第8話 不満、なのかよ
「ウィリアム」
ジュリアが小さく、腕をとるウィリアムに声をかけた。
まるでそれが魔法が解ける合図かのように、大広間の貴族たちはみじろぎするように動き始めた。
「なんとお美しい」
「噂ではお聞きしていたが、ここまでとは」
会場の貴族や騎士たちが噂する声がさざ波のように聞こえてきた。
多分、ジュリアにも聞こえているのだろうけど、完全無視だ。
腰を屈めるウィリアムに手を添えて何か耳打ちをする。
ウィリアムは笑顔で頷くと、サンダース公爵夫人に向かい合った。
「姫は朝から体調がすぐれず、少しお疲れになっているようです。申し訳ありませんが、席から舞踏会を拝見してもよろしいですか?」
サンダース公爵夫人は見る間に慌てふためく。
「ええ。ええ。どうぞごゆっくりなさってください。お席は二階にご用意しておりますから」
私は顔を上げた。
二階。
くるり、と首を廻らせると、会場の東側に螺旋階段が見えた。
その先に、観覧席が見える。
半円状にせり出したその席には豪奢な椅子が一脚と、いくつかの木製イスが並んでいた。
「では失礼いたします」
ジュリアは小さくそう言う。
「また、後程ごあいさつに参上します」
そう声をかけるサンダース公爵夫人に、一瞬ジュリアは険のある視線を向けたが、腕を取るウィリアムがくるりと方向を変えて歩き出したせいで、夫人には気づかれなかったようだ。
流石、ウィリアム。
そう思っていた矢先。
「扇子忘れた。貸せ」
私の前を通り過ぎざま、ジュリアは男の声で小さく私に耳打ちする。
ちらり、とジュリアを見ると、バッグを持っていない。
慌てて自分の手提げバッグの中から扇子を取りだし、ジュリアの手に滑り込ませた。
控室にバックを取りに戻った方がいいかな。
迷いながら扉に視線を走らせてそんなことを考えていたとき、ウィリアムに声を掛けられる。
見ると、二人は足を止めて私を見ていた。
「アレクシア殿。姫がお側に、と」
ウィリアムは笑顔を湛えたまま私を見ている。
急いで、二人に近づいた。
「離れるな、って言っただろ」
すぐさま、ジュリアに叱られた。
顔は扇子で隠しているせいで、周囲の人にはジュリアが話していることすら気づいていないようだ。
「扇子をお忘れになったので、取りに戻ろうかと」
途端に、前を歩いていたジュリアに、冷たい視線で睨まれた。
「取って来てほしい時はそう命じる」
「でも、その扇子、そんなに高価なものじゃないですから。見栄えが悪いですよ」
顔をしかめてジュリアが持つ扇子を指さす。
「うるさい」
とうとうジュリアに小声で怒鳴られた。
「俺が持つと、道端の石さえ宝石に見える。何を持とうが、かまわん」
「はぁ。まぁ」
曖昧にうなずいて、二人に続いて階段を上り始める。室内では音楽が再び流れ始めたようだ。
舞台で楽団の指揮者が優雅に指揮棒を振っているのを横目に見ながら、私は観覧席の方に向かった。
「良い席ですね」
曲線を多用した木製の布張りイスに座るジュリアに、感嘆の声を上げる。
フロアを一望できる席だった。
色とりどりのドレスを着た貴婦人たちや、押さえめな色調ながらも銀細工などの小物を活かした騎士や紳士たちがフロアにはひしめき、なかなか華やかな様子だ。
イスの後ろにはたっぷりとした生地を使ったカーテンが見える。
近づいてカーテンをめくると、ガラス張りの観音扉があり、大理石で作ったテラスに続いていた。
「テラスもありますよ! 素敵っ」
興奮して、ジュリアの元に駆け戻る。
「そうか?」
ジュリアは澄ましてイスに座りながらも、扇で隠した表情は〝うんざり〟といったものだ。
「いや、そりゃジュリアはこういった舞踏会によくお出でになるから珍しくないんでしょうけど」
観覧席の手すりから階下のフロアを眺めながら言う。
「なかなか壮観じゃないですか」
「フロアに行きたい、って顔だよね」
ウィリアムが私にそう声を掛ける。
……う。
言葉に詰まって振り返ると、ウィリアムはジュリアの座るイスの背後に控えながら、笑顔を向けていた。
「踊れるのか、お前」
ジュリアは扇で顔の大半は隠しながらも、訝しげな眼を私に送る。
失礼な。
「これでも男爵家の娘ですよ」
「売れ残りのな」
ジュリアは笑う。
正しいだけに反論はできないけれども。
けれども……っ!
「ワルツなら踊れますよ」
「ワルツだけだろ。胸を張って言うことかよ」
ふん、っとジュリアに鼻で嗤われる。
腹立つっっ。
「アレクシア殿がフロアに行きたいのであれば、行ってもいいんじゃないですか?」
ウィリアムがちらり、とジュリアに視線を向けてそう言ってくれる。
私は目を輝かせてジュリアを見た。
ジュリアはぎゅっと柳眉を寄せて睨み付けてくる。
「何しに行くんだよ、あんな人がゴミゴミしてるところに」
「何しに、って……」
背後のフロアを一瞥し、またジュリアを見た。
「楽しそうじゃないですか」
「ダンスが?」
「ダンスだけじゃなくって、いろんな方とお話しできるし」
「俺と話せばいいじゃないか」
「……………………そうですね」
「何が不満なんだっ」
身を乗り出して怒鳴るジュリアに、ウィリアムが、まぁまぁ、ととりなす。
いや、不満でしょ。
どう考えても不満でしょ。
「ジュリアと話しをするのは、当然楽しいんですけど、それ以外の人とお話をしてみたい、ということですよ」
ウィリアムはにこりとジュリアに微笑む。
「だって、他の人と話さないと、『ああ、やっぱりジュリアと話す方が楽しいな』って思えないじゃないですか」
……うまい。
呆れてウィリアムを見るが、ジュリアはそれで納得してしまった。
「なるほど、それもそうだ」
そう言って、また背もたれに体を預ける。
「じゃあ、行ってもいいんですか?」
わくわくしながらジュリアに尋ねる。
扇から目だけ出したジュリアはそんな私をじっとりと見つめた。
「婿候補を探しに行くのか」
う。
押し黙ると、ジュリアは小馬鹿にしたように見下ろした。
「いろんな方とお話、って。お前、男を探しに行くだけだろ」
「そういう浅ましい言い方はやめていただけません?」
きつくジュリアを睨みつける。
「私だって、父を亡くして後ろ盾がない今、父に代わる誰かを見つけないといけないんですっ」
「見つかるのかよ、こんなところで」
「行ってみないとわからないでしょう」
「一九回も見合い断られてさ」
「一八回ですっ」
大声で訂正する私に、ウィリアムがこっそりと「一九回のうち、一回はご自身でお断りしましたので」と耳打ちしている。
その姿がまた腹立つっ。
「俺の館に就職してるんだからいいだろ、それで」
ジュリアはイスの肘掛に頬杖をついて、私を見上げている。
「……そりゃ、そうなんですが」
そう言って、語尾を濁す。
『この仕事、危険すぎるんです』
とは、面と向かって言えない。
だって、誰より『危険』なのは、ジュリアなのだから。
結局、ジュリアが危険だから、私も危険なわけで。
だからといって、その危険から私だけ逃げるのも心苦しいわけで。
ジュリアの『家庭教師』として勤めてまだ5か月ほどだけど。
暴言を吐かれようが、罵られようが、わがままを言われようが。
着実に愛着を感じている自分に気づく。
気付いているから、余計に思うんだろう。
この人の側を早く去らないと、と。
基本、『危険』なのだから、『後ろ盾を探す』という名目で結婚に逃げよう、と思っている自分がいる。
「不満、なのかよ」
ぽつり、と声をかけられて、脳内ループを繰り返していた私はジュリアを見た。
珍しく、碧い眼に不安そうな色を滲ませて私を見ている。
なんか。
そんな顔をされたら、ますます深みにはまるというか……。逃げられないというか。
私は困って眉をハの字に下げた。
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