第39話 ルクトニアへ

 

 目を醒ました時。


 一番に目に入ったのは乱雑な室内だった。

 乱れたソファや開けっ放しの扉。脱ぎ散らかした衣服が床に放り出されていた。


 だけど。

 視界の中に、ユリウスがいない。


 一気に体が冷えた。

 私はベッドに手を突き、体を起こす。


「ユリウスっ」

 思わず口から名前が飛び出した。


「なに」

 途端に、眠そうな。気だるそうな声がベッドの奥から聞こえる。


 反射的に振り返ると、うつ伏せに枕に顔を埋めて眠る彼の姿があって、大きく息を吐いた。


「いるよ」

 ユリウスはうっすらと目を開けると、私の腕を握る。


「これからずっと、ちゃんと側にいる」

 彼の目を見ていたら、知らずに涙が零れてきた。ユリウスは手を離し、その涙を拭ってくれる。


「大丈夫。ちゃんといるから」

 そう言って、相変わらずの意地悪な笑みを浮かべた。


「ってか、眼福なんだけど」


 そう言われ自分が裸だった事を思い出し、私は慌ててシーツをかき寄せて、枕でユリウスの顔を叩いた。


「昨日、散々見たのになんで恥ずかしがるわけ」

 ユリウスが笑いながら私の枕を避ける。


「それとこれとは別っ」

 怒鳴りつけると、ユリウスは私の腕を取って引き寄せて抱きしめた。

 途端に、思い出す。


「あ!」

 キスして来ようとするユリウスを押し返して、私はまた体を起こした。今度はちゃんとシーツを胸の前で掻き合わせるのを忘れない。


「今日、シャーロットの舞踏会!」


 万全の態勢で臨みたいのに、大変だ。

 今何時!? 私の服、どこっ!?


「あれ、俺も呼ばれてるんだ」


 呑気にユリウスがそう言う。

 はぁ!? じゃあ、こんなところにいる場合じゃないでしょうっ。


「だったら、ユリウスも準備しないとっ」

「大丈夫だよ。俺が行かなきゃ始まらないんだから」


 なんという横柄なものの考え方。


「せっかく、この家買い取ったんだから、もう少しゆっくりして行こうぜ。そういや、ウィリアムに、『愛欲の館』とか名づけられてたな、この屋敷」


「最っっ悪っ」

 再び怒鳴ると、「あ」。と声を上げてユリウスは起き上がった。改心して定刻通り舞踏会に行く準備をするのかと思ったら、


「アレクシアの服、どこだっけ」

 そんなことを言い出した。


「そうですよ。私、シャーロットの付き添いで……」


 服、服、と室内を見回し、ソファの辺りに脱ぎ捨てられている自分のシャツとスカートをみつけた。


 ……脱いだというか。

 脱がされた状況を思い出して、なんだか顔が赤くなるし、そもそもあそこまで服を取りにどうやって移動したら良いのか。


「お前、あの服を着るなよ」

 シーツにくるまってもぞもぞしていたら、不意にそんなことを言われた。


「お前のドレスと靴と、装飾品一式はこっちで用意してるから。どこだったかな。ウィリアムがスーツケースに入れて家のどこかに置いてるはずだ。あとで取って来てやる」


「……なんのことですか?」

 眉根を寄せてユリウスを見る。

 ユリウスは胡座し、私を見返していた。青い、晴天の空のような瞳が笑っている。


「アレクシアも舞踏会に参加するんだ」

「そうですよ」

 大きく頷いた。


「シャーロットの付き添いで……」

「違う違う」

 ユリウスは陽気に笑って、私の肩口に流れる髪を後ろに弾く。


「俺とお前がそこで踊るから」

「……なんですって?」

 ゆっくりと聞きなおす。ユリウスはくつくつと喉の奥で笑い声をたてた。


「俺はワルツを踊るんだ、お前と」

 言葉を無くしていると、ユリウスはゆっくりと、私の頭を撫でる。


「〝王子様〟じゃなくて、〝王様〟だけど、ワルツをご一緒していただけますか?」


 鼓膜を彼の言葉が撫でた瞬間。

 ユリウスの首に抱きついた。


 突然のことだったのか、ユリウスはベッドに押し倒され、笑い声を立てる。


「やっと、人前でお前と踊れるよ」

 私を抱きしめ、ユリウスは言う。


「ずっと、一緒にいような」

 ユリウスの腕の中で、頷いた。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆


 ユリウス・オブ・ルクトニアが正式な『フォードランド正史』に名前を残すのは、わずか二ページだ。

 彗星のごとく現れたこの若き美貌の王子は、瞬く間にヘンリー王を倒し、在位二年と言う短期間の間に様々な施策を提案。実行に移している。正式にその施策を動かしたのは、エドワード・オブ・フォードランドだが、彼はあくまで実行に移した王でしかない。

 一級史料の中に、ユリウスの幼少期について記された文書は無く、代わりに存在するのは、彼の双子の妹であるジュリアの記述だ。ジュリア・オブ・ルクトニアはルクトニア領領主に封じられ、数年間統治に勤めたものの、病気療養のために尼僧院に入ってその人生を終えている。

 そのジュリアと入れ替わるように歴史に登場するのが、ユリウスだ。

 祖父であるロゼッタ卿の領地にて、隠れるように生きていたユリウスは、ジュリアが表舞台から消えると同時に史料に現れてくる。

 だからこそ、後世の歴史家の中には、『ユリウス・ジュリア同一人物説』を唱える者も多い。

 王位を退いたユリウスは、その後、妹の持領であったルクトニア領に遷り、領主としてその地を治めている。その妻、アレクシアについては、洗礼名と家系図、実父の確かな史料があり、その実存が確認されている。

 交易を中心に栄えた海港都市でもあるルクトニアにおいて、彼女の外国語能力は重宝されたようだ。ルクトニア領と交易があった国においてもその名は史料の中に残されており、『目鼻立ちの整った綺麗な女性』であり、『数ヶ国語を操る才女』と記されていた。

 二人の間に子は男児一人しかおらず、その子が成人すると同時に爵位を譲り、二人は諸国を旅したという。

 巡察を兼ねた旅を続けた彼らはその地、その地で数々の逸話や武勇伝を残している。また、彼らが伝えた航法や法整備は現在も一級史料として各地の教会に現存している。

 そんな、二人の棺は、今もルクトニア領の聖セシリア教会に安置されている。

 七二歳で老衰のため亡くなったユリウスを看取るように、アレクシアも翌年、この世を去った。彼女の遺言どおり、棺はユリウスの隣りに安置されており、死してなお、二人は離れることがなかった。


                  本編 了

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