第4章
第23話 寝てろよ
◆◆◆◆◆◆◆
がくり、と大きく馬車が揺れて、はっと目を醒ます。
反射的に向かいのエドワード王子を見ると、気遣ってくれたのか、窓の外に視線を走らせて「見なかったふり」をしてくれた。
「寝てろよ」
隣りのジュリアは、というと、ぼそり、とそんなことを言う。
……ばれてるよね。そりゃそうだ。
「大丈夫です」
そう口にしたつもりが、「らいひょうぶれす」と口から零れ出て、エドワード王子が唇を噛んで肩を震わせている。
それでも、笑わない。……紳士だ。
「寝てろよ」
紳士じゃないジュリアは、じろりとにらんで、もう一度言った。
私は困惑して、眉をハの字に下げる。
正直に言えば、眠いというより、だるい。
『館では安全が確保できないから、早めにロゼッタ卿の屋敷に行こう』
私が気絶している間に、エドワード王子がジュリアにそう提言したようだ。
賊を捕まえてみたら、エドワード王子が警備として雇った騎士だったらしい。
身内に敵がいる。
それがエドワード王子を不安にさせたようだ。
ロゼッタ卿というのはジュリアのおじい様で、元々その屋敷に呼ばれていたのだから、その屋敷に向かうことはなんの問題もなかったのだけれど、ジュリアとウィリアムが渋ったのは、私が怪我をしていることだった。
『刀傷は熱を出しやすいしですし、傷の癒着も悪くなるからあまり動かしたくないんですが』
ウィリアムの慎ましい進言は、エドワード王子にその場で却下されたらしい。
『ジュリアと、しがない男爵の娘とどちらが大事なんだ』と。
結局、目が覚めた私はエドワード王子から「痛み止め」なる謎の液体の薬を飲まされて、馬車に詰め込まれた。
ウィリアムとエドワード王子の配下が馬車を囲み、私とジュリア、エドワードが馬車の中に入っての移動だった。
あの、「痛み止め」とかいう液体薬。
あれがなんかおかしい。
確かに痛みは消えたんだけど、代わりに酔っ払ったように頭がぼんやりする。
頭だけじゃなく、体中からも力が抜ける。
しびれる、というか上手く力が入らない。
「もう少ししたら馬を変えるために宿に入るから、そこまで眠ったらどうだ?」
エドワード王子も、私を一瞥してそう言う。
「寝てろ」
ジュリアは私の肩に後ろから手を回すと、強引に下に引く。
力が入らないから、そのままぼすり、とジュリアの膝に頭を乗せる形で倒れこんだ。
まずい。
そう思って起きようとするんだけど、やっぱり力が入らなくて、もぞもぞもがいていたら、ぽすり、と頭に手を置かれた。
「寝てろ」
4回目の言葉を口にしたジュリアが、私の頭を撫でる。
これがいけない。
くぅ、と私は小さく唸る。
ジュリアに昨晩撫でられるまで気付かなかったけど。私、頭なでられるのに弱い。
なんでか、すぐ、うっとりするというか。眠くなるというか。
力が更に抜けるというか。
案の定、とろんと目が閉じる。
思うに、ジュリアも私のこの特性に気付いてるっぽい。
気絶から目が覚めた後、痛がる私の頭をずっと撫でてくれていた。それで、大分ささくれ立った私の気持ちが治まったところもある。
そう。
気絶から目が覚めた私は、ものすごく気持ちがささくれ立っていた。
なにしろ、気絶してるうちに、「この隙に」と、ウィリアムに勝手に傷を縫われたのだ。
痛くは無かったわよ、痛くはなかった。
気絶していたからね。痛くはなかったけど。
それって、不意打ちみたいなもんじゃない?
ぶつぶつ言う私の頭をジュリアは撫でながら、「だけど、傷が綺麗に治る方がいいだろう。折角綺麗な腕をしているのに、傷跡が残ったらもったいない」。
……。真面目な顔でそう言われ、私は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「……寝たのか?」
目を瞑ったら開けられなくなった私を見て、エドワード王子がジュリアにそう尋ねている。
もう、この段階で妙な痛み止めのせいで体も動けなくなっていて、ジュリアの膝に頭を乗せてじっとしていた。
「かもな」
ジュリアのテノールの声が聞こえた。
相変わらず、ゆっくりと私の頭を撫でている。ダメだ。この手つきと声に弱い。
「やけに気に入ってるんだな、その娘を」
がたがたと揺れる馬車の中で、エドワード王子の声が響く。
「だったらなんだ」
「別に」
ぶっきらぼうに返したジュリアの言葉を、王子は愉快そうに聞いている。
「王都では、一触即発の雰囲気があるそうだぞ」
王子はジュリアにそう言う。
王都で?
そういえばエマも言っていたではないか。いまの王は評判が悪い、と。
「商人が相当怒っているらしい」
「商人?」
ジュリアが鼻で笑うのが聞こえた。
「あんな浪費家の王であれば、儲かって嬉しいだろうに」
「支払いが滞っているらしい」
「誰の」
訝しげにジュリアが言う。
私だって聞き返したかった。
「父上の、だよ」
王子は、くつくつと喉の奥で笑い声を漏らす。
「王の?」
何故。ジュリアが小さく呟くのが聞こえた。
私だって同じ疑問を抱く。
王の支払いが滞るなどと言うことがあるのだろうか。
「噂では、国庫が底を着き始めたらしい」
「まさか」
ジュリアは小さく笑う。
だけど、それに続くエドワード王子の笑い声は無かった。
「お前の持領のルクトニアにも知らせが来ただろう。増税の。お前はどうしている」
エドワード王子は笑わずに、やけに落ち着いた声でジュリアに尋ねている。
そうだ。
ついつい忘れがちだけど、ジュリアは領主でもあるのだ。
領民から税を徴収し、決められた税額を国王に納めている経営者でもある。
「ルクトニアには港があるからな。他国から取れる交易税がある。それが毎年黒字だから、領民からの増税は行っていない。通達のあった増税分の足らず分は交易税から出している」
「お前の領民は幸せだな」
エドワード王子はここで笑った。
どこか、小馬鹿にしたようなその笑い声に、ジュリアは私の頭を撫でる手を止めた。
「ほかの領主はどこも税金の値上げに踏み切った。結果どうなったか知っているか? 税金を納められない農民が土地を放棄して王都に流れ込んだんだ」
「王都に来ても仕事はないだろうに」
ジュリアはどこか哀しそうに呟くと、また私の頭を撫で始める。私の髪をすくその指に少し元気が無い。流民の行く末を知っているからだろう。
仕事もなく、お金もなく、土地も無い人は、ただ飢えて死を待つだけだ。
「今、王都は増えすぎた流民のせいで治安も悪くなっている。商人が怒る理由の一つはそれもある」
おまけに、とエドワード王子は乾いた笑い声を立てる。
「父上は本当に、王都を作りかえようとしているらしい。最近は設計士を呼んで毎日夢物語ばかり語っているようだ」
がたがた、と馬車は揺れる。
二人はほんの少しだけ無言でその音を聞いていた。
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