水・その8

 金曜日の帰宅後、母親に『日曜日は家にいてね』と言われた時は、単純に何故だろうと疑問に思っただけだった。

 実際にその疑問をぶつけてみはしたものの、何度問うても母親はどこか気まずげに目を逸らしながら一言、

『お客様が来るのよ』

 と答えるだけ。それ以上の詳しいことについて、彼女は何も話してくれなかった。

 だから日曜日になって、母親に呼ばれるがままにリビングへと顔を出した時は驚いた。もちろん普段はないはずの父親の姿にもだけれど、何よりその隣に立っていた奏の姿に。

 久々に見る私服姿の奏は、事前に父親から何かを告げられているのか、どこかぎこちない表情で辺りを見回している。それから何気ないように葵の姿を目にし、やっぱり目を合わせようともしないまま、ふっと睫毛を伏せた。

 そんな彼の相変わらずな態度に、ショックを受けたのは確かだったけれど、一瞬心が躍ってしまったのもまた事実で。

 それほどまでに愛おしく思う相手が、今まさに目の前にいるというのに……決して近づいては、触れては、いけない。そんなもどかしさが心を支配して、葵はまた眉を下げる。

 いつも母親と二人きりで使用するリビングの四人掛けテーブルには、既に四人分の珈琲と茶菓子が用意されていた。両親が当たり前みたいに隣同士に座るから、葵は一瞬躊躇ったものの、両親の急かすような言葉に従い、仕方なくその向かいの椅子を引く。

 やがて奏が、どこか慎重な動きで自分の隣の椅子を引いたのに、葵は無意識に息を呑んだ。どきどきと落ち着かない心臓を、そっと手で押さえる。そんな自分をどこか哀しげに――そしてどこか懐かしげに見つめる両親の瞳は、わざと見ていないふりをした。


 そして――……久々に四人で食卓を囲むような形となった、そんな懐かしい光景の中で、両親の告白は始まった。


    ◆◆◆


「……昔、ある二人の姉妹がいたんだ」

 まず、父親が唐突にそんなことを言う。

 一見関係なさそうな昔話に、葵は思わず口を開きかけた。しかしすぐに母親から視線だけで咎められ、再び口を閉じる。

 そんな様子に気づいているのかいないのかは知らないが、とにかく感情を込めず淡々と、流れるような語り口調で父親は続ける。

「姉妹はある日、同時に一人の男に恋をした。互いに同じ男を好きになったことなど知らず、姉妹はそれぞれ男にアピールを続けた。だけど、その男は本当に優柔不断で……結果どちらかを選ぶことができずに両方と関係を持って、両方ともを妊娠させたんだ」

 いわゆる、三角関係。

 その形や事情が異なるとはいえ、葵はどうしても真紘たち三人のことを思い浮かべずにいられなかった。

「そのあと色々あって、少々血なまぐさい事態も起きたりしたらしいんだが……そのあたりのことはまぁいいだろう。とにかくその結果、男は妹の方を選び結婚し、捨てられた姉の方はシングルマザーとして生きる道を選んだ」

 悩んだ結果、ようやくどちらかを選んだ男。その瞬間に、破綻してしまった三角関係。似たような未来を、真紘たちもいずれはたどることになるのだろうか。それとも……もっと、違う未来があるのだろうか。

 そしてこれはきっと、ここにいる誰も――語り部である父親さえも、実際には目撃していない話なのだろう。あやふやなところが多いけれど、これはおそらく二人の秘密に直接は関係しないのであろうと思い、葵はあえてその部分に関して深く突っ込むことをしなかった。

 語り部が変わり、再び母親が口を開く。その話し方は、やはり同じように淡々としていて……先ほどまでのものよりも高い声で、語り口も柔らかくはあるものの、どこか父親と似た特徴や雰囲気があった。

「その後、男と結婚した妹は元気な男の子を産み、姉は一人きりでひっそりと女の子を産んだの。男の子はごく普通の家庭で幸せに、女の子も普通の家庭と違って父親はいなかったものの、同様に幸せに育ったわ」

 そこまで母親が語ると、また語り部が父親に変わる。その後も二人は、まるで自分たち双子のように息を合わせ、交互に話を――自分たちの生い立ちを、一つずつ打ち明けていった。

「それぞれの子供が成長する頃には、姉と妹夫婦の間のわだかまりもある程度溶けてきていたみたいでね。久しぶりに姉妹の実家に揃って行ったところで、当時小学生だった男の子と女の子は従兄妹同士として、初めて顔を合わせた」

「二人はその日のうちに、すぐに仲良くなったわ。それで、その後も幾度か会って一緒に遊んでいるうちに……まるでそれが必然ででもあるかのように、恋に落ちた」

 語るうちに、二人ともの声にどんどん言いようもない感情がこもっていくような気がするのは……気のせいだろうか。

「恋は盲目って、本当よね。周りの状況なんて全く気にしないままで、二人は愛を育んだわ」

「幼い頃から交わしていた結婚の約束は決してその場限りのものではなく、二人が大人になってからもその効力を発揮し続けた。二人は確信していたんだ。自分たちは、結ばれるのだと。互いに互いを、この人こそが自分の結婚相手なのだと信じて疑わなかった」

「二人の交際を知った姉妹と男は、当然ながら反対した。お願いだから別れてくれと、二人に懇願した。当たり前よね。だって二人は、血が繋がっているのだもの。けれど愛し合う二人は、そんなことなんてもちろん知る由もない。だから、親が自分たちを引き離そうとする理由も知らぬまま、二人は駆け落ちをした」

「自分たちの親に知られないように、遠く離れた場所で二人はひっそりと暮らし始めた。二人の子供にも恵まれて、二人は幸せの絶頂にあった」

「けれど、その幸せも長くは続かなかったわ。あっけなく、親である姉妹と男に居所を見つけられてしまって……乗り込んできた彼らに、二人は自分たちの生い立ちを告げられたの」

「姉妹と男は、その場で二人を引き離した。二人も……自分たちが血の繋がった兄妹であることを知って、ここまできたらさすがにもう逃げられないと、自分たちは、離れざるを得ないのだと……そう、思わずにはいられなかったから。背徳の罪に耐えながら、愛を貫く強さなどなかったから。自分たちの血を引く双子を引き離すことに申し訳なさを感じながら、彼は双子の弟を、彼女は姉を、それぞれ引き取って別れた」

 ――これで、昔話は終わりだ。

 父親が呟くように言った締めの台詞は、罪悪感に満ちていた。それは一体、何に対する罪悪感なのだろう。

 答えを得られないうちに、父親は葵たちに対し、ある問いかけをした。

「なぁ。お前たちは、俺と加奈子――母さんが、一度でも似ている・・・・と思ったことはないか」

「もちろん、性格じゃないわ。容姿・・の話よ」

 今までの話から、葵は薄々二人が『隠していたこと』が何なのかを読み取っていた。先ほどまでの昔話が、二人自身の実話なのだということも。

 ――そう。父親も母親も、芸術的なまでに美しい容姿をしていた。その血を正しく受け継いだがゆえに、自分も奏も学校で評判の美人だと呼ばれているのだ。

 けれど……注意深く見比べてみれば、二人の容姿の整い方には、確かに共通するところがあった。

 シミひとつない、真っ白な肌の色。色素の薄い、透き通るようにキラキラと光る目や髪の色。すっと通った鼻筋。真っ白な雪の上に咲いた一輪の椿のように、鮮やかな色をした唇。

 葵と奏のように、歪んだ鏡に映ったかのような二人ではないけれど……それでも、父親と母親の容姿には、重なるところが何か所もあった。

 葵が、そして奏が、自分たちの言葉の意図を察したのだと気付いたのだろう。母親は悲しげに笑った。父親もまた、似たような力ない笑みをこちらに向けてくる。

 二人の笑みの作り方は、確かによく似ていた。節々のパーツが、醸し出す雰囲気が、少しずつ重なって見えるのが分かる。

「まぁ、さっきの話でほとんど打ち明けてしまったようなものなのだけれどね」

 ボリュームのあるつややかな唇を開き、母親は告げた。神父に向けて懺悔をする時のように、ささやかな声で。

「あたしとパパは……彼は、父親が同じなの」

 つまりあたしと彼は、半分だけ血の繋がった兄妹なのよ。


 ――時が、止まる。

 テーブルの上の茶菓子に視線を落とした葵は、泣くまいとするように忙しなく瞬きを繰り返した。

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