5.魔の十三階段

1.



                  *



 決して思い出せない思い出がある。


 それは失われた記憶ではない。

 本来収まるべき場所にあるものが、はじめからそこだけすっぽりと抜け落ちているのだ。


 もともと〈ないもの〉を後から失うことはできない。




 賢明な読者諸兄諸姉は、思い出せないのであればそれは思い出とは言えないのではないか――と、そのように思われるだろう。


 確かにそうかもしれない。

 それが一般的な認識なのかもしれない。


 しかし。

 しかしそれでも。


 それでも、それは僕にとって――僕たち兄妹にとって、忘れてはいけない大切なアルバムの一ページなのだ。



                  *



 暮樫くれがしという家に生まれついて、怪異と相対することを運命づけられた僕たちは、幼い頃から超自然的な〈何か〉と向き合ってきた。


 人間の世界とは少しずれた世界でうごめく

 生活のすぐそばにありながら、日常とは絶対的に異なる


 を過敏に感じ取る妹と、少しも気づくことのできない僕。

 そんな僕を妹はいつも鈍感とそしった。





 僕と妹は生まれながら同じ家で暮らし、同じ景色を見て育ってきた。


 ……いや、同じではなかったのかもしれない。


 僕と妹のあいだには、常に浅からぬ溝があった。

 その齟齬そごがきっといまも思い出の欠落として表れている。



                  *



 欠けた思い出の中で――――。


 僕はいつのまにか実家の庭に立っている。

 それ以前の脈絡は覚えていない。


 そして思い出されるその唐突なシーンではいつも、妹が僕に縋って泣いていて、僕は彼女がどうして泣いているのか分からなくて立ち尽くす。


 自分の身に何が起こったのか。

 自分が何を体験しなかったのか。

 自分が何を通り過ぎて来たのか。


 どれだけ思い返してみても、何も思い出せない。

 ただぼんやりと、自分が帰ってきたのだということは、周囲の親族の反応から何となくは察せられて、でも何処に行っていたのかはやっぱり分からなくて呆然とする。



                  *



 それでも。

 それでも、妹が僕のため、僕の所為で泣いているのだと、それだけは分かった。

 ただただその事実だけが僕の胸を締めつけた。


 怪異にかかわって、妹を泣かせてはいけない。

 僕が理由で妹に寂しい思いをさせてはいけない。


 そう思った。



                  *



 僕にとって言鳥ことりは最愛の妹で、言鳥にとっても僕はかけがえのない家族だった。

 万が一、僕が妹の前からいなくなるようなことがあってそれで――、

 それで、妹が悲しむようなことがありませんように。

 それで、妹が喪失感にさいなまれるようなことがありませんように。


 そう強く願った。



 だから僕は、真の怪異を探る。

 妹が見ていて、僕が見ていなかった景色に近づこうとする。

 彼女をこの世界に一人で立たせるようなことにならないためにも――。





 今日に至るまで、そのいつかの記憶の断片さえも、僕はまだ何も思い出すことができないのだけれど――。






                  *


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