鳥・その8
――つまりあたしと彼は、半分だけ血の繋がった兄妹なのよ。
母親がそう告げた瞬間、今までこの空間に流れていたはずの時間が、ピタリと止まったような気がした。
ある程度覚悟していたこととはいえ、実際に言葉にされてしまうと衝撃も大きい。一瞬思考を止めた奏がふと隣に目をやると、葵は混乱しているのか、それとも涙が出そうになるのを必死で我慢しているのか、テーブルの方に視線を落としながら忙しなく瞬きを繰り返していた。
目尻をふにゃりと下げる、母親の独特な笑い方は、幼い頃によく向けられていた葵のものとよく似ていて――……確かに、父親ともどこか似ているところがあった。
そしてその、おっとりとした独特な雰囲気も。
――信じられない、信じたくない。
そう思い、現実から目を背けようとするかのように首を幾度か横に振るのと同時に、けれどそういえば、と奏は昨夜の出来事を思い出す。
昨夜、部屋に入ってきた父親を見た時。自分は彼の容姿を目の当たりにして、どんな感想を抱いたのだったか。
自分や葵と似ている。まず、そう思ったはずだ。
それから次に、何と思った?
『母親にも』似ていると……間違いなくそう、感じなかったか?
そして今だって、二人を目の前にして、間違いなく同じことを考えてしまっている――……。
それこそが、言葉に直接出されるよりも色濃い証拠。両親の間に深い血のつながりがあるという、確かな証明で。
信じたくないことだけれど、それは確かに真実で。
「……言いたいことは、それだけ?」
奏は無意識に口を開いていた。これまでずっと発言しないばかりか、そうしようとする様子さえもなかった奏に驚いたのか、父親も母親も、そして葵も、ピクリと反応するようにそれぞれ身体を揺らす。
「あぁ」と父親が答えるのとほぼ同時に、奏は静かな――そしていつもより低い声で、両親にこう問うた。
「……何故それを今、俺たちに打ち明けた?」
ずっと隠しておけるわけがないし、いつかは言わなければならないことだったには違いないが、それにしてもタイミングが悪すぎる。まだ双子は――自分たちは成長しきっていない子供だし、今日が誕生日などの特別な日というわけでもない。
何故、
父親はふと、笑みを零した。あの日――奏の葵に対する恋愛感情を見抜いた時と同じ、穏やかでどこかくすぐったさすらも感じさせる、保護者独特の見守るような笑み。
その表情のまま、隣に座る母親と互いに目配せし合う姿に、奏は背筋が凍るのを感じた。
父親だけでなく母親までもに、気付かれてしまっているのだ。
自分が長い間捨て去ることができず、未だにしつこく抱き続けている、姉であるはずの葵に対する
そして二人は今ここで、それを咎めようとしている。きっとこうならなければ一生告げることなどなかったはずの、自分たちの素性を明らかにしてまで――……。
「分かってる、俺のせいなんだな」
再び口を開けば、二人はハッとしたような表情で互いに目を合わせる。
目の前ではなく、張られた分厚いガラスの向こう、声が届かないくらいに遠いところ――まるでそんな場所に両親がいるかのような気分だ。自分はどこか遠い場所から、二人の姿を観察している。
今の自分は、自分でも驚くほどに淡々としていて――いっそ笑えてしまうくらいに、冷静だった。
「俺は確かに、これまで長い間、何度も葵を傷つけてきた。葵と姉弟でいることさえも拒否し、冷たく当たったり、葵を無視したりした。……その本音も、あんたらはとっくにお見通しなんだろう。だからこそあんな話を持ち出して、俺を牽制しようとしたんだ。俺が葵を、
「違うのよっ!!」
本心から出た言葉を全て言い切る前に、奏の言葉を、この空間を、全て切り裂くような鋭い声が飛んだ。奏が反射的に口を閉じれば、シンと痛いほどの重い沈黙が辺りを包む。
声の主は――葵は、うつむいたまま全身を小刻みに震わせていた。まるで、悪いことをした子供が咎められるのを恐れているかのように。
色素の薄い長髪がだらりと下がり、青白い顔に影を作っている。その横顔すらも美しいと感じ、言いようもない欲情に駆られてしまいそうになる自分は、既に手遅れなのだろうか。
膝に乗せられた白い手の甲に、ポタリと一粒、透明な滴が落ちる。その様子を奏がぼんやりと眺めていると、葵は本格的に泣き出してしまうのを堪えるように、震える声で言った。
「パパにもママにも、とっくに見透かされていたことだったのね。あたしが将来的に、罪を抱くことになるって」
葵の抱く罪。それは、どのような罪なのだろう。
自分が抱いている罪と同じものならば、どれだけいいかと思う。もしそうならば、共に同じ罪を背負って生きていく覚悟だってできるのに。
……けれどそれはきっと、あまりにも見当違いだ。
「ほぼ同じ時に生を受けた、血を分けた弟である奏を、あたしは」
「ストップ」
矢継ぎ早に罪を告白しようとする葵を、父親の声が止めた。有無を言わさぬ声色に、葵は成す術もないとでも言うように口を閉じる。弾かれたように上げられた顔は、やはり涙に濡れていた。
同じように向かいへ顔をやれば、両親はかしこまったような表情で奏たちを見ていた。二人が注目しているのを確認すると、父親が重々しく口を開く。
「奏の言うことももっともだ。本来なら最後まで告げないまま、墓場まで持って行く覚悟でいた」
「けれどね、あたしたちは……あなたたちを糾弾するために、この告白を決めたのではないのよ」
母親が続けて言うのに、奏は目を丸くする。
――どうして?
本来愛し合ってはならなかったはずの二人は、知らなかったこととはいえタブーを破った。そして結果、子を成すという罪を犯した。普通なら、次世代にわたってまで同じ罪を繰り返してはならないと思うはず。
自分の子供たちにだけは、同じことをさせてはいけないと――健全な親ならば、そう考えるはずだ。
それなのに、『そのつもりはない』なんて。
『将来的にそうなっても構わない』とも取れるような台詞を、どうして彼らは自分たちに対し告げているのだろうか?
「どうし、」
「奏」
「葵ちゃん」
奏の抗議を遮るように、父親は奏の名を、そして母親は葵の名を、順番に呼んだ。奏がびくりと身体を揺らすと同時に、葵の息を呑む音が隣から聞こえる。
二人が黙ったのを見計らい、父親が続ける。
「俺たちは、お前たち二人のことを責めるつもりはない。同じ過ちを繰り返させないために、お前たち二人を引き離そうとも思っていない」
社交辞令かとも一瞬思ったけれど、父親の――両親の真剣なまなざしからは一点の曇りも見つからず、きっとこれは嘘偽りなどではない、二人の本心なんだと悟る。
今度は母親が穏やかな声で、ゆったりと歌うように続けた。
「あたしたちは確かに、罪を犯したわ。互いに結ばれてはならない立場の人間と愛し合い、その証を――あなたたちを、産んだ」
自分たち双子は、いわば禁断の愛のあかし。本来ならば……存在することすら、認められないような存在だ。
それでも二人は自分たちを愛し、慈しみ、真実を知るまで――そして真実を知ってからも、自分たちの子として大事に育ててくれた。
そんな彼らの言うことを、どうして疑うことがあるだろう。
「だけど、あなたたちはあなたたち。あたしたち二人の人生と、あなたたち二人の人生は別物よ。あたしたちの都合に巻き込むことなど、決してあってはならない」
「お前たちの選択に、俺たちは何も言わない。どんな道を選んでも、ただお前たちの幸せだけを祈ると約束する。だから……いい加減意地を張ったり、本心を隠したりするのはおやめ。二人で、ちゃんと話し合いなさい」
瞬間、奏の中にあったわだかまりが解け、ふっと気持ちが軽くなったような気がした。
本来、一生をかけて償うべき罪であることは分かっていても……それを抱き続けることに対する了承とも取れる二人の言葉に、確かに赦されたような気持ちになったのだ。
父親の言葉が終わるか終らないかのうちに、葵が耐えきれなくなったように声を上げて泣き始めた。うつむきがちのまま肩を震わせ、先ほどよりも強い嗚咽とともに、感情のまま。まるで、未だ世を知らぬ赤ん坊のように。
そんな葵の肩に触れようと、奏は思わず手を伸ばしかけて……ためらいがちに、スッと下ろした。
まだ、彼女に触れることは叶わない。振れる権利など、ない。何故ならばこの本心を、まだすべて彼女に伝えきっていないから。
泣き出した葵を、そして心の整理がつききっていないままの奏をこれ以上刺激しまいとでも言うように、父親が囁くような低音で言った。
「じゃあ俺たちは、そろそろ席を外そうか」
「そうね」
同意したように、母親もうなずく。そうして二人は残った珈琲を飲み干すと、カタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
「待って」
二人が立ち去ろうとするのを、反射的に奏は止めた。緩慢に振り返る父親、そして母親に、奏は問う。
「父さんと母さんは……今でも、愛し合っているのか?」
フッ、と母親が笑んだ。昔からよく見せていた子供っぽい無邪気な笑みとは違う、心から安定したような、まるで中世の絵画に出てくる天使のように美しい笑み。
「情がないと言えば、嘘になる。実際、別れたばかりの頃は……ずっと、忘れられなかったから」
でもね、と囁くように告げ、一呼吸置いた母親はさらに続けた。
「時間が、解決してくれるところもあるのかしらね。今は……彼のことを純粋に従兄として、そして半分だけ血の繋がった兄として、まっさらな気持ちのままで向かい合うことができるような気がする」
ねぇ――……
父親の方に向き直り、小首を傾げ悪戯っぽく笑む母親に、父親もまた優しげな……見守るような視線を向け、答えた。
「あぁ、加奈子」
大きな手を伸ばし、慈しむようにそっと母親の頭を撫でる。
その時奏の目には確かに、二人が兄妹に見えた。やましいところなど一つもない、純粋な兄と妹に。
気づけば泣いていたはずの葵も――まだ涙でぐちゃぐちゃの顔をしたまま、時折しゃくりあげてはいたものの――顔を上げ、微笑ましい二人の姿をじっと見つめていた。
不思議な関係性だとは思いながらも、奏はそんな両親の――とある兄と妹の姿を、落ち着いた気持ちで見ることができていたのだった。
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