月・その1

『放課後、校舎裏に来てください』

 こんな内容の手紙をもらうのは、もう何度目になるか分からない。またか、と呟く代わりに、秋月玲は人知れず小さなため息をついた。

 さすがに自分も鬼ではないと思っているので、こういう時一応は呼び出された場所に行くことにしている。けれどその相手がどこの誰であろうとも、玲の中で答えは既に決まっていた。


「秋月君のことが、好きです」

「……ごめん」

 頬を上気させながら、きっと脳内で何度もシミュレーションしたのであろう言葉を告げる目の前の女子生徒――確か、クラスメイトの一人だったと記憶している――に、玲は表情を崩さぬまま、一言だけそう答えた。

 彼女の眉はみるみる下がっていき、その大きく丸い瞳にはいっぱいの涙が浮かぶ。玲はその姿を、まるで他人事のようにぼんやりと見つめていた。

 少し、冷たかっただろうか。

 ……いや。妙な期待をさせてしまうよりは、気持ちがないことを明確に表して、突き放してあげた方が彼女の為だろう。所詮自分は、どうあがいたって彼女の――他の誰かの気持ちに、応えてあげることはできないのだから。

「……本当に、ごめん」

 低く小さな声で、重ねて謝罪の言葉を口にする。そんなことをしたって彼女が余計に傷つくだけだということは分かっていたが、どうしても言わずにはいられなかった。

 何度も経験している場面ではあるが、毎回この罪悪感というものには勝つことができないし、何度繰り返そうが慣れることはない。

 ウサギのように目を赤くしながら、ぽろぽろととめどなく涙を流す彼女は、玲をじっと見つめたままポツリと言った。

「……一つだけ、聞かせてほしいの」

「何?」

 このような展開になったことはほとんどなかった――というより初めてのことだったため、玲は少し驚いた。しかしそんな驚きや戸惑いをおくびにも出さず、彼は変わらず無表情のまま彼女を見つめ返す。

 ためらうように口を開閉させた後、彼女は思い切ったように……ほんの少し嗚咽混じりに、こう尋ねてきた。

「秋月君には……好きな人が、いるの?」

 玲は一瞬言葉に詰まった。

 確かに、彼女の言ったことは的を射ている。そのために、玲は毎回女子生徒からの告白をこうして断り続けているのだから。

 ただ……。

 やりきれない気持ちになって、玲は少しだけ目を伏せる。常にポーカーフェイスの彼が表情を崩したのが珍しかったのか、彼女は涙をこぼしたまま目をぱちくりとさせた。

 玲はほんの少し唇を噛むと、やがて一つ息をつき、答えた。

「……いる」

「そっか」

 思いのほかその返事が優しかったことに、玲は思わず目を見開いた。相変わらず彼女は涙をこぼしていたが、その表情はどこか安らかだった。

「ちゃんとした気持ちを聞くことができて、よかった」

 これで、ちゃんと踏ん切りがつくよ。

 そう言って、彼女は穏やかに――ほぼ泣き笑いの状態ではあったものの――微笑む。

 あぁ、こんな風に優しい気持ちを自分に向けてくれる子を、どうして好きになれなかったのだろう……。

 玲は何とも言えない気持ちで、自分の胸がいっぱいになるのを感じていた。


 先ほどの女子生徒が行ってしまった後も、しばらくの間玲はその場に立ち尽くしながら、彼女の去った方向をぼうっと見つめていた。

 そんな彼の肩を、誰かがポンッと叩く。

 振り向くと、そこには玲のよく見知った顔があった。無駄に整った、一見少女のような顔立ちの少年だ。風に乗ってそよぐ色素の薄い髪の毛は、光の加減によっては金色にも見える。それは整った容姿と相まって、まるで異国の王子のような印象を彼に与えていた。

 少年はおっとりとした優しげな、それでいてひどく甘い、そんな馴染みのあるいつもの笑みを浮かべた。

「どしたの、シケた面しちゃって」

「……かなで

 自分でもびっくりするほどに、その声は弱々しかった。奏と呼ばれた少年――鳥海とりみ奏もそれを機敏に感じ取ったのだろう。とたんに形の良い眉を心配そうにひそめた。そうして、それまで玲が見ていたのと同じ方向に目をやると、あぁ、と納得したようにうなずく。

「なるほどね。また、告白されたんだ」

 モテるねぇ~、うらやましいねぇ~、という明らかな棒読みの言葉に、玲は苦笑した。

「ちっともうらやましいなんて思ってないくせに」

「まぁね」

 奏はハリウッド俳優よろしく、大げさに肩をすくめてみせた。

 そんなふざけた仕草すらも画になるほど、鳥海奏という男は綺麗な容姿をしている……と、玲は常々思う。ずいぶん昔からの仲ではあるものの、いつだって見慣れも見飽きもしないほど、その姿かたちは美しかった。

 そんな奏が、不意に真面目な表情になった。いつも女子のように見える顔つきが、途端に本来の男らしさを取り戻したかのようになる。玲もつられて――とはいっても彼の場合、傍目からはほとんどわからない変化だったが――なんとなく表情を改めた。

 玲の方に顔を寄せると、まるでこの話を誰にも聞かせたくないかのように、声をひそめながら奏は言った。

「……もしかして、バレた?」

 何が、とは明言しなかったものの、奏が言わんとすることの意味を汲み取った玲は、一瞬心臓をドキリと跳ねさせた。もちろん、それと分かるような表情は出さなかったが。

 それでも、長い付き合いである奏にはその動揺が伝わったらしい。先ほどよりももっと小さな声で尋ねてきた。

「……そうなの?」

「……完全に、バレたわけじゃない」

 うつむき加減に、ポツリと小さな声で答える。

「ただ……聞かれただけだ。好きな人がいるのか、と」

「……それで?」

「俺は、いると言った。ただ、それだけのことだ」

「……」

 奏は真剣な顔つきを崩さぬまま、黙ってしまった。しばし考え込むように、男にしてはやけに華奢な白い手をほっそりとした顎に当てる。

「……どうした?」

 その顔を覗き込むようにして尋ねてみると、奏はやがてゆっくりと顔を上げ、至近距離にある玲の顔を見た。その顔はやはり真剣だ。

 恐る恐るというように、奏は薄い唇を開いた。

「じゃあ、それが誰か・・まではバレてないんだな」

 そういうことか、と玲は納得した。

 奏はきっと、心配してくれているのだ。彼の持つ絶対的な秘密が、その女子生徒にバレていやしないかと。

 もしそうなっていれば、最悪それが彼女を通して、学校中の面々に――挙げ句の果てには本人のもとにまで、伝わってしまうかもしれない……。

 ――まぁ、わざわざそんなことを心配するまでもなく、本人にはとうに伝わっていると思うけれど。

 自嘲気味に、玲は笑った。

「気遣い、感謝するよ。……でも多分、大丈夫だと思う」

「けど」

 なおも心配そうに、奏が口をはさむ。

 「大丈夫だよ」と言おうとする玲の言葉を遮ると、まるで子供にでも言い含めるかのように、ゆっくりとした口調で、奏は続けた。

「いくら誰かまでわかっていなかったとしても……それでもおまえの想い人が、同じだということは、とっくに気付いているかもしれない」

 もう一度、玲の心臓が跳ねた。

 そう……自分の抱えている秘密は、決して周りに受け入れてもらえるようなものではない。哀しいことに、この世の中では男が好きになるのは女だと相場が決まっているからだ。

 もし、玲が同性を……しかも友人同士として接している人間を、そういう目で見ていることが明らかになってしまえば。そうすれば、これまでちゃんと存在していたはずの玲の居場所は、たちまち失われてしまうことだろう。

 玲本人がそうであるように、玲の一番の理解者であり唯一その秘密を知る奏も、それを何より恐れていた。

 けれど、玲が何よりも恐れているのは……。

「……俺が何より怖いと思うのは、周りに俺がホモだって蔑まれることとか、そんなんじゃない」

 気づけば、口に出していた。奏が弓なりの細い眉をハの字にして、玲を気がかりそうに見つめている。

「怖いのは、学校に居場所をなくすことなんかじゃない」

 俺が、何よりも怖いのは……。

「あの二人と、今の関係のままでいられなくなってしまうことだ」

 一番の友人であり、誰よりも大切な人たち。

 自分の身勝手な感情を明らかにすることによって、彼らを苦しめるわけにはいかない。そうしたら、自分たちは確実に、今のままではいられなくなる。

「真紘も……優羽も、俺にとってはかけがえのない友人のはずなのに」

 なのに、どうして……。

「いつから俺は、アイツを……優羽のことを、そういう風にしか見られなくなってしまったんだろう」

 いつの間にやら、声が掠れてしまっている。それでも玲は、溢れ出る感情を抑えきれず、唇から言葉が零れ落ちるのに任せながら話し続けた。

「優羽が好きなのは、真紘なんだ。そのことを、俺はずっと前から知ってる」

 そう。玲の想い人である優羽が本当にその目に写しているのは、同じ友人である真紘なのだ。彼を好きだと思った時からずっと、ずっと優羽を見つめ続けてきたのだから、これはもはや間違えようもない事実で。

 しかも……。

「しかも、真紘にも他に想い人がいるなんて……」

 それは、偶然知ったことだった。真紘が同じクラスの泉水葵と一緒に話しているのを、通りがかりに聞いてしまったのだ。

 二人が話していたのは、真紘が片思いしているらしい相手のこと。その時少しだけ耳にした、基本情報や容姿の特徴などから察するに、多分……いや確実に、それは優羽のことではなかった。

 優羽が真紘の事を想いながら、その面影を振り切るかのように毎回違う女子を抱いている……それを知っているだけでも、玲にとっては十分すぎるほど辛いことだったのに。

 さらにその先を知ってしまった今、玲はどうしていいか分からなかった。ただただ、行き先のない苦しみだけが心に募っていく。

「ホント、どうしようもねぇよな」

 拳を握りしめながら、吐き捨てるように玲は呟いた。

「俺の好きな人には、恋い焦がれている人がいる。そしてさらに、その人にも他に想う人がいる。こんなの……三角関係どころじゃない。俺たち三人の関係って、一体何なんだろう」

 そのまま、玲は強く唇を噛んだ。

 そんな玲に触れてやることもできないまま、奏はただ傍らで、彼が気持ちを落ち着けることができるまで待ち続けていたのだった。

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