第2話 ジュリア姫

 年は私と変わらないだろう。

 だけど、容姿は全く違う。

 白い肌や、絹糸のように細い金の髪。ぱっちりと大きな碧い眼。

 まるで、ビスクドールのようなその少女は。

 だけれども。

 唐突にバラの生垣から転がり出てきて、今、四つん這いで驚いたように私の顔を見上げている。


 東屋に人がいるとは思わなかったのだろう。

 私だって、生垣から人が飛び出してくるとは思わなかった。

 私たちはたっぷり十秒ほど見つめ合ったものの。

 少女の白い頬に、血がにじんでいることに気づいて私は慌てて東屋を出た。


「大丈夫ですか?」

 手と膝をついたまま立ち上がらない少女に私は駆け寄り、同じように膝をついた。

 多分、バラの棘でひっかいたのだろう。

 近くで良く見ると、頬だけでなく、額や手の甲にさえ細かい傷が見えた。


「いったい、どうして」

 どうして、こんなところから。

 そう尋ねようとした私の前で、また生垣が揺れる。

 少女はとっさに私の背中に隠れ、私は彼女をかばうように膝立ちになって生垣を見た。


「そこをどけ」

 生垣から現れたのは、庭師の男ふたりだ。

 男たちからは、濃くハーブの香りがする。

 さっき遠景に見えた男たちだろう。


 私は困惑しながら庭師と私の後ろに隠れる少女を交互に見る。

 なにか、悪戯でもして怒られているのだろうか。

 だけど。

 少女の着ているドレスはちらりと見ただけでもかなり高価なものだ。白の絹のハイネックのドレス。今はバラの葉や土ぼこりで汚れてはいるが、中流の貴族でも手が出せない値段ではなかろうか。


 だとしたら。

 何故、庭師程度の男たちに追われることがあるのか。

「そいつをこちらに渡せ」

 そう言って、庭師が私に手を伸ばす。

 その、もう一方の手に握っているものを見て、私は顔をしかめた。


「あなた、何者ですか」

 私が庭師に言葉をぶつけると、庭師はわずかに目を細めただけで何も言わない。

 ただ、この庭師の手に握られているもの。

 それは、剪定ばさみでもなく、剪定用の鉈でもない。


 大ぶりの、剣だった。


 この国の武人が好んで持つ諸刃の剣だ。

 重いばかりで私は好かないが、この国の武人は「大きさ」「重さ」で剣を選ぶようだ。

「かばうと、お前も一緒に斬るぞ」

 庭師は片方の頬を歪めて私に言う。どうやら笑ったらしい、と気づいたのは、庭師が下品な声を立てたからだ。

「いたいけな少女を大の男二人が何事です」

 私はすっくと立ち上がった。

 途端に。

 二人の庭師がひるむ。

 私の後ろでうずくまる少女の驚いたような顔が視界の隅に見えた。

 ……まぁ。

 だよね、と思う。

 私は父の血を色濃く引いたせいで、「手足が長い」。

 カールスルーエ国では、私は多分女性でも「ちょっと背が高いかな」程度だ。

 だが、この国において、私は「成人男性と同じ身長。もしくはそれ以上」の大きさだ。

 実際。

 目の前の二人の庭師と私は身長が変わらない。

 ただ、ここだけは明確に伝える。

 体重は私の方が断然軽い、ということは声を大にして言っておきたい。

「この方は高貴な方とお見受けしましたが、何故あって、そのような振る舞いを?」

 私は一歩ずい、と二人の庭師の方に足を踏み出す。

 庭師たちは一瞬後ずさりかけたけど、なんとか背筋を伸ばして私を睨んだ。

「お前には関係のないことだ」

「義を見てせざるは勇なきなり、という言葉が私の父の国にはあります」

 私はちらり、と地面に座り込む少女に視線を走らせる。

「か弱い少女が、むくつけき男二人に追われ、それを無視することはできません」

 私がきっぱりとそう言うと、庭師たちは互いにせわしなく視線を交わす。

 剣を持っていない方の庭師が、一歩退き、「やれ」と、小さく命じたのが聞こえた。


 剣を持つ庭師は剣の柄を両手で構え、私を見る。

 口元に、わずかに残忍な笑みを浮かべると、大きく剣を振りかぶる。

 この男が。

 油断していたのは確かだろう。

 身体が大きいとはいえ、私は年齢的には『少女』と分類される人間で、しかも丸腰だ。

 避けられこそすれ、攻撃されるとは思っていない。

 それが、私にとっては好機だった。

 私は退くのではなく、庭師にむかってさらに踏み込む。

 男の目が驚いたように少し見開くのが見えた。

 私はわずかに膝を曲げて男の懐にもぐりこむと、振り下ろされる前の男の柄を握る手を、下から支えるようにして掴む。

 掴んで、男に対して背を向けた。

 男の腹に背をつけたまま、一気に掴んだ腕を地面に向かって引き降ろす。背負い投げの要領で、私は男を地面にたたきつけた。

 男は仰向けに転がったまま、呆然と私を見上げている。

 叩きつけられた拍子に、手から剣が離れたらしい。地面に転がるその剣を、私は近くのハーブの茂みまで蹴り飛ばした。

 私は男の腕を捕らえたまま、強引に上に向かって引っ張り上げた。

 腕の関節の可動域と反対に捻られた男は、もがくように仰向けから腹ばいになる。

 私は男の手の小指と親指の関節を押さえたまま、男の肘を伸ばして可動域と反対にさらに押し曲げた。

 あっさりと、私の足元で男は悲鳴を上げる。


 この国には、剣術や棒術などの「武器」を使った武道や、殴ったり、蹴ったりする攻撃は存在するが、カールスルーエ国にあるような投げる、絞める、極めるといった「体術」は存在しない。


 父から「体術」を教わった私は、この技を使うたびに、驚きの目で見られる。

 今、この女はなにをしたんだ、と。


「さぁ。どうしますか? この場から逃げるか、それとも腕をへし折られたまま、この家の家令か執事頭に引き渡されますか?」

 私はもう一人の庭師にむかってにこやかに尋ねる。

 武器を持っていない庭師は明らかに焦っていた。私の顔、私が押さえ込んでいる庭師の顔。それから、地面にしゃがみこんだままの少女の顔。

 同時に三人の顔を見ながら、どうするのがベストなのかめまぐるしく考えているのが分かった。


 その時だ。

「ジュリア姫!」

 庭の奥から、バリトンの声が聞こえてきた。

 私はちらりと少女の顔を見る。


「ジュリア姫?」

 私が尋ねると、少女は小さく頷いた。

「ここです! こちらにいらっしゃいます!」

 私が大声を上げる。庭師のひとりは大きく後ろに足を下げる。逃げる気満々のようだ。

「あなたも逃げる?」

 私が手をひねり挙げている庭師に尋ねる。男はわずかに頷いたようだ。

 私はそれを確認して手を離すと、庭師の男は必死の形相で駆け出した。男たちは互いに茂みの中に飛び込み、現れたときと同じ唐突さで姿を消した。


「ジュリア姫っ」

 代わりに姿を現したのは、大柄な男だった。

 教会騎士なのか、紺色の軍服の右肩には十字の縫い取りがある。

 この国の男にしては珍しく、目鼻立ちのはっきりとした男だ。騎士らしくがっしりとした肩幅と体躯を持っていた。


「ご無事ですか」

 その後ろから付いて来たのは、さっき別れたばかりの執事頭と、やけに身なりのいい紳士だった。多分、この館の主なのだろう。よく手入れされたナマズ髭ばかりが印象に残る顔だ。

「さっきの暴漢を誰かに追わせろっ」

 館主は執事頭にそう命じる。執事頭は慌てて踵を返すと、再び館の方に走って戻って行った。

「庭を散策中にこのような事態になり……。なんとお詫びすればよいやら……」

 館主は額から噴き出る汗をしきりにハンカチでぬぐいながら少女と騎士にそう言っている。

 と、いうことは。


 私は振り返って少女を見る。

 執事頭が言っていた、「大事なお客様」というのは、この少女のことじゃないんだろうか。


「ジュリア姫、お怪我は?」

 騎士は片膝をついて少女に近づく。私は代わりに場所を開け、二人を眺めた。

 少女は騎士の耳元に口を寄せ、何か小声で話している。口元を手で覆っているせいで何を言っているかは分からなかったけど、ちらりと私を見ていた。


「この方は、こちらの館の方ですか?」

 騎士は片膝ついたまま、私を見上げて館主に尋ねた。

 私と館主は思わず顔を見合わせる。

「いえ、この方はどなたですか……」

「先ほど、この館のぼっちゃんの家庭教師になりそこねたものです」

 私は苦笑して館主に説明する。

 騎士はきょとんとして私を見上げていたけれど、少女にまた耳打ちされて大きく頷いた。

「では、現在どなたからも雇われておられない、と」

「全くのフリーです」

 私は胸を張って答える。胸を張ることなのかどうなのか。答えてからふと、そんなことを思った。

 騎士はなんだか真面目にまた頷くと、ゆっくりと立ち上がった。


「では、今この場より、ジュリア姫の家庭教師としてお迎えしたいのですが、いかがでしょう」

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