鳥・その3
現在奏が通っている高校には、この世のものとは思えないほど――まるで物語の世界からやってきた、白馬の王子のように整った容姿をした男子生徒と、異国の姫君のように美しい女子生徒が一人ずつ在籍しているという噂がある。
奏は別にナルシストというわけではないけれど、そこまで世間に疎いわけでもなければ、自分の容姿が他に与える影響を知らないほど鈍感でもない。当然、その『白馬の王子のように整った容姿の男子生徒』が自分を指すことぐらい理解していた。
そして『異国の姫君のように美しい女子生徒』が、いったい誰を指すのかということも――……。
きっと心では、とうの昔に気付いていたのかもしれない。察して、しまっていたのかもしれない。
だけど、どうしても認めたくなかった。
その姿を、声を、存在を、再確認したくなかった。
もしも認めてしまったら――……今よりも深く、後戻りなんてできないくらいに、心の底から彼女を愛してしまいそうで。
だから……本当は知っていたけれど、知らないことにしていた。目を瞑ってわざと知らないふりをして、自分を騙し続けていた。
彼女が――双子の姉である泉水葵という人間が、現在自分と同じ学校に在籍しているという、許しがたいその事実を。
『異国の姫君』が、同じクラスの雪宮真紘という男子生徒と付き合い始めたらしい――と、そんな噂がまことしやかに広まり始めたのは、奏たちが進級してちょうど三か月ほどの月日が経った頃だった。
クラスは異なるものの、真紘のことは幼馴染である玲を通してよく知っていたし、それなりに仲良くもしていた。一瞬女の子と見紛いそうなほどの愛らしい顔立ちは、確かに傍から見ても整ったものだったし、性格も人懐っこくて誰からも好かれるような少年だ。
ずば抜けてレベルの高い容姿を持つ葵にはさすがに劣るものの、彼女の彼氏役としては十分合格圏内にいるだろう。現に周りにも、文句を言う者はいないようだし。
――別に、どうでもいいことじゃないか。
『異国の姫君』がたとえどのような男に
そう、関係ないはず。
なのに……どうして、考えてしまうのだろう? どうして、こんなにも気持ちがモヤモヤして仕方がないのだろう?
どうして自分は、その張本人に――真紘に、その真偽を……詳細を、尋ねてみたいという衝動に駆られてしまっているのだろう?
「――どうした、奏」
「……玲」
突如上から降ってきた声に顔を上げれば、いつの間にかクラスメイトであり幼馴染である玲が、教室の自分の席でうつむいていた奏の顔を覗きこむようにして見ていた。その表情は相変わらず微動だにしていないように見えるが、それでも切れ長の瞳だけはまるで気遣うかのように細められているのが分かる。
幼馴染として――共感者として、自分を心配してくれる玲の気持ちが痛いほど伝わってきて、奏は思わずつらそうに眉をひそめた。それを見た玲の瞳が、ますます不安げに揺れる。
「大丈夫か」
「ん……大丈夫。ちょっと、センチになっちゃったっぽいだけだからさ」
曖昧に笑んでみせれば、どうやら逆効果だったようで、玲が怪訝そうに眉間にシワを寄せる。そんな玲の表情を見ていたくなくて――いつものようにクールな無表情でいてほしくて、奏は思わず反射的に口にしていた。
「あのさ――……」
◆◆◆
「珍しいね。奏が、俺と二人きりで話したいなんて」
その日の放課後。
誰もいなくなった教室――無論、奏の在籍するクラスの方だ――で向かい合った、小柄な男子生徒こと雪宮真紘は、まるで目の前にいる相手に対して何ら疑いを抱いていないかのような、屈託のない笑みを奏に向けていた。
そのあまりに純粋で――彼が持つ名前の通り、雪のように真っ白で一点の曇りもない、そんな笑みを真っ向から見せられてしまうと、自分の中にある穢れた感情が浮き彫りになるようで心地が悪い。
まるで、これから自分がしようとしていること――自分が、真紘に対して言おうとしていることを、暗に咎められているような気がして。
そんなことをしたって無駄だよと、残酷なまでに澄んだ笑顔と声で、面と向かって告げられているような気がして。
当初のターゲットであったはずの真紘を目の前に、奏は後悔していた。玲に頼んで、わざわざ彼のことを呼び出して……これでよかったのだろうかと、内心戸惑っていた。
自分の勝手な感情だけで、こうやって真紘を呼び出して――……葵との関係を尋ねたところで、いったい何になるというのだろう?
彼の口から紡がれる答えが、自分の望むものであるとは限らないのに。むしろなおさら傷つき、悩み苦しむ結果になるかもしれないのに。
「……何となく、わかってるんだ」
真紘と目を合わせることさえもできず、目線を床に落としたままあれこれ考えていると、真紘が不意に声のトーンを落として言った。
「俺のこと、呼び出した理由」
思わず顔を上げれば、真紘は先ほどと違った、哀しげな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。口を開こうとして、思わず掠れた声が漏れる。
「何……」
「ものすごい直感だから、間違ってたら悪いんだけどさ」
苦笑気味に真紘が答える。それから、今度はひどく真面目な顔つきになって、言葉を選ぶように慎重な口調で、こう言った。
「異国の姫君……の、ことじゃない?」
彼は自信のない様子だったものの、奏にとっては間違いなく図星だった。大きく目を見開く奏に、真紘は同じトーンのまま続ける。
「この学校で噂になっている『白馬の王子様』が、鳥海奏のことを指すって……お前がそれを理解しているなら、同じように噂に上っている『異国の姫君』のことを気にするのも、納得できるような気がしたんだ。特に最近は、俺が彼女と付き合っているってことがやたら評判になってるみたいだし……だからもし俺をわざわざ呼び出した理由があるとするなら、それはその真偽を確かめることにあるんじゃないかなって」
まぁ、これは至極単純な推測でしかないけれどね。
照れ笑いと共に締めくくられた真紘の言葉は、確かに当たっていた。
ただ、異なる点があるとするならば……。
どうやら彼は『異国の姫君』――つまり葵と、奏の間にある本当の関係性については何も知らないらしい。元義姉弟というそれなりに深い間柄にいた相手だというのに、そのあたりのことは聞かされなかったようだ。
その事実に奏は、少しだけホッとしていた。
もし仮に知っていたとしても、きっと真紘はそのことを無理に掘り下げようとはしないだろう。彼はそういう気配りができる人間だと、奏は短い付き合いの中でもちゃんと理解していた。
けれど……その一方で、本当は薄々感づいているのではないかとも思ってしまう。
だってその事実は、よく観察してみれば一発でわかることだ。鏡型の双子である自分たち二人は、それほどまでに容姿がよく似ているのだから。
それに真紘はさっきから、一度も葵の名を呼んでいない。『異国の姫君』とか、彼女とか……そんな、間接的な呼び方しかしていないのだ。
まるで、奏のことを――二人のことを暗に気遣い、その事実を公にしないようにしようとしているみたいに。
「二人の間に、何かがあるのかなとは……薄々、思ってるんだ」
内にのみ秘めていたはずの奏の疑問に答えるように、真紘が口を開く。無意識に口に出してしまったのかと思い、奏は一瞬ヒヤリとした。
そんな彼を気にする様子もなく、真紘は続けた。
「詳しい事情は知らない。けれど、あお……彼女は、頑なにお前のことを避けているみたいだから」
奏はギュッと眉根を寄せた。彼女に避けられている、その理由は他でもない、奏自身にあるのだ。身勝手な個人的感情のために、一番最初に彼女を避け始めたのは、まぎれもなく自分なのだから。
「だから俺は彼女の前でお前の話題を出さないし、彼女といるときはできるだけ顔を合わせなくていいように行動している。――それが、彼女との
契約、という恋人同士とは至極かけ離れた響きを伴う言葉に、奏はハッとした。真紘はそんな奏に向けて、柔らかく笑んでみせる。
――もうこれで、わかったでしょ?
そう、告げているかのように。
「結論から言うなら、俺と彼女は付き合っているよ」
そのすぐ後に、存外さらりと告げられた交際宣言を、奏は危うく聞き逃してしまうところだった。相当間の抜けた表情をしていたのか、真紘が思わずといったようにプッと吹き出す。
「でも、これは表向きの話」
奏には、ちゃんと本当のことを言うよ。
こちらを安心させるような、柔らかで邪気のない笑みを湛えながら、真紘が言う。これから言うことは決して嘘ではないと、彼は全身で告げていた。
だから、安心して聞くことができたのかもしれない。彼の言葉の全てを、信じる気になったのかもしれない。
やっぱり真紘には、不思議な魅力が備わっている……と奏は思った。彼に友人が多い本当の理由が、ようやくわかったかもしれない。
「さっき、契約って言ったけど……俺たち二人は、互いにある秘密を共有し合っているんだ」
「秘密……?」
「そう、秘密」
無垢な笑みと爽やかな声に、その背徳的な響きをもつ言葉はあまりにも似合わない。そんなこちらの小さな違和感になど気付いていないのか、それとも気にするだけの余裕がないのか、真紘は話を続けた。
「……俺にも、彼女にも、他に好きな人がいるんだ」
その声はだんだんと小さく、そして弱々しいものになっていく。見れば、話すたびに真紘の表情も少しずつ歪んできているのが分かった。
「それは決して他言無用で、世間的に許されるものじゃなくて……絶対に、報われないんだ」
同じだ、と奏は思った。それはきっと、自分が葵に対して抱いている、この想いと全く同じもの。
彼らも同じように悩み、苦しんでいるという。
ならばその対象は、一体誰なのだろう。真紘は……そして葵は、一体誰に対してその想いを寄せているというのだろう。
「そっか……わかった」
黙り込んでしまった真紘との間に漂った、重苦しい沈黙を断ち切るように、奏は口を開いた。何故か、奇妙なまでに穏やかな心地だった。
「変なことで呼び出してごめん。……ありがとう」
謝罪と礼を一気に告げると、真紘は気弱に微笑んだ。そんな彼に、奏もまた曖昧な笑みを返す。
――きっと今夜もまた、眠れないんだろうな。
真紘の口から真実を聞き出せたことに対するすっきりした心地と、新たな悩みの種を心に抱えながら、奏は頭の隅でふとそんなことを考えていた。
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