月・その6
「俺が好きなのは……雪宮真紘、お前だ」
真紘の背後で、迷いなくそうきっぱりと言い切った優羽に、玲は安堵と――ほんの少しの、嫉妬を感じていた。
こうなるように仕組んだのは、玲自身だというのに。真実を真紘に知らせると、決めたのは自分なのに。それなのに、この期に及んでまだこんな気持ちを抱えてしまう自分は、まだ優羽のことを振りきれていないのだ……と玲はぼんやりと思った。
昨日、この関係にケリをつけるとようやく決意した玲は、その夜優羽に一通のメールを送っていた。
『明日、真紘に全てを話す。最後に会った場所に、お前も来い』
優羽からは少し経った頃に、短く『わかった』という返事がきた。だから今、こうして優羽がこの場所に来ることは、玲にとって予想通りの展開だった。
けれど真紘にとっては、そうではなかったらしい。まぁ何も知らせないまま連れてきてしまったので、当然といえば当然なのだが。
その真紘は、優羽の言葉を受け、先ほどからすっかり身体の機能を止めてしまったかのように固まっていた。大きな目を驚愕に見開き、ピクリとも動かないまま呆然と立ち尽くす真紘の姿は、メドゥーサと目が合い石にされてしまった人間を思わせる。
「真紘」
柔らかく呼びかければ、真紘はびくり、と肩を揺らした。なおも優羽の方を振り返ろうとしないので、玲はさり気に優羽へと合図を送る。
合図を見てうなずき返した優羽は、無言で玲のもとへと足を進めてきた。必然的に二人と向かい合う形になり、真紘はさらに身を竦める。
優羽の態度はひどく冷静だった。もしかしたら、昨日のうちに覚悟を決めて来たのかもしれない。
おどおどとした様子で玲と優羽を交互に見比べている真紘をしっかりと見据え、優羽は静かなトーンで口を開いた。
「びっくりさせてすまないな、真紘。……でも今日こそは、ちゃんと打ち明けようと思って。お前も玲も、ちゃんと打ち明けたんだから」
あとは、俺が本心を伝えるだけ。それだけで、真実はすべて明るみに出るんだ。
真紘は優羽を見つめ返した。大きな瞳に、恐怖の色が浮かぶ。
「怖いか」
玲が尋ねれば、真紘は小さくコクリとうなずく。思わず苦笑しながら、玲はさらに続けた。
「でも、知らなきゃいけない」
お前には、全てを知る義務がある。
ゴクリ、と唾を飲む音がした。瞳を揺らしながらも、真紘は優羽の方をじっと見据えている。どうやら、覚悟を決めたらしい。
隣にいる優羽に対し、話を促すように顔を動かす。優羽はもう一度うなずいて、真紘に視線を戻した。
「まず、この前のことだけど……本当にすまなかった」
この前というのは、放課後の教室で優羽が真紘を押し倒しキスしようとした日のことだろう。たまたま目撃した一場面が脳裏をよぎり、玲の心臓が一瞬跳ねる。真紘も当時のことを思い出したのか、身を竦めた。色づいた唇から、弱々しい声が漏れる。
「なんで、あんなこと……」
優羽は僅かに目を逸らした。乱暴に頭を掻くと、きまり悪そうに答える。
「ちょっと、耐えられなかったんだ。お前が……桜香のこと、玲に似ているだなんて言うから。あんな目で、桜香のことを語るから。俺が彼女に重ねていたのは、玲じゃなくてお前だったのに」
桜香という聞き慣れない名前が出たことに、玲は一瞬眉をひそめる。しかしその子を真紘に重ねているという優羽の言葉から、なんとなく優羽のセフレの一人なのだろうということだけは察した。
それにしても、真紘の勘違いは本当に徹底している……と、玲は思わず感心してしまう。
大方、優羽が桜香という少女を好きな人に重ねているという話を聞いてそう思ったのだろうが……それにしても、自分と真紘ではあまりにタイプが違いすぎる。そこまで言ったら、普通は誤解のしようがない気がするのだが。
しかし当の真紘は、きょとんとしながら首をかしげていた。
「俺と風早さんじゃ、タイプがずいぶん違うような気がするけれど……?」
どうやら彼には、自分が周りからどう見られているかということを分かっていないらしい。または、互いに性質が似ているからこそ『全然違う』ように見えてしまうのか。
優羽は呆れたようにため息を吐いた。
「似てるよ、お前と桜香は」
「でも、俺は男で風早さんは女だよ」
「分かってるよ。でも……ホントに、似てるって思うんだ。純粋で一途な性格も、その大きな黒目がちの目も」
そう語る優羽の目は、優しかった。まるで、愛しいものを見ているような視線を真紘に向ける。思わずというように、真紘は頬を染めた。
「な、何だよそれ……」
「純真無垢でまっすぐで、ホントに子供みたいな……そんなお前が、どうしようもなく愛しくて。お前のことだけは、何があっても壊したくなかった。穢したくないって……そう、思ってた」
優羽の告白に、真紘の頬がみるみる赤く染まっていく。彼の口からそんな真っ直ぐな言葉を聞かされることも、今までそういう風に見られていたことも、きっと予想していなかったのだろう。
真紘の表情の変化に、優羽は目を細める。心から慈しむような、とろけそうなほどに優しい目。それは玲にも、きっと他の誰にも、向けられたことなどないような色で……普段本心をあまり露わにしない彼の、唯一の内情を示していた。
震える声で、真紘は言い返す。
「だ、だったらっ……お前は俺を穢したくなくて、俺の気持ちも知ってて、何も言えなくて……だから、他の女を身代りに抱いてたっていうのかよ?」
「そうだよ」
あっさりとした答えに、真紘は拍子抜けしたような表情になる。
「っていうよりはまぁ、寂しかったからだな。一番欲しい人間からの――お前からの愛情を、得られないことが分かっていたから……温もりを探してた、っていう方が正しいのかもしれない」
友情は感じてたとしても、お前は俺のこと、一生そういう風には見てくれないだろうからさ。
そう言いながら、優羽はちらりと玲を一瞥する。
悪気があったわけではもちろんない。玲が真紘ではなく、優羽の方に恋愛感情を抱いてしまったのは、本当にごく自然なことだった。けれど何故だかとても悪いことをしてしまっている気がして、玲は思わず条件反射のように「ごめん」と謝っていた。
小さく笑いながら、優羽は首を横に振る。
「謝らなくていいよ、玲。……誰も、悪くないんだから」
誰も悪くない、という優羽の言葉に反応するように、真紘もふと寂しそうに目を伏せた。二人の気持ちがありありと伝わってきて、それが自分自身の抱いている気持ちとも重なって、胸が引き絞られるほどに痛む。
「俺は玲のことが好きで、玲は優羽のことが好き。そして優羽は……よりによって俺のことが好き、か」
ようやく明らかになった三人の関係性を改めてまとめるかのように、また自分に再認識させるかのように、真紘はゆっくりとした口振りで告げた。
「見事なまでに、報われないんだね」
最後にそう、自嘲気味に吐き捨てる。玲は優羽と顔を見合わせ、揃って「あぁ」とうなずいた。
「見事なものだろう」
「ホント……よくできた関係性だよな」
言ったあと、この状況が可笑しくなったのか、優羽がまるで堪えきれないというようにプッと噴き出した。玲も思わずつられて頬が緩み、唇から僅かに声が漏れる。見れば、真紘も声を上げて笑っていた。
「あ、はは……っ、あはははは!」
「ふふっ……」
「はははっ」
こんなことをするような状況じゃないと、玲は理屈では理解していた。二人も、きっと同じように分かっていたはずだ。
それでも、込み上げてくる笑いを抑えきれない。
玲も、優羽も、そして真紘も……この場にいる誰もが、ただただ狂ったように笑い続けた。三人の笑い声は渦のように、踊り場中へと反響し、こだまする。
ただ、何も考えずに笑っていたい。
優羽や真紘が、同じように思いながら笑っていたかは分からない。けれど少なくとも、玲は心の内でそう思っていた。
たとえもう二度と、これまでの関係には戻れないとしても。
これが、この三人で集う最後の瞬間になったとしても。
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