3.


「――で、或人あるとはやっぱり幽霊とか妖怪とか見えたほうがよかったと思ってんの?」


 布津ふつ智久ともひさが僕に問うてきた。


「いや、そんなことはないんだけど……。そういうふうに聞こえた?」

「んんー。身近にあるのに手が届かないのがもどかしい、みたいには聞こえたな」

「ああ、そっか……。小さい頃には家族が羨ましいと思っていたときもあったかもしれないけど……途中からどうでもよくなっていった感じかなあ」

「ふむ?」


 布津は半分は納得して、もう半分は理解できないといった表情で応じた。


「見える見えないの話は僕も思うところあって……話し始めるとちょっと長くなるかもだけど」

「構わんよ。いつも或人には話を聞いて貰っているからな」

「そう?」

「それに……」

「それに?」

「それに、お前の話が長いのは今に始まったことじゃない」

「……それもそっか」


 そして、僕たちは少し笑い合った。



                  *



 此処は、とあるアパートの一室。僕——暮樫くれがし或人あるとは高校入学以来、訳あってこの部屋で一人暮らしをしている。

 そして僕の前にいる男子は、友人の布津智久。僕と同じ高校に通うクラスメイトである。背格好は中くらい、相貌も朴訥としてこれといった外見的特徴の少ない男だが、何かと僕の話を聞いてくれる真面目でいい奴である。

 僕たちは夕暮れの部屋で二人、いつものように学校の詰襟制服のまま胡坐あぐらを掻き、いつものように雑談に興じていた。


「ほら、よく言うでしょ。話を聞くよりも見て貰ったほうが早いって」

「そうだな。突飛な話をする時はよく使う言葉だな」


 僕の投げ掛けに、布津は相槌を打って応答した。


「そうそれ。信じられないだろうがともかく実物を見てくれ……ってパターン」

「百聞は一見に如かず、って奴だな」

「そうそう」

「ふむ。それは分かる。だけど、そのことと或人の境遇と何の関係があるんだ?」

「〝百聞は一見に如かず〟ってさ、確かに視覚情報ってのは大切だと思う。でも、それが百パーかっていうとそうじゃないじゃん」

「ふむ?」

「何も自分が見たものをまったく信用していない訳じゃない。ただ、それだけを絶対視すべきでもないっていうか、飽くまで総合的に判断したいというか……」

「まあ、分からんではない」

「だから、見たものがすべてじゃないって考えるとね、幽霊妖怪が見えていようがいまいが、ものの本質には然程関係ないんじゃないかと思うワケ」

「うーん……?」


 布津はそこで大きく首を捻った。

 僕は話を続ける。


「一見した物証が百回聞いた話に及ばないというのであれば、もう百回別の意見に耳を傾けてみる余裕があってもいい。だから僕は、ひとの話はなるべくよく聞くようにしているんだ」

「うぅーん……」


 布津はまた少し唸る。


「僕は妖怪や幽霊そのものを実際に見たことはないし、死んだひとの声を聞いたこともない。たぬき囃子ばやしを耳にしたことも天狗てんぐつぶてに遭ったこともない」


 そう、僕の生涯に怪異体験は存在しない。

 妹に拠れば、実はそうでもないらしいが——。


「だから、が本当にいるのかどうかは僕には分からない。経験則という見方では、僕からは判断しようがない。でも、そういう存在を全否定するつもりもない」

「見たことも聞いたこともないのなら、いないものとして扱ってしまってもいいようにも思うがな」

「いや。見たことも聞いたこともないというのは、つまり判断材料がないということじゃん。〝いる〟と言うひとがいる以上、僕はそれを否定しない——特に家庭環境にいると、そういう考えに傾かざるを得ない」

「まあ、暮樫家の事情は特殊だよな。俺からはちょっと想像できん」


 そう言って、布津はやや苦笑気味に顎をさする。


「でね。僕自身には怪異体験はないんだけど、僕のまわりにいるひとたちは怪現象に遭遇する確率が妙に高いんだよね。かなり高頻度でそういった話を聞かせてくれる。しかも家族とか友人とか親しい人ほどそういう話をしてくれることが多い、と」

「……そういえば、俺もお前に話したことがあったな、〝そういう話〟を」

「あったね。あの話だって、嘘じゃなかったでしょ?」

「ああ――あれは確かに本当の話だよ」


 布津が僕に話した〝そういう話〟。それは、僕と布津との出逢いに関するエピソードであるのだが……それを語るのはまた別の機会に譲るとして、僕は目下の話題を進めた。


「いつもいつも〝そういう話〟を聞いているとさ、それらの体験すべてが虚偽だとはとても思えないし、だいたいみんなが僕に嘘を話すメリットもないじゃん」

「それはそうなのかもしれないが……。お前の場合なんかノリが軽くてこっちが不安になるんだよ……」

「まあまあ。そうは言っても、いろいろ聞いた中には、疑わしい話もなくはなかったよ。僕だってその辺の分別くらいは持ち合わせてるし、大丈夫だって」

「それならいいいんだが……」


 そのように言いつつも、布津の目は少しも了承していないといった様子であった。

 僕はそれに構わず、更に話を続ける。


「で、疑わしい話もあるにはあったけど、かと言ってすべて錯覚で片づけられる話ばかりでなかったのも事実でさ。その手の話を聞くたびに僕なりに真剣に向き合ってきたつもりだよ。基本的にそういう話、好きだし」

「……純粋なのか疑り深いのかどっちなんだよ、お前は」

「僕が絶対的に信じてるのは妹だけだよ?」

「いつも言っていることだが、お前は妹に甘すぎるのではないかと思う」

「そうかな? 僕がかなり公平に人の話を聞く人間だってことは今までの話で分かって貰えたのじゃないかと思ったんだけど」

「お前は……」


 布津は何故か引き気味に絶句していた。



                  *



「……はあ」

「どうしたのさ、布津。溜め息なんか吐いて」

「或人。この際だから、俺はお前に言っておきたいことがある」

「なんだい、あらたまってさ」


 布津は首筋を掻きながら、軽く胡坐を組み直した。その態度には不承を通り越して、呆れと諦念と困惑とが入り混じったような、なんとも微妙な感情が滲み出ていた。


「或人は怪異妖怪の類を見たことがないんだよな。今まで、一度も」

「そうだよ?」

「譬え父親や母親が妖怪はいると言ったとしても、素直に呑み込むとは限らない的なことも言ってたよな」

「取り敢えずは話を聞いてみてそれから、だろうね」

「でも、妹の言うことは信じるのだろ」

「当り前じゃないか」

「なあ或人、それはつまりだな……」


 と、布津は一息の間を置いた。


「要はお前が見たこともない怪異妖怪の類を受け容れているのは、根本的に妹がそれが実在すると言ってるからってだけの話じゃないか。長々と話すことじゃない」


 そこで僕は少しく虚を衝かれたようになってしまったが、


「そんなことは……いや、そういう見方もあるかなあ」 

「お前ほど偏った人間を俺は知らないよ」


 そう言って布津は目尻を押さえた。



                  *




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