第33話 私は、卑怯だ

 沈黙を破ったのは、ユリウスだった。


「この前、お前は言っていただろう?」

 私の目を見てそう言う。


 なんだろう。何を、言ったのだろう。


「俺は何をしたいのか、って」

 そう言われ、思い出す。そうだ。確かにそう言った。


「俺は、あの王都を立て直したい、と思った」

 少し微笑んで、彼は首を傾げた。


「王都を見たことは?」

 首を横に振る。

 噂や物語では聞いたことがあるけれど、実際に見たことは無い。


「良い所だったよ。住人は陽気だし、商人は鷹揚だ。貴族や騎士も自分に誇りを持ち、行動を律していた。すべての王都の住民は、この町に〝王が居る〟ということを誇りに思っていた。そんな他国に誇るすばらしい街だった」


 だけど。

 ユリウスは俯く。


「さっきまで居た王都は別物だ。地震で倒壊したのは仕方ない。燃えてしまったのも仕方が無い。だけど、王はおらず、大人は子どもから食べ物を奪って飢えをしのぎ、道ばたには病や怪我をしたまま放置された老人や女が重なるように倒れていた」

 彼は顔を上げ、また私を見る。

 青い瞳が、宝石のようだ、とぼんやりと眺めた。


「ただ、粥やパンさえあれば生きられた子どもたちがどんどん死んでいく。まだ年端もいかない女の子が、飢えをしのぐためだけに体を売る。家族を守るためだけに、男が盗賊に成り下がる」

 ユリウスの瞳の奥には、熾火おきびのような輝きが燈っていた。


「取り締まろうにも、規律がない。法もなければ、指示を下す人間がいない。王が逃げたんだからな」


「ユリウス……」

 私は……。

 私の心の矛盾に押されるように、ただ彼の名前を呟いた。


 この話を聞きたい。

 ようやくユリウスが、ユリウスのするべき仕事を見つけたのだ。それを今、私に語ってくれようとしている。


 だけど。

 一方で、私は耳を塞ぎ、叫びだしたかった。


 聞きたくない、と。

 この話は聞きたくない。私にはこの話の先が見えている。


 この話の最後は。この話の最後は。この話の最後は。


「俺はあの王都を元通りに戻したい。それが出来るのが、ジョージ王の遺児である俺だけなら、俺はやろうと思う」

 ユリウスは力強い瞳で私に語る。


 ……。そうだ。

 そうなのだ。

 この話の最後は。


「そのために、ヘンリー王が邪魔だというのなら、討とうと思う」


 そうだろう。こうなるのだ。


 私欲のために国の財源を使い果たし、困窮した民を見捨て、自分のことだけを考えて行動する王は、王ではない。


 それは、だ。


 害悪は取り除かなければならない。

 取り除いたら。


 誰が王になるのだ。王になるのは誰だ。


 ユリウスではないのか?


「その、ヘンリー王を討つための人たちは多いのですか?」


 卑怯だ、と私は思った。

 そう思ったのに、自分の胸の中に湧き上がるこの不安を、自分で打ち消すことが出来ない。


 今ここで、ユリウスの行動を制しなければ、私の手の届かないところに行ってしまう。


 ヘンリー王の代わりに、ユリウスが王になってしまう。


 そうなったら、もう。そうなったら、もう。そうなったら、もう。


 きっと、もう。

 私は、彼に会えない。

 彼の隣にはいられない。


 私は必死に、ユリウスを私の手元に留める為だけに、彼の言葉の曖昧な部分を突いた。


「ユリウスや、エドワード王子の賛同者は多いのですか? 王に反旗を翻す、と簡単におっしゃいますが、勝機はあるんですか?」


 なんて卑劣な、と自分で思う。


 ちがうちがうちがうちがう。

 

 もう一人の私が心の中で頭を掻き毟って首を横に振っていた。


 貴女のするべきことは、ユリウスを送り出すことではないか、と。

 ユリウスが初めてみつけた、『自分の成すべきこと』を応援することではないか。

 それなのに。


「また、ルクトニアに帰ってこれるんですか?」

 私は無言のままのユリウスに追い討ちをかけた。


「どうなんです、ユリウス」


「わからない」

 ずっと無言だったユリウスは私と視線を合わすと、そう言った。しばらく唇を噛んだあと、ゆっくりと話し出す。


「エドワードに同調している奴らも、勝てるかどうかなんて分かっていない。ただ、義憤を感じて立ち上がっただけだ」


「そんな無謀な」

 そう呟いた私は、最悪なことに、喜びを感じていた。


 そうでしょう、ユリウス。

 そんな危ないことはしてはいけない。

 ルクトニアに帰りましょう。

 私と一緒に。ウィリアムと一緒に。


 あのルクトニアに帰りましょう。


 そう言おうとした瞬間。

 ユリウスは私の目を直視して断言した。


「だけど、見捨てられない。王都のあの民と同じぐらい、ジョージ王の遺児だ、というだけで俺を盲目的に信じてるあの人たちを裏切れない」


「ユリウス……」

 室内に広がる闇のせいだけでなく、私の目の前は真っ暗になった。


 絶望に。

 ユリウスの決意に。


 ああ。

 私は心の中で呟く。


 この人はもう、隠れるように生きていたジュリアではない。


 王になる、ユリウスだ。

 次代を担う、若き王だ。


 私なんて、もう近づけない。

 亡命貴族の娘が側にいるなど許されない。


 そんな、地位になる人だ。


 この会話の最後は、こうなると決まっていたのに……。

 私は、なんて、馬鹿で、卑怯なんだろう……。

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