第32話 ジョージ王の遺児

『すぐに帰ってくるから』  

 そうは言ったものの、実際には、ジュリアが……。


 いや、ユリウスが館に戻ってきたのは、一ヶ月も経っての事だった。


 私はユリウスから借りた部屋で、バートラムから来た翻訳や通訳の書類を作成して過ごしていたのだけれど。


 館の中に居ても噂は聞こえてきた。


 王都が壊滅状態であること。

 それを復興させるお金が、本当に国庫にないこと。

 ヘンリー王の散財と、その取り巻きたちが私腹を肥やしたためこのようなことになったこと。


 それに加え、噂が流れた。


 ヘンリー王は自分好みの王都を作りたいが為に、地震の後、わざと都に火を放ったのだ、と。


 もともと、王都を作り替えたかったから、これを機に、火をかけて焼き払ったのだ、と。


 そんなこと、あるわけが無い。

 領主や貴族たちはそう言ったが、王都の住人や商人、騎士たちは噂を信じてしまった。


 王都は今、武器なしでは歩けないほど、物騒なのだそうだ。

 そんな中、わずかな供回りだけを連れて出て行ったユリウスが、ただただ心配だった。


 ウィリアムが居るとはいえ、無事だろうか。

 怪我はしていないだろうか、と考え続けたら館を飛び出しそうで、私は必死に、バートラムから依頼された仕事をこなし続けた。



 そんな状態で一ヶ月を過ぎた頃、ユリウスたちは帰還した。


 当然、出迎えて情報を聞けるのはロゼッタ卿など一部の身内だけなわけで。

 私は部屋から出てなんとかユリウスに会えないかと館をウロウロしたものの、ユリウスどころかウィリアムにも会えなかった。


 今日は流石に、疲れてるだろうな。

 明日、顔を見に行ってみよう。


 夜になり、私はベッドの中にもぐりこみながらそう思う。枕もとのカンテラの火を消すと、室内は真っ暗になった。


 会うための口実は、会えなかった今日で一杯みつかった。


 まずはバートラムからの手紙を渡す。

 続いて、依頼された仕事の内容の説明。交易船からの要望で対応できる案件はあるのかどうかのユリウスの確認。


 ベッドに入ったまま、天井を見上げる。闇に目がなれ、うっすらと室内の様子が見え始めた。


 仕事の話が終わったら、言おうと思う言葉も考えてある。


 まずは〝ユリウス〟と名前で呼ぶこと。

 それから、会えなかった間、とても寂しかった、と伝えること。


 ……ユリウスと呼ぶのはいいとして、もう一つのことは、ちょっと重いかな。


 私は口をへの字に曲げた。考え直そう。別のことを言おう。


 いつルクトニアに帰るのですか。

 そう尋ねる方がいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、こつこつ、と控えめにドアがノックされた。


 そっと、体を起こす。聞き間違いか、別の部屋のドアを誰かが叩く音かと思い、耳を澄ます。


 こつこつ。

 また、二回鳴る。やっぱりこの部屋だ。


 ベッドから足を下ろし、そっと扉に近づいた。


「はい……」

 小さく返事をすると、「俺」と、懐かしいテノールの声が聞こえてきた。


 ユリウスだ。

 ドアノブに手をかけ、素早く内側に開く。


「起きててくれてよかった」

 ユリウスは私を見下ろして笑う。


 晴れた日の空のような青い瞳も、金砂をまぶしたような金の髪も。

 ちょっと意地悪そうに口の端を吊り上げて笑う癖も、全部ユリウスだ。


「ユリウスだ」

 思ったことがそのまま口から飛び出た。


「こんな時間に、他に誰がお前の部屋に来るんだよ」

 むっとしたようにユリウスが言い、噴出した。

 相変わらず、そんな非現実的なことにさえ怒っている。


「ちゃんと、俺の名前を呼べるようになったのはえらいぞ」

 そう言って、ユリウスは私の頭をなでる。


 若干、「子ども扱いして」と思ったのは確かだけれど。

 気付いたら、私は腕を伸ばしてユリウスに抱きついていた。


「せめて部屋に入れてくれよ」

 ユリウスは苦笑すると、私を抱きつかせたまま、部屋の中に入って後ろ手で扉を閉めた。


「元気だった?」

 私を抱きしめ、首元に顔を埋めて尋ねる。

 話すと吐息が首にかかってくすぐったい。笑って彼から離れる。


「ユリウスこそ。ご無事でなにより」

「ついでに言うと、ウィリアムも元気だよ」

 本当についでの様子でユリウスは伝える。

 そうか。彼も元気か、と笑みこぼれた。


「バートラムから来た手紙は明日見せましょうか?」

「そうだな」

 ユリウスは少し首を傾げて呟くと、しばらく私を闇越しに眺めている。


「……どうか、なさいましたか?」


 その視線も、態度も、明確にない返答にも。

 なにもかもに、不安を覚えた。

 軽く拳を握り、彼を見上げる。


「明日、また王都に行く」

「王都に? また?」

 訝しげに目を細めてユリウスに尋ねた。


 何を言おうとしているのか。

 何故そんなことを言い出したのか。

 それを細分違わず聞こうと、ユリウスの顔に目を凝らした。


「王都はもう、ダメだ」

 ユリウスは形のいい眉を下げた。


「町中が瓦礫と死体の山だった。民を救おうにも、都を直そうにも、金がない」

 力なく肩を竦める。


「本当に、国庫に金がないんだ」

 だけど、と。ユリウスは続けた。


「現地で合流した各地の領主たちと復興の指揮を執っていたら」

 乾いた笑い声を、彼は立てた。


「王が逃げた」


「……なんですって?」

 私は聞きなおす。

 ユリウスはわずかに俯いた。長い睫が彼の目の動きを隠す。


「王が逃げたんだ。崩壊した王都を見ると、気分が悪いと言い出したらしい。エドワード以外の王子を連れて、夏の別荘地があるクラーク領に向かったと聞いた」

 呟くように言う。


「すぐに噂が流れた。王が地震後に都に火を放ったんだ、と」

 例の噂だ。

 私は握った拳に力を入れる。


「いくら違う、と言っても民も商人も、誰も信じない。なにしろ王がいないんだから、真実味が無いんだ」

 ユリウスは息を吐くようにそう言った。視線は床に落としたままだ。


「しばらくしたら、エドワードが陣頭に立って王に対して反感を持つ奴らに言い始めた」

 彼は顔を挙げ、私を直視した。


「ここに、ジョージ王の遺児がいる、って」


 私は言葉が見つからない。

 吐くべき言葉が私の中にない。


 ユリウスも私の言葉を期待しているわけではないようだ。視線をするりと外し、ぼんやりと暗闇に漂わせながら言葉を続ける。


「俺は打倒ヘンリー王の旗印にされている。明日、反乱軍を組織して王都に向かう」


「ロゼッタ卿は?」

 ようやく私はそれだけを口にする。

 ちらり、とユリウスは顔を上げた。

 さっきまで、話をしていたはずだ。報告をしたはずだ。このことを。

 彼が今、語ったことを。


「おめでとう。お前の時代がやってきた、だと」


 私はまた、言葉を失くす。

 二人でしばらく、ただ無言で暗闇の中、立ち尽くしていた。

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