松・その8

「おはよ、玲!」

「おう」

「おい真紘~、俺もいるぞ?」

「あ、ホントだぁ。見えなかった。ごめんね優羽」

「俺の方が身長でかいのに!?」

「要は存在感がないってことだろ」

「何だと玲!」

 今日も今日とて、校門前では賑やかな声が上がっている。声の主たちを見れば、いつもの三人組――雪宮真紘と花村優羽、そして梨生奈のクラスメイトである秋月玲がいた。もはやこの学校で知らない者はいないというほどに、三人の仲良しぶりは有名となっている。

 その光景を少し離れたところで見つめながら微笑みを浮かべていると、不意にそのうちの一人――優羽がこちらに目を向けてきた。思わず目を見開くと、ニヤリと僅かに口角を上げられる。

 なんだか癪だったので、梨生奈も同じように意地悪く笑ってみせた。

 すると、目敏くその様子に気付いたらしい真紘が優羽の肩を軽く小突く。

「ちょっと優羽? どこ見てるのさ」

「どうせその辺の女に色気振りまいてるんだろ」

「失礼だなぁ。今はもうほとんど手切ってんだぜ?」

「どうだか」

「待って。ほとんどってことは、切ってない子がいるってこと?」

「ついに本命ができたのか」

「そんなんじゃ……ねぇよ」

「聞いた? 今ちょっと間があったよ! 玲、ピンチだねぇ」

「喜ばしいことじゃないか」

「とか言っちゃって。内心は焦ってんじゃないの?」

「うっさい優羽。調子に乗るんじゃねぇ馬鹿」

「ひどっ!」

 彼がこちらを見ていたのはほんの短い間のことで、二人の間に流れていた時間は、一瞬で喧騒へと埋められていく。

 そのことをほんの少し寂しく思いながらも、三人の顔が――大切に想う人の顔が心の底から楽しそうであることに、梨生奈は幸福を覚える。

 胸の中が、ほんわかと温かかった。


 ――始業十分前。

 ゆったりとした足取りで梨生奈が教室に入れば、ちょうど自分の席で荷物の整頓をしている玲の姿が見えた。

 そっと近づき、声を掛ける。

「おはよう、秋月くん」

「あぁ、おはよう」

 にっこりと笑んでみせれば、間髪入れずにぶっきらぼうな返事。彼はいつもこうなので――どうやらそれが素らしい――それが特別冷たい反応だとは思わないし、気にしてもいない。

 むしろ、嬉しいのだ。

 何故なら彼の顔をよく見ると、一見無のようなその表情がほんの少し和らいでいるのが分かるから。

 自分がかつて振った相手であるからか、最初のうちは戸惑いや気まずさのようなものがうかがえたけれど、そのわずかな表情の変化を見ていると、だんだん自分に対して心を開いてくれているような気がするのだ。

 彼の反応を今日も嬉しく思っていると、突然後ろから不機嫌そうな声がかかった。

「松木。お前、何今日も今日とて気安く玲に話しかけてんの」

「あら、鳥海くん。おはよう」

 これもいつものことなので、気にしない。おっとりと、わざと嫌味な笑みを浮かべて振り返ってやれば、声の主――同じくクラスメイトである鳥海奏が、今日も今日とてその綺麗な顔を歪ませながらこちらを見ていた。

「リラックスなさいな。せっかくの美人が台無しよ?」

「うるさい」

「秋月くんもそう思うでしょう?」

「そうだな。奏、もっと気楽にいけよ」

「玲……何でこんな奴のこと、普通に受け入れてんだよ。お前にとって松木は、許さざる存在だろ?」

 奏が整った眉をハの字にしながら問えば、玲は珍しくそれと分かるほどに柔らかく微笑んだ。

「だって松木さんは、俺たちのクラスメイトだろ?」

 その魅力的な表情や、薄い唇から低音で紡がれる名前。それから時折見せてくれる優しさ……それらにはまだやはり慣れることができなくて、こんな時でも胸がドキリと高鳴ってしまう。思わず見とれていれば、奏に頭を結構強めにはたかれた。

「痛いわねぇ。何するのよ」

「何ぼうっとしてんだこの変態が」

「あら、変態だなんて……ありがとう」

「褒めてねぇよ!」

 奏といつものように言い合いをしていれば、玲が可笑しそうにクスクスと笑っているのが横目に見えた。

「お前ら、ホントに仲いいのな」

「よくない」

「えぇ。だってわたしたち、仲良しだもの」

「だから違うって!」

 その切れ長の目に自分が映っているということ自体が、今はただ嬉しい。玲が松木梨生奈という存在を認めてくれている――それだけで、梨生奈は幸せな気持ちになれるのだ。

 前までは、こんなこと絶対なかったから。

 この片思いが報われることは、きっとこれからも絶対ないけれど……それでも、こうやって普通に仲良くできているということだけで、かなりの進歩になっていると思う。

 恋人だなんて、贅沢は言わない。友人とも、言わない。ただのクラスメイトで構わない。

 だから……願わくは、この楽しい時間がずっと続きますように。


    ◆◆◆


「りょーう。帰ろ」

「あぁ。……あれ、優羽は今日部活ないのか?」

「うん、休み。だから今日は帰りにどっか寄ろうかって、さっき真紘と話してたんだけど」

「いいな。どこにする?」

「俺、なんか食べたい。ファミレスか、ハンバーガーショップにしようよ」

「うーん……じゃ、ハンバーガー」

「俺も」

「了解っ。じゃあ早速行こう!」

「真紘、廊下走ると危ないぞ」

「玲……お前保護者かよ」

 放課後のバタバタとした雰囲気に包みこまれるようにして、玲が真紘と優羽に連れられ姿を消そうとする。振り向きざまに小さく手を振れば、玲も小さく振り返してくれた。

「玲、誰に手振ってんの?」

「もしかして彼女?」

「違う、クラスメイト」

「なぁんだ……」

「ホントかな?」

「何だよ優羽、その目は」

「痛っ。叩くなよぉ」

「当然の報いだろ」

「あははっ」

 徐々に遠くなっていく三人のやりとりを、微笑ましく見ていれば、後ろから「松木さん」と声がかかった。振り返ると、そこにいたのは奏の容姿にも匹敵するほどに美しい……。

「あら、姫……じゃなかった、葵さん」

「相変わらずその呼称、照れるからやめてくれないかしら」

 クスクスと控えめな笑みとともに、泉水葵は言う。

 そんなことを言われても、自分はずっと彼女を脳内でそう呼んできたのだから、今更慣れろと言われる方が難しい。

 そう反論すれば、葵はまた笑った。

「ところで、奏は?」

「荷物置いてあるし……トイレじゃないかしら」

「そう」

 葵が呟いたところで、ちょうど奏が廊下を歩いて戻ってくるところが見えた。別クラスのはずの葵の姿に、珍しく驚いたような顔をする。

「葵……」

「来ちゃった」

 語尾にハートでもつきそうな、可愛らしい表情で葵が言う。まさに恋する乙女のような顔に、今度は梨生奈が驚く番だった。

「ねぇ。今日、家行ってもいい?」

「……いいよ」

 もごもごと言いながらうなずく奏。照れているかのようなそのリアクションも、梨生奈にとっては珍しく映った。

 二人が付き合っているというのは、この前の朝の一件ですでに知っていたが……。

 そこでそういえば、と梨生奈は思い出す。

『俺は、姉さんに恋焦がれているんだよ』

 かつて梨生奈の前でそう断言した、奏。あの言葉の意味が、あの時はよく分からなかったけれど。

 改めて、並んだ二人の顔を見比べる。

 眩しいほどに整った容姿の二人組は、見ているだけでむしろ目の毒になるほど――呆れるほど、美しい。

 でも、よく見てみたら……。

「似てる……?」

 小さな呟きは、幸い互いの存在に夢中になってしまっている二人の耳には届かなかったらしい。葵が奏の腕に手を絡めると、奏は表情を緩めながらそんな葵を愛おしそうに見つめた。

「じゃ、帰りましょう」

「あぁ」

「またね、松木さん」

「またね、お二人さん。お幸せに」

 からかうように声を掛ければ、葵が「ありがとう」と手を振ってくる。一方奏は、既に自分の存在などどこ吹く風というように、葵の方ばかりを見ていた。

「幸せそうねぇ。妬けちゃうわ」

 ふふ、と笑みを零しながら、梨生奈は二人の――おそらく双子の姉弟か何かなのであろう、鏡写しのようによく似た二人の姿を見送った。


「さて、わたしも行きますか」

 いつの間にか誰もいなくなっていた教室で、梨生奈はうぅん、と大きく伸びをする。自分の席に置いていた鞄を引っ提げ、梨生奈は弾む足取りでいつもの場所へと――唯一無二の親友との、約束の場所へと向かうべく、教室を後にした。

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