第3章

第12話 っていうか、違う。この人じゃない

 ◆◆◆◆◆◆◆◆


「貴女がねぇ」

 すぐ上の姉であるエマが、何度目かの溜息をつく。


 私は肩を竦めて手に持っていた足の長いグラスに入っているカクテルに口をつけた。


 カクテルといっても、アルコールはほとんど入っていないようだ。細かな炭酸とオレンジピールの味が舌に残る。


「あのジュリア様のねぇ」

 エマは椅子に座ったまま、ホール前方に視線を向ける。


 そこには、一段高くした観覧席が設けてあり、椅子に座ったジュリアを挟んで、ウィリアムとエドワード王子がいた。


「何回おんなじことを言ってるのよ」

 苦笑して姉を見下ろす。


「だって、本当にそう思うんだもの」

 姉は背中を反らし気味にしながら私を見上げる。大分前にせり出してきたお腹を時折さすりながら、ふぅとまた息を吐く。


「お腹、辛いの?」

 思わず尋ねてしまう。


『今度旅の途中、姉上の居館近くで一泊するため、お伺いしてご挨拶します』

 そう手紙に書いたら、早便で『私がジュリア様にご挨拶かねがねお伺いします』と返信が来た。


 ジュリアにそう伝えると、

『どうせ、宿泊する館で舞踏会を開くらしいから、その時に来て貰え』

 とあっけなく了承され、妊婦の姉を慮ってわざわざ馬車まで迎えに出してくれた。


「お腹は別にどうってことないんだけど」

 エマは肩を竦めてフロアを一瞥する。


「この雰囲気にお腹が一杯だわ」

「その気持ち、わかる」

 私とエマは顔を見合わせて笑った。


 男爵家に育ったとはいえ、こんなパーティーだの舞踏会だのとは無縁の生活をしてきた。

 父も母も質素だったし、なによりそんなに羽振りの良い家とは言いがたかった。


 今、目の前にいる貴族だの騎士だの淑女だのは、それなりの階級でそれなりの金持ちなのだろう。着ている物も、身につけているものも相当にお金がかかっていることが見て取れる。

 お金って、あるところにはあるもんだな、と思う。


「お屋敷からここまでどれぐらいかかったの?」

 姉は私を見上げて尋ねる。私は首を傾げた。


『おじい様の館に行くことになったから』


 そう私にジュリアが告げたあの晩。

 館に帰ってすぐに旅支度を始め、屋敷を出たのは次の日の朝だった。


 ウィリアムもジュリアも、当然私も、馬には乗れるんだけど、いくらなんでも「姫」を馬に乗せるわけには行かず、私とジュリアは馬車での移動となった。


 騎乗でついて来ているウィリアムを、ジュリアはうらやましそうに見ていて、何度か「馬に乗りたい」という彼を宥めるのが大変だった。


 途中、王家ゆかりの小さなゲストハウスに宿泊しながら、今日はエドワード王子の夏の別荘でもあるこの館に泊まる事になっていた。


 なんでも、もとはヘンリー王が王弟時代につかっていた別荘らしい。

 古さはあるけれど、脆さは無く、格式はあるけれど、傷みはない、良い屋敷だ。


「四日目かな」

 途端に、エマは顔をしかめた。


「お尻が痛くなっちゃうし、馬車の中ばかりだと飽きちゃうわね。今日の舞踏会はその気晴らしかしら」

 エマはそう言うが、初めての長距離の旅に私はずっと興奮しっぱなしだった。


 護衛も兼ねているウィリアムは飽きる暇はないようだし、ジュリアはと言うと、なんだかいろいろ考え事があるようで、「馬に乗りたい」と騒ぐ以外は終始無言だ。


 今日のこの舞踏会だって、エドワード王子が企画さえしていなければ、いつもの〝体調不良〟で、部屋に引っ込みたいのが本音のようだ。


「初めてお会いしてお話したけど、あのお姫様は本当にお綺麗ねぇ」

 エマはうっとりとしたように観覧席のジュリアを見ている。


 男だけどね。


「お優しいし」


 気まぐれだけどね。偏屈だし、暴言吐くし。


「貴女、ほんとうにあんな方のところにお仕えできて幸せよ」


「そうかな」

 とうとう本音が口から飛び出し、エマに不審げに見られた。誤魔化すようにカクテルを口に含むと、エマはまた観覧席に視線を戻す。


「あのエドワード王子と言う方にも初めてお会いしたわ。王位継承権何位なのかしら」

「七位らしいよ」

 答えると、エマは小さく肩を竦める。


「生きてるうちには回って来なさそうね」

 私が小さく笑うと、「でも」と、エマは言葉を継いだ。


「ジュリア姫とご結婚なさったら話は違ってくるんじゃない?」

「結婚?」

 思わず大声で言ってしまった。近くにいた、若いカップルが不審げに私を見るものだから、慌てて小さく頭を下げる。


「だって、無い事はないでしょう。あんなに仲睦まじいんですもの」

 エマは片手でお腹をさすりながら、もう片方の手で観覧席を指差す。


 確かに。

 椅子に座るジュリアに、エドワードは腰を折って話しかけ、時折二人で陽気に笑っている様子は恋人同士にも見える。

 見えるけど。


 致命的なことに、両方が男だ。


「ジュリア姫は、先王の忘れ形見でしょう? 従兄弟でもあるエドワード王子との間に男児でも設ければ、話は変わってくるんじゃない?」


「変わらないでしょう。王位継承権がその男児に行く事はないわ」

「法上はね。だけど、世論は違うんじゃない?」

 エマはそこで少し声を潜めた。ちらちらと周囲に視線を走らせ、私を手招く。膝を曲げてエマの口元に耳をやると、エマは手を添えて話し始めた。


「ヘンリー王は評判悪いからね」

「そうなの?」

 私は眉をひそめる。


 ジュリアの正体がばれないように、屋敷に居る時は極端に人の出入りが制限されている。そのせいで、噂話や外部の話、王家の話って、なかなか入ってこない。


 いや、入っては来てるんだろうけど。

 私はちらり、と観覧席に目を向ける。


 ウィリアムとジュリアが小声でまた何か会話をしているのが見えた。

 多分、極力私の耳に入れないようにしている。


「なんで評判悪いの?」

「このフロアを見たら分かるでしょ」

 エマは顎でフロアをしゃくる。


「結構な派手好きらしいわ。先の王が倹約家だっただけに、議員たちからは睨まれてるようだし、民衆にも嫌われてるみたい」

「民衆にも?」


「国費が足りなくなれば、税金を上げれば良い、って発言したのが漏れたようね。王都では商人も怒ってるそうよ」

 それにね、とエマは更に声を潜めた。


「王都を作り変えたいとか言い出してるらしくて……。どこにそんなお金があるのよ。おまけに、作り変えるとなったら、住んでる人の立ち退きもさせなきゃいけないでしょ? もう、滅茶苦茶よ」


 ふぅん。

 私は小さく返事をしてフロアを眺めた。


 民衆が不満を抱えている。

 王都を作り変えたい王様は、みんなに不人気。


 ここにいる紳士淑女を見る限り、そんなことを微塵にも感じない。

 彼らや私たちが鈍感なのか、それとも気付いていて気付かない振りをするのが得策だと思っているのか。


「ねぇ。ところで貴女」

 不意にエマが背もたれから体を起こした。


「なに?」

「貴女、そのドレスちょっと地味じゃない?」


 ……う。

 私は口ごもって自分の格好を見下ろす。


 淡いブルーのドレスだ。クリノリンが入っているせいで、かなりふわふわしている。腰の辺りには大きくたっぷりとしたリボンがついていて、私的には大分「派手」な物を選んだつもりなんだけど……。


 目の前のフロアには、黄色だのピンクだの赤だの、ドレスの色が洪水のように溢れている。


 ……実は、このドレス。ジュリアに借りたものだ。

 もう着ない、というジュリアのドレスの中から貸してもらったのだけど。


『地味だって。絶対、地味だってッ』

 ジュリアにもウィリアムにもそう言われたけれど、今まで茶色や紺色を好んで着ていた私にとっては、二人が選ぶ色はどれもハードルが高すぎて……。


「宝飾品とか持ってなかったっけ? 私の貸してあげようか」

 エマはそう言って自分が今身につけているネックレスを外そうとするので、慌てて首を横に振る。もう結構です。私、いっぱいいっぱいだから。

 そんな私がエマには不満らしい。


「折角良さそうな殿方がたくさんいらっしゃる舞踏会に連れて来てもらっても、目立たなきゃ声をかけられないでしょう」

 私は小さく唸ってグラスの中の液体を眺めた。


「どうせ私、着飾ったってきれいじゃないし」

「あのねぇ」

 エマが声を上げる。俯いた私の顔を覗き込むように、椅子から身を乗り出してきた。


「女が『どうせ』って言い出したらもう終わりよ、あなた」


 うぐ……っ。

 始まっても無いのに、終わってしまった……。


「自信持って立ってなさい。貴女に足りないのは、自信よ」

「エマは美人だからそう言うのよ」

 口を尖らせて姉を見る。


「背も低いし、顔も丸いし、胸は大きいし、肌だって綺麗だし」

 つい、ひがみ口調でそう言うと、エマはまじまじとしばらく無言で私を見つめる。そうやって黙ってみられたら、なんとなく話しづらくなって私は尻すぼみに言葉を消した。


「貴女、好きな殿方がいるんじゃないの?」

 エマは首を傾げるようにして私に尋ねた。


 唐突に。

 本当に、唐突に。


 頭に浮かんだのは、ジュリアの顔だった。


 何より私自身が驚き、「違う違う」と言いながら頭に浮かんだジュリアに向かって首を横に振る。拍子にグラスのカクテルを零れさせ、エマにくすくすと笑われた。勝手に顔がどんどん真っ赤になっていく。


 近くの執事が気付き、銀の盆を持って私の側に近寄ってきたので、私は空になったグラスを彼に返しながら、熱をもったような頬を手で扇いだ。


「いるんじゃない。好きな方が。なら大丈夫よ」

「なにが。誰もいない、って。っていうか、違う。この人じゃない」


「どの人か知らないけど」

 エマはゆったりとした微笑を私に向けた。


「その人に抱きしめられたり、髪を撫でられたり、『愛してるよ』って言われたら、肌は綺麗になるし、髪はつやつやになるわよ」


「ないっ。そんなことは全く無いし、そんな言葉を口にするような人じゃないっ」

 ぶんぶんと首を横に振る私を、エマは可笑しそうに笑って見つめる。


「ところで、あなた達は今日はこの館に泊まるの?」

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