しておかなければならない。


 父の死は突然だったし、父は、婿が家を継ぐと信じていたので、その申請を怠っていた。父の葬儀後、早速王家より使いがやって来て、あっけなく爵位は返上され、私と妹は苗字を名乗ることだけは赦されることが言い渡された。


 幸いなことに、というか。

 妹は、私と違って、姉たちに良く似ていた。

 もっと言うなれば、姉と妹たちは、母に似ていた。

 つまりは、この国の女性の〝美人〟と言われる部類の容姿を持っていた。


 私たち姉妹の父は、ここから海を渡ったカールスルーエ国から亡命した貴族だった。母とは、亡命後、この国で出会い、結婚して子をなしている。

 父は、国王に武人としての才と誉を認められ、この国でも「男爵」位を名乗ることを許された貴族だ。


 私は、というか。

 何故か私だけは、父に良く似ていた。


 手足が長いところや、真っ黒な髪や、鼻筋が高いところ。

 まぁ……。いわゆる、この国においては、〝美人〟とは正反対の容姿を持っていた。


 父が死んだ後、すぐに一番上の姉が動いてくれて、私と妹はまず、嫁ぎ先を探すことになった。


 ……妹は、あっさりと決まった。


 おなじ、男爵家の今年二十歳になる男性との結婚が決まり、さっさと嫁に行ってしまった。


 ……決まらないのは私だ。


 一番上の姉だけではなく、他の二人の姉も焦り始め、八方手を尽くして私の嫁ぎ先を探してくれたようだけど、一向にまとまらない。


 で。

 私は結婚を一旦諦め、就職を探すことにした。


 父の母語であるカールスルーエ語は、姉妹の中でも堪能な方だ。

 この国は、カールスルーエ国とは貿易や文化を通じて交流がある。貴族の中でも、教養として子息に教える家も多い。

 そこで、家庭教師として食べていこうと考えたのだけれど。


「甘かったかなぁ」

 声に出して呟いてみる。


 家庭教師なら、容姿は関係ないと思ったのだけれど。

 むしろ、外国語指導なら、カールスルーエ国人の容貌をもつ人から教えられる方が好まれると思ったんだけど。


「目論見違いだったかなぁ」

 再度ため息を吐くと、勢いをつけて立ち上がった。

 長靴ブーツの踵が東屋のタイルを蹴り、小気味良い音を立てる。

 なんだか、その音にわずかに心が元気になる。


 悩んでも仕方ない。

 次の仕事場を探そう。

 そう思って、ベンチのクラッチバックと帽子に手を伸ばしたとき。


 大風が吹いたかのように目の前のバラの生垣が揺れた。

 驚いて体ごと生垣を向く。

 まだつぼみをつけたばかりのバラの生垣は意志を持ったかのように揺れ、いきなり、がばり、と左右に割れた。

 左右に割れて。


 そこから、少女が転がり出てきた。

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