2.妹
0.
私の兄は幽霊や妖怪を見ることが出来ない。見えないだけでなく、そういったものの声を聞くことも出来ないし気配を察することすら無理らしい。生まれたときから幽霊や妖怪に囲まれて暮らしてきた私にとっては想像し難いことなのだが、本人が見えないと言っているのだから事実なのだろう。
というか、ある程度年齢を重ねるまで、兄は自分だけ霊が見ていないことに無自覚だった。周囲がみんな見えているものがただ一人だけ見えておらず、しかも本人にその自覚がないという状況は実際かなり厄介だった。
私の兄は幽霊や妖怪を見ることが出来ない。そのことに気づいてからは、私も兄には随分と気を遣ってきた。私は兄の前では飽くまで霊など見えないふうに振る舞っていたのだが、それもどうにも誤魔化しきれてはいなかったようで、ある日、半ば無理矢理なかたちで白状させられる羽目になった。兄は霊が見えないうえに空気も読めない。とんだ愚兄である。
*
兄はつねづね自分は生まれてこの方怪異らしい怪異に遭遇したことなどないと言い張っている。私からしてみればとんでもない話だ。思い違いも甚だしい。すべては単に兄が気づいていないか、憶えていないだけのことなのだから。それは私たち兄妹の思い出からも明らかだった。
私が四、五歳の時分のことだったと記憶している。兄と私とは二人で遊んでいた。場所は実家の庭だったと思う。理由は忘れてしまったが、二人は手をつないでいた。何か手をつなぐ遊びをしていたのか、あるいはただ兄と手をつないでいるのが嬉しかったかは今となっては分からない。
そのとき。
不意に、兄が空を見上げて言った。
「あ。お星さまたくさん、きれい」
え? と思った。
春の日の白昼だった。星なんか見えるはずがなかった。
隣に目を遣ると、兄は忽然と姿を消していた。まるで、はじめからそこにいなかったかのように――。
握っていた左手が虚空を掻いた。
兄が見つかったのはそれから三日後のことだった。姿を消したときとまったく同じ場所に、いつの間にか現れていた。いなくなっていた間のことを、兄は何ひとつとして憶えてはいなかった。それどころか、自分がいなくなっていたことさえよく分かっていないようだった。
*
私たち
暮樫家と同じ土地に暮らす人々にとって、それは公然の秘密だった。だから日常生活において霊が見えるのを殊更に隠す必要も別にない筈なのだけど(むしろ事前に明かしていたほうが都合がよい場合だってある)、私としては〈視えない〉兄がいる手前、あまり幽霊妖怪が見えて当然なのだというような雰囲気になることも避けたかった。妹としての私なりの配慮だ。
そういう経緯で、家から離れた学校に通うようになってからも、ごく親しい友人のみに事情を話し、兄のことも含めて普段は霊が見えることについては極力言及しないようにお願いしてある。
ちなみに私が高校生になった今も兄と同じ学校に通っているのはたまたま条件が重なった結果であり、それ以上の深い意味はない。嘘ではない。本当だ。
*
暮樫の人間の近くにいると、どれだけ無関係な人でも幽霊事件や怪異現象に巻き込まれやすくなる。故に、たいていの人は付き合いを忌避する。そんな中で私の友人たちは私と親しくしてくれている貴重な存在だった。もともと交友に疎かった私にとって、彼女たちのことは本当にありがたかったし感謝もしている。
だけども言い換えるとそれは、面倒事の権化とも言える私と好き好んで関係を持ってくるような奇人変人ばかりということでもあった。
そんな話を学校の昼休みにしていると、
「いやいや。あたしらの中で一番変人なのはあんただから」
「っていうか、お兄さんのこと好き過ぎでしょ」
と、冷ややかなツッコミを頂戴した。そ、そそそんなことないし……!
*
私の気苦労を知ってか知らずか、兄はいつものように周囲を飛び交う怪異たちを大胆に無視して私の前を歩く。
「ホント、鈍感なんだから……」
兄に聞えないように、私は今日も溜め息を吐く。
*
〈「1.見えないことの日常」、了〉
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