2.


 僕の妹は霊が見える。この世ならざる存在を見ることが出来る。少なくとも本人はそのように主張している。より正確を期すと、ただ見えるだけでなく会話も出来るし、その気になれば物理的に接触することも可能であるそうだが、妹自身は過度な干渉は避けるべきだと考えているようである。


 霊の類が見えるという事情も周囲に積極的に明かしている訳ではなく(だからと言って取り立てて隠しているのでもないようだが)、家族を別にすればごく親しい友人等、一部の人間しか知らないことではあるらしい。僕が妹の力のことを把握しているのも、本人から聞いたというよりかは、僕が無理に聞き出したと言うほうが正しい。


 妹は飽くまでなど見えないないふうを装っていた。だが、そう思っているのは本人ばかりで、あからさまに何もない空間を気にしていたり、誰もいないところで喋っていたりということが続くために、痺れを切らしてどういうことか打ち明けさせたのである。妹は僕のことを鈍感だとよく言うが、彼女のほうも大概だと思う。



                 *



 この世のものではない存在が見え、あまつさえ触れることも出来るなどと、常識で考えれば頭がおかしいと思われても仕方がない話ではある。僕だって見知らぬ人物から急に「私は幽霊が見えます信じてください」と言われたら、はいそうですかと無条件に肯定することは出来ないだろう。


 だが、他でもない妹の言うことである。

 無下にする訳にもいくまい。


 実は妹だけでなく僕の家族や親戚の誰もが霊的な存在を認めていると知ったのは、妹から事情を聞き出して以後のことであった。僕にそのことを教えてくれたのは叔父であったが、親戚一同から突然に何の前振りもなく「自分たちは霊が見える一族なのだ」と切り出されたところで、僕はすぐに信じはしなかっただろう。譬えそれが父や母であったとしても、だ。親戚総掛かりののドッキリとさえ思ったかもしれない。しかし僕は叔父から実態を説かれた時点で、既に妹の話を事前情報として聞いていたため、そういった非常識な一族の内実も割とすんなり受け入れることが出来たのである。


 だって、実の妹がそう言っているのである。

 兄としては信じるのが当然だろう。



                 *



 幽霊妖怪その他が見えるという事情を知られることを妹本人が避けていることもあり、僕もそれを他人に明かすことを長くしてこなかったのだが、ある時、こいつになら話してもよいだろうという友人に事情を語り聞かせたところ、


「シスコンかよ」


 という言葉と冷淡な視線を受けた。世間は斯くも不寛容である。



                 *



 妹に拠れば、僕は今までに何度も何度も幽霊にとり憑かれそうになったり、魔物に襲われそうになったり、ときに本当に妖怪に攫われたりといった事件に遭っており、その都度どうにか窮地を乗り切ってきているそうなのだが、さてどうしたことか当事者の僕にはとんと覚えがない。その辺りも妹が僕を鈍感と呼ぶ所以なのかもしれないが、見えないものは見えないのである。仕様がないだろうと思う。


 暮樫くれがし家は霊や怪異と縁の深い家柄で、常日頃からそういった話題には事欠かなかった。そのとばっちりは僕にも漏れなく降り注いでいたそうなのだが、勿論まったく記憶にない。如何程物騒な事件が発生しようとも、僕はいつもそれを家族から間接的に聞くだけであった。

 妹は怪事が起こるたびに僕のところへ報告しに来てくれた。事後報告をする妹の語り口は毎度心底面倒そうではあったが、それでもそのときの彼女の表情はどこか嬉しそうでもあり、そして僕はそんな妹の様子を見るのが好きだった。


 誤解のないように断っておくと、幽霊その他が見えないことが理由で僕が妹をはじめとした家族親類から罵倒されたり嘲笑されたといったことは一度もなかった。

 ……ん? ホントに一度もない……か? ……いや、妹になら一、二度くらいはあった、かな? どうだっただろう…………まあいい、些細なことだ。


 兎角、そのことで深刻なまで家族関係に亀裂が走る事態に陥ったことはない。そこは確認しておきたい点である。ただ、どんなときも僕の預かり知らぬところで何かが未然に処理されている感じはあった。そして僕にはそれら背後の出来事を何となく察する程度の断片的な情報だけが聞こえてくるのだった。



                 *


 妹との思い出と言うとさまざまあるが、どれから話せばよいか。

 そうだな、あの出来事なんかどうだろう――――……。


 ――――――――――

 ――――――――

 ――――……


 あれは、僕が小学校の三、四年生くらいのことであったと思う。ある日の下校時、僕と妹はともに帰路に就いていた。これといった行事もイベントもない、至って穏やかな普通の放課後であった。

 ところが。

 住宅街の曲がり角に差し掛かった時。

 妹が僕の服の裾をくいくいと引っ張った。


「どうしたの?」

「……お兄ちゃん。この道、がする」

「……? 普通の道だよ?」

「いいから。今日はあっちの道から行こう? ね?」


 妹がそう言うのであれば、兄である僕はそれに従う他にない。仕方なく僕たちは通常の通学路を外れ、別の道から帰ることにした。しかしその後も妹の「よくない感じ」は連発され、あっちのT字路を戻りこっちの歩道橋を避けと、つぎつぎ迂回を続けた。そうこうしているうちに日が暮れかかってきていた。


「ね、ねえ。そろそろおうちに帰らないと……」

「分かってる! お兄ちゃんは黙ってて!」


 妹にそう言われては黙っているしかない。

 僕はいつしか、妹に手を引かれていた。


「いけない! 本格的に黄昏時たそがれどきになっちゃう……」


 いつも気丈な妹がその時はめずらしく焦っていた。そして、とある坂道の下に差し掛かったとき――妹の表情が曇った。妹は坂の上を見つめて目を見開いていた。そこには恐怖の感情が浮かんでおり、妹の膝はがくがくと震えていた。


「お兄ちゃん、逃げて……」

「え?」

「いいから逃げて! は私が何とかしておくから!」


 ――何がいいものか。

 

 僕が妹を置いて逃げられる筈がない。だいたいとは何か。

 そこにいったい、何がいるというのか。

 妹は坂の上のほうを見上げたまま動けなくなっているようであった。何が起こっているのかは分からなかったが、僕も妹と同じ方向を見上げた。坂道を登り切った辺りをじっと見つめる――――やはり、何もいない。


「なんだ、やっぱり何もないじゃないか!」

「お兄ちゃん……っ!」


 妹が悲痛な声で僕を呼んだ。僕は妹の視線の先を睨みつけて傾斜を一気に駆け上がった。急勾配ではあったが、所詮はただの住宅街の坂道である。何がいるのか知らないが、妹にあんな表情をさせる原因を、僕は許せなかった。


「ほら、何もいないよ! ねっ! 何もいない!」


 坂の頂上にたどり着くと僕は大きく上空を仰ぎ、そのまま振り返って叫んだ。坂の下では、妹が今度は打って変わって驚いたような呆れたような顔でこちらを見ていた。妹はその場で全身の力が抜けたようにふにゃふにゃとへたり込んでしまった。


「おーいっ! 道の真ん中で座り込むと通行の邪魔だよー?」


 僕は妹に呼び掛ける。

 しばし呆然としていた妹だったが、不意に元気を取り戻したようで、


「うっさい! お兄ちゃんの鈍感!」


 そう言って、くすくすと笑っていた。


 ――……

 ――――――

 ――――――――

 ――――――――――


 ……あらためて思い返してみると、まるで意味が分からん思い出である。

 なんだったのかな、あれ。

 確か、あの後は何事もなく家に帰ることが出来たのではなかったかと思う。その過程に特筆すべき事柄はなかった筈だが、帰宅して暫くのあいだ、妹がやけに上機嫌であったのだけは憶えている。



                 *



 僕の妹は霊が見える。ここで〈見える〉ではなく、〈視える〉と書いたほうがそれっぽい雰囲気が醸し出されるような気がするが、何処がどう違うのかと訊かれると、よく分からない。



                 *






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