第30話 変化の兆し

「でも安心したよ」

 服装を整えていたら、ウィリアムがそう言ったのが聞こえた。ちらり、と背後に視線を向けると、ウィリアムの方でもこちらを見ないように視線を避けてくれている。

「何が、ですか?」

 私が尋ね返すと、ウィリアムは自分が乗ってきた馬の鼻面を掻いてやりながらくすり、と笑った。


「ジュリアにもそんな欲があるんだなぁ、って思って」

 ……さっきはその欲の塊でしたけど、あの男。

「まぁ、小さい頃から結構特殊な環境で育っちゃってるでしょ?」

 ウィリアムに鼻を掻かれて、馬はご満悦のようだ。ぶるん、ぶるんと鼻を鳴らして首を振っている。私はボタンを留め終えると、ウィリアムの方に向き直った。

「アレクシア殿のことを気に入ってるなぁ、とは気づいてたんだけど、全然進展ないからさ。こりゃ、どうしたもんか、と気をもんでたんだよ」

 私がウィリアムを見ていることに気づいたのか、視線をこちらに向けて陽気に笑う。

「よかったよ。アレクシア殿とそんな仲で」

「良いのか悪いのか……」

 私は正直に答える。


「ロゼッタ卿はお怒りでしょう」

「あんなじじい、すぐ死ぬって」

 ウィリアムがけらけら笑って物騒なことを言い、私は目を丸くする。

「僕はジュリアが幸せで、ジュリアが生きてたらそれでいい。邪魔するんなら、あんな老い先短いじじいの一人ぐらい殺してくるよ」

 顔は笑っているものの、緑色の瞳の奥はやけに冷たい光を宿していて、私は少しぞっとする。そういえば、この人、私と初対面の時も、返答次第では斬ろうとしたっけ。

「ジュリアは、いい国王になると思うよ。実際、いい領主だしね。ただ」

 ウィリアムはそこで、小さく肩を竦めた。

「自分の命を軽く考えすぎてるところがある。成育歴や環境を考えたら仕方ないんだろうけど……。誰かに「ああしろ」「こうしろ」って言われたら、ぶつぶつ文句言いながらでも結構従っちゃうんだよ。そう思わない?」

「……そうですか? 私には結構高反発ですけど」

「アレクシア殿にはね。好きだから遠慮がないんだ」

 ウィリアムは笑う。

 ……好きだからこそ、そこは遠慮があってほしい。

「普通、『女装しろ』って言われても、ある程度の年齢になったら嫌がるもんだよ。まぁ、本人も嫌がってたけど、あのじじいに『お前の為だ』とか言われたら、断りきれないんだよね、ジュリア。

 そんで、今度は『男に戻れ』だろ? 僕だったら即刻殺すね。じじいを。

 だけど、ジュリアは文句言いつつも従っちゃうんだよなぁ」

 ウィリアムは大きく息を吐いた。


「ロゼッタ卿に逆らえない、って言うより、『自分をちゃんと持ってない』んだ。

 自己評価が低いから、他人に言われた誰かになろうとしてる。そうやって、誰かにとっての『価値ある自分』を作り出そうとしてるところがある」

 あんなに美形で賢いのにね。そう言うウィリアムに、私は頷いた。

「だけど、アレクシア殿については、あのじじいに噛みついたみたいだし」

 ウィリアムは片目をつむって私を見た。

「なんとかして自分のものにしようと必死になってるみたいだし」

 その言葉に真っ赤になる私を見て、ウィリアムは陽気に笑った。

「いい傾向だよ。人間、何かに執着しなきゃ、生きていけないからね」

 ウィリアムはそう言って、くすり、と微笑した。


                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 館に戻ってからが大変だった。

 私たちが戻ると、すでに恐慌状態だった。

 家具の転倒や美術品の破損、一部北側の壁が崩落するなど、館自身が倒れなかっただけましな状態だった。壊れた家具の下敷きになったり、割れた窓ガラスでケガをした執事やメイドも多く、彼らの救出からの出発だった。

 その後、ロゼッタ卿の命により、各地の状況を確認すべく、幾人かの騎士が馬に乗って飛び出していった。それと入れ違うように、館にはぞくぞくと領地の被害状況が領民自らやって来ての報告が始まる。


 ジュリアが案じていた通り、雨で地盤が緩んでいた山間の村が最悪な状況だった。

 地震で山肌が崩れ落ちたらしい。

 地震発生後2日目には、ロゼッタ卿に命じられてジュリアは「ユリウス」として数人の騎士や領民を連れて現地復旧に向かうことになったのだけど、寸前で私のところにやって来た。


「ルクトニア領に鷹便を出してくれ」

 丁度その時、私はけがをした領民を集める屋外の救護所にいた。

 ロゼッタ卿が屋敷の庭を解放し、大きめの野外テントを張って、けが人をどんどん連れてくるように触れを出していた。その救護所の手が足りない、ということで、地震の次の日から私はそこで山羊髭の医師の手伝いをしていた。

 ジュリアに手を掴んで野外テントから引っ張り出され、テントとテントの合間の、人目のないところに連れて行かれる。

 ただ、彼自身が2人の執事を連れて歩いているので、決して二人っきりと言う訳じゃないのだけど。

「あそこの被害状況を知りたい」

 ジュリアはいくつかの書類にサインをしながら、そう言うと、側にいる執事の一人にその書類の束を押し付ける。「これでよし」。そう言うと、執事は恭しく頭を下げた。

「ルクトニアには、バートラムを置いて来ているから万事大丈夫だとは思うけど、念のために頼む」

 シャツとズボンというラフな格好で来ていたジュリアは、別の執事から軍靴だの軍服の上着だのを着せられながら忙しなく私に言う。

「バートラムは俺の家令だ。覚えているか?」

 私は頷く。頷いて、少し首を傾げた。


「ジュリアの」

「ユリウスだ」

 ジュリアに睨まれ、私は小さく咳払いする。

「ユリウスの代理、ということで鷹便を出せばよろしいんですね?」

「もう一枚、紙っ」

 ジュリアが怒鳴ると、書類の束を抱えて館に戻ろうとしていた執事が慌てて戻ってきた。羽ペンと紙を一枚受け取ると、執事の背中を使って器用に文章を書いていく。

「お前が俺の代理だとバートラムに一筆書いている。ひょっとしたら数日、村から帰れないから、返事があればお前が判断してバートラムに返答してくれ」

「それは無理」

 私は慌てて首を横に振った。

「大丈夫だって」

 ジュリアは手紙を私に押し付けると、執事たちに「下がってくれ。書類よろしく」と声をかける。執事たちは再び頭を下げると、小走りに立ち並ぶテントの合間をすり抜けて館の方に向かった。

「大丈夫じゃないですよ」

 戸惑う私に、ジュリアは「大丈夫だって」とまた繰り返す。そんな気楽な。呆れて私がジュリアを見ると、目が合った。にこり、と微笑まれてどきり、とする。

「ここでの仕事ぶり見ててもわかるよ。優先順位ちゃんとついてるし、判断早いし。自信がないことはちゃんと判断仰ぐし。俺は不安じゃない」

 ううう。そんな信頼をおかれても。私が恨めしげに、ジュリアを見上げると、不意に唇を重ねてきた。

「上手くできるおまじないだ」

 ジュリアはそう言って笑う。私は顔を真っ赤にして軽くジュリアの肩を叩いた。

「あんまりいちゃいちゃするんなら、ロゼッタ卿に告げ口しますぞ」

 天幕の張ってある野外テントの向こうから、山羊髭の医師が顔を覗かせる。

「人手不足でね。うちの手伝いを戻してもらいますよ」

 医師はにやりと笑うと、私の手を掴んでテントに引き戻す。

「気をつけて。鷹便も手が空いたら今日中に出します」

 私は振り返り、ジュリアに声をかける。ジュリアは笑って片手を上げると、テントの間を縫うようにして走っていった。


 ジュリアがその後、館に戻ったのは、一〇日後だった。

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