5.



 ――と、頭上でジジッと音がして、ふいに電灯がともった。


 やにわに闇が散り、風景が明るくなる。


 冷静になってまわりを見ると……、そこは暗く深い森でも、ましてや魔界の山などでもなく、都市近郊の山麓にある自然公園――その雑木林の一角だった。


「ここは……」


 公園内には街灯がいくつも設置されており、少し行った先には駐車場もあるようだった。木々の向こうには住宅もちらちら見える。何も恐ろしい場所ではない。


 考えてみれば当然だ。

 私は中心市街地から歩いてここまで来たのだ。

 深山の秘境に迷い込んでいたわけではなかった。



                  *



「……行ったみたいだな」

「やれやれね」


 そこに至り、倒れていた詠宇よう詩華しいかが、のそっと身を起こした。

 二人は立ち上がるなり落ち葉にまみれた制服をぱたぱた払っていた。

 あれだけのことがあった直後だというのに、二人ともいやに落ち着いている。


「あなたたち……」


 私が二人を困惑気味に見据えると、


「よっ、言鳥ことりっち」


 と、詠羽が片手を挙げて挨拶を寄こした。

 軽薄にも見える詠宇の言動は、ほんの少し前まで怪異が充溢していたこの空間には少なからず場違いなもののようにも思えた。


「いやあ、ようやく追いついたと思ったらとんだことになってたな」


 そう詠宇が言うのについで、


「何か大きな黒い影が見えたけれど、無事だったの?」


 と、隣の詩華が心配そうに首をかしいだ。



                  *



 それは――こちらの台詞だ。


 今回、魔ものの脅威にさらされるようなことになったのは、総じて私の責任だ。

 私が自分の体質の危険性を分かっていながら、考えなしに怪異を引き寄せまくった結果だったのだ。

 二人はそれに巻き込まれただけ――。

 本来ならば、真っ先に相手を気遣うべきなのは私のほうだった。


 なのに。


 なのにこの二人は責めるどころか、私の身を案じるようなことを言う。

 どうにも調子が狂う。



                  *



「……これで分かったでしょ。私の近くにいるとあなたたちも危険に巻き込まれる。知らず知らずのうちに呪われたり祟られたりする。分かったら……もう私にはかかわらないで」


 私はあえて突き放すような言葉で返す。


 実際、先刻のあれはだいぶ危なかったのだと思う。

 一歩間違えれば三人もろともに取り込まれていた可能性もある。

 私の近くに居続ければ、いつまた今回みたいなことがあるとも分からない。


 しかし。


「そりゃそうなのかもしれないけどさ。でもまあ、今はこうして何事もなくいるわけだし?」


 と、詠宇が楽観的な意見を述べれば、


「それに今ここにいる中で一番ぼろぼろなのは、どう見てもあなたでしょ。ねえ」


 と、詩華が私の現状を指摘してくる。



                  *



 言われて私は、自分の身なりに注意を向ける。

 確かに今の私は、見た目としてひどいものだった。


 髪はぐちゃぐちゃだし服だってだいぶ乱れている。意識もまだ少し朦朧としていたが、それも他人の目には半醒半睡の状態でふらついているように映るかもしれない。


 頬をこすると付着していた泥が伸びた。

 きっと鏡なんか見られたものではないだろう。


 二人が心配するのも無理はないと言えた。



                  *



 だがそれでも分からないのは、そんな私のことを気にかける彼女たちだ。


「なんで……、なんでそこまでして私に構うの……っ」


 我慢できずに私は疑問をぶつける。

 それは嗚咽を喉につかえさせたような、はなはだ情けないものだった。


「なんでっつってもなあ……」

「ねえ」


 顔を見合わせる詠宇と詩華。

 ややあって回答役を引き受けたのは詠宇だった。

 彼女は赤茶けた長髪を少し掻いて、


「実はあたしら、今日以前にもあんたに何度も話しかけようとしてたんだよな」


 答える詠宇の口調は苦笑を交えつつも柔らかい。


「それがなんでかさ、いくら近づこうとしてもうまくいかないのな」

「そうね。まるで見えない何ものかに行動を制限されているみたいだった」


 続く詩華も頷いて言う。

 容姿は対照的な二人だが、会話の息はぴったりだった。


「そうそう。声をかけようとすれば前を人が通るし、大声で呼ぼうとすれば工事や部活の音に搔き消されるしでさあ。それは毎度すごいタイミングでな」

「肩を叩こうとすると何故か別人と間違えるし、駆け寄って行こうとすると何もないところで転ぶし……、もう何が何やらよ」

「あたしらがどれだけトライアル・アンド・エラーを繰り返したことか」

「そろそろクリア報酬がほしいところね」


 二人は代わる代わるに言った。


                  *



 それは……。

 それは、


 私が兄のためにと持ち歩いていた呼びかけ除けの札の効果が、必要以上に発揮されていたのだ。どうやらあまりに大量に持ち歩いていたせいで、怪異だけでなく一般の人間にも影響が及んでいたらしい。


 それが今日になって札を使い果たしたことで効果が切れた、ということか。

 思えば急に山の魔ものに魅入られそうになったのも、魔除けの力がいっぺんに失われた隙を突かれてのことだったのだろう。



                  *



 でも分からない。


「……私なんかに話しかけても、何も面白くないでしょうに」


 私は納得がいかずに言い捨てる。

 すると、


「そうさな、はじめは正直、なんか気に食わない奴だなって思ったよ」と、詠宇。

「あからさまな他人拒絶オーラをびしびし発していたわね」と、詩華。

「もう話しかけるのも躊躇ためらわれるレベルだったよな」と、また詠宇。

「半径数メートルの空気がピリピリしていた」と、代わって詩華。


 交互に言い合う二人は思い出話をするような和やかさだったが、歯に衣着せぬ言葉の数々は私の自意識にぐさぐさと突き刺さった。

 他人に興味を持ってこなかったのは紛れもない事実とは言え、面と向かって言われるとやはりくるものがある。


暮樫くれがし妹と言えば、入学当初から怪しい噂が絶えなかったしなあ」


 詠宇がまたしみじみと言い、


「ええ、入学初日に上級生の教室に殴り込みに行ったとか、誰もいない教室で虚空にひとりで話しかけていたとか、男子の先輩の後ろをこそこそつけていただとか、ね」


 と、詩華も応じた。

 あとは私にまつわる噂の列挙だった。


「謎の呪文のようなものを唱えながら刀を振り回していたとか、理科室の実験器具を破壊して回ってたとかなあ」

「夜の学校に血まみれで立ってた、とかね」

「あとはそうさな……、実は少し睨んだだけで人を殺せる力があるとか」

「裏ではヤバい組織のリーダーで舎弟が五十人以上いる、とかもあったわね」

「あったあった。もうさ、ヤンキーで不良で不思議ちゃんでデンパでストーカーでサイキッカーで……って、要注意要素多すぎてどこから接していいのか分かんねーって状態だったな」

「扱いに困る危険物」


 ひどい言われようである。

 特に詩華は感情がこもっていない分、一言一言に容赦がない。


 そして噂があながちすべて間違いでもないのが、また私の心を抉った。



                  *



「でもそれだけ分かっていて、なんで……」


 口を突いて出るのは解けない疑問。

 むしろ校内での悪評を聞かされて、答えは余計に分からなくなった。

 私ならそんな面倒な相手に何度も声をかけようとはしない。

 しかし対する詠宇はさばさばしたもので、


「ううん……、まあ、同じ寮に住んでいるわけだし? 挨拶くらいしておこうかなって思うじゃん」


 と、あっけらかんとしている。


「最初は本当に挨拶するだけのつもりだったのよ」


 補足する詩華も私の戸惑いを気にするふうはない。


「あたしだってさ、他人を拒絶してる相手と無理に仲良くする必要もないかなって思ってたよ、はじめの頃は。そういうの苦手な奴がいるのも分かるしな」

「あら詠宇、そんなこと言ってあなた、わりとスタートの段階から言鳥と友達になる気満々だったじゃない」

「なっ、そりゃだってただ話しかけるだけのことがあんなに難易度高いとは思わないだろ……。まあ、で、途中からこっちもなんか意固地になっちゃってさ……、何としてもあんたを振り向かせてやるぞって感じになって――」

「そうして気づけば、いつしかわたしたちのまわりにもお化けやら何やらが飛び回るように――」


 言いながら詩華は辺りを見回す。

 ここは山が近いこともあって、街中より怪異の存在感も色濃い。


「ま、も今じゃすっかり見慣れちまったけどさ――ほら」


 その弁を実証するかのように、詠宇は。その動作に怯えや逡巡は含まれていなかった。


「――な?」


 そう言われても。

 何が『な?』なのか。


「……私とかかわっても、だいたいロクなことにはならない」


 かかわった結果が、このざまだ。

 本来怪異と無関係にある人たちをに引きつけてしまう。

 それが私たち兄妹の体質であり、宿命なのだ。


「だぁから、そんなのとっくに慣れたってっつてんじゃん」


 一徹して拒絶を崩さない私の態度を前に、詠宇はやや苛立ちを露わにする。

 いや、慣れるかどうかという話ではないのだが……。


「あたしらはあの〝学校の怪談〟騒動から先ずっと、言鳥のことをそばで見てきたんだ、怪異と戦い続ける姿をさ。……あんたは気づいてなかったかもしれないけど」


 それは……気づかなかった。

 それどころか、自分が誰かに見られているなど思いもよらなかった。

 私にとって怪異との対峙は、ただ兄との関係を繋ぎ止めるためだけにある、孤独な営為だった。それが――、


「怪異の舞台に立つあんたはいつもひとりだった……。でもそんなあんたを見ているうちにさ、なんでかな、あたしらもその舞台に参加してみたいと、そういう気持ちになってきちまったんだよな」


 鋭い瞳をさらに意地悪そうにすぼめる詠宇。

 街灯の光がその目の奥にきらりと反射する。


「そうね。『友人はなるものでなくいつのまにかなってるものだ』とかよく言うけれど……、あなたがどう思っていようともこの際関係ない、何としてもわたしたちが暮樫言鳥の友人になる。ここまで苦労させられてきたご褒美に、それくらいのステータス更新があってもいいんじゃない?」


 そう告げて詩華もふふっと黒い笑みを浮かべた。

 私に同意を求められても困る。

 というか、ちょくちょくゲームっぽい言辞を差し挟んでくるのは何なのか。


「そういうこった。言鳥があたしらを巻き込むんじゃない、あたしらが言鳥を巻き込んでやるのさ」と、詠宇。

「深淵を覗いているのはあなただけではないということを思い知らせてあげるわ」と、詩華。



                  *



 そんな滅茶苦茶な。

 理屈も何も通っていない。


 いくらなんでもあまりに強引に過ぎるのではないか。

 そこに私の意志は介在していないのではないか。

 実は怪異に巻き込まれたことを根に持っているのではないか。

 あと、私の友人になることが何か特権的なポジションの獲得であるかのように言うのはどうなのか――。


 いろいろと問い質したいことは両の手の指で数え切れないほどあった。

 あったが、そのときの私には、二人にあれこれ反論する気力はすでに残ってはいなかった。


 そしてこれが私たち三人の、友人としての出会いだったのである――。



                  *



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