暮樫或人の怪異非存在
カクレナ
1.見えないことの日常
1.暮樫或人
1.
幽霊があるの無いのといふのが
(三田村鳶魚『江戸の実話』より)
*
幼い頃から妙なものが見えなかった。
妙なもの——
賢明なる読者諸賢は「なんだ、見えないなら普通じゃないか」とお思いになるかもしれない。むしろ霊が〈視える〉などと公言する者のほうが、たいていは周囲から奇異の目で見られ、集団から浮いてしまうというのが一般的なケースであろう。
一般的? それを果たして一般的と言ってよいのかどうか。
異論はあるかもしれないが、どうか少し聞いてほしい。
そう、普通はそのようなもの、見えないのが常識であるだろう。それが一般的。
だが、僕の場合はちょっと事情が違った。
僕以外の家族や親戚には幽霊妖怪——そういった類のものが普通に見えていたのである。特に一歳違いの僕の妹は〈よく見える〉者らしかった。そして家族の中でそれらが見えていないのはどうやら自分だけなんじゃないのこれ、ということに僕が気づいたのは、物心ついて随分経ってからのことであった。
聞けば、我が家系の人々は古くから〈あの世の存在〉と交流を持ちながら生きてきたという。
それは「ちょっと霊感があるかも」程度の話ではなく、一族に属するものであれば誰でも、かなり積極的に霊その他と干渉し合う宿命にあるとかなんとか――かつて親戚からそんな話を滔々と聞かされたりもしたが、実感のない僕にはいまいちその内容が頭に入ってこなかった。
ではそこで、幽霊妖怪が見えないことが原因で一族縁類からハブられて子供時分から居場所を失い——となってくると、さながら少年漫画の落ちこぼれ主人公のようだが、残念なことに(?)見えないことで僕が周囲から疎んじられたり邪魔者扱いされたりすることは、これと言ってまったくなかった。
ただ、親戚が集まったときなどに周囲と幾らか話が噛み合っていないなあと感じることは子供心にもままあったように思う。そういうときは決まって近くの大人たちは苦笑いしたり、やや思案顔をしたり、そして何故か申し訳なさそうな目で僕を見るのであった。
*
昔から僕の身近では大小さまざまな霊的事件が頻発していた……らしい。自分の身の回りのことであるのに「らしい」と伝聞調なのは、僕自身がそれらの事件の肝心なところを目にしていないからに他ならない。毎回自身がその現場に居合わせていたにもかかわらず、である。
幼少時の記憶で比較的憶えているのは幼稚園の時――。親子遠足で行った自然公園の池に女の幽霊が出たというので、その場にいた全員がパニックになった。園児は勿論のこと、親や先生までもが池の中央に白い女の人影がぼうっと佇んでいるのを目撃したと証言した。場の混乱を収めようとした園長先生が池のほうを見て顔を真っ青にさせていたのは印象深い。
それら一切が、僕には見えなかった。
見えないし、聞こえないし、感じられなかった。怖い怖いと泣き喚く同級生らに囲まれて、そこで何が起こっているのかを理解するまでに、だいぶ時間がかかった。
……正直に述べてしまえば、それが幽霊騒ぎであったことを僕がはっきりと知ったのは、遠足から帰って二、三日が経過した後のことであった。
幼時の話と言えば、このようなこともあった。
あれは小学校に入学してまだ間もない頃のこと――学校のトイレに「トイレの花子さん」が出没するというので学校中が一時騒然とした。
曰く。
誰もいない筈のトイレで足音を聞いた。呼び掛けると返事があった。
女の子の手がドアの隙間から覗くのを見た。
鏡に知らない何者かの顔が映った――――。
噂は枚挙に
それでトイレに行けない子が続出し、教師保護者の間でも問題となった。〝花子さん〟なのに男女両方のトイレで目撃情報があったのは不可解ではあったが、実際に見たという児童が絶えなかった。
僕も野次馬の友達に連れられて「出る」という噂のトイレまで見に行った。それが小学校のどの階のトイレだったかまでは忘れてしまったが、兎に角、入った途端にそこに不気味な女の子が立っていたというので僕以外のメンバーは一斉に逃げてしまった。
そのときも、やはり僕には何も見えなかった。
トイレの花子さん騒動は三か月もすると、いつの間にか沈静化していた。
*
僕にはオカルト的な存在の一切合切が見えなかった。それは成長して高校生になった今も変わらない。だからと言って、僕は何も自分の目で見たものしか絶対に信じないなどと主張するつもりはない。無論、科学的態度としては怪異などないと言うのが正しいのかもしれない。しかし、人間関係という奴はそう理屈通りにはいかないものである。
そして何より、僕は他人からそういった怪異な話を聞くのが大好きだった。
どんなに突拍子もない話であろうと、相手の身になって聞くことが重要である。譬えそれが自分が
そのように自らの信条をクラスの女子に語ったところ、
「
と、
*
僕の一族が代々深くかかわり、妹が親しくしているという〝この世のものでない〟彼らが本当に存在しているのか僕には分からない。何しろ僕にはその姿が見えないし、その声は少しも聞こえないのだから。
しかしながら、それだけで妖怪や幽霊がいないと言い切ることはできない。それは悪魔の証明である。「あること」を証明するよりも、「ないこと」を証明するほうがずっと難しい。
そういった経緯で、僕の周囲には昔から不思議な話や一般的な科学知識では推し量れないオカルト的な出来事が溢れていた。如何なる怪異譚も、ありふれてしまえば何も奇妙ではない。
まあ、飽くまで話に聞くだけで、僕自身が体験したことは一つもないのだが——。
*
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