6.



 そして場面はまた冒頭、学校の昼休み、中庭に舞い戻る――。


『――それでどうだい、その後、新しい友達とは上手くやっているかい』


 通話越しに叔父は言った。

 朗らかなのが逆に胡散臭く聞こえる声音だった。


「ええまあ……。上手くやっていると言えばそうなのでしょうけど……」

『それは何よりだ』

「でも……」


 詩華しいかから奪い返したばかりのスマートフォンを手に、私は言葉を濁した。


『……ん、でも?』

「ええと、あの流れで私と友達になりたい、なんて言い出すのが、正直、私にはいまだに不自然に思えてならないというか……。二人に関して、本当に叔父さんは何も噛んでいないんですよね……?」


 私は何度目かの疑念を投げかける。


『前にも言ったろう。あの二人のことは私は無関係だ。何でもかんでも私が黒幕だと思われちゃあ心外だね』


 その台詞がすでに黒幕っぽいのだが……。

 そう言い返そうとしたが、


『それでも二人の行動が不自然だと言うのなら――、言鳥ことりちゃん、それはあれだ。きみが友達づき合いというものに不慣れなせいじゃないかな』

「うぐっ……」


 そこを突かれると痛い。

 しかし、そういう問題でもないような気もする。

 いくら私が人間関係に疎いとは言え、それくらいの了見はある。



                  *



『そうだねえ……、確かにあれだけぼっちを貫いてきた言鳥ちゃんに突然親しい友達ができる――それを不自然と感じるのは、まあ、率直に分かる話ではあるね』

「……そこまで明言されるのも、なんか複雑なんですけど」

『他を圧倒する美貌を持ちながらそれを以てコミュニケーションそのものを受け入れず、まかり間違って会話が続くようなことがあったとしても、延々と実の兄の話しかしないとなれば――、そりゃあ凡俗の人間は近寄ってこないだろうねえ』

「あの」

『いやあでも、人間ブリザードみたいだった言鳥ちゃんから友達のことで悩みを持ちかけられる日が来ようとは、保護者として感慨深い限りだよ、うん』

「あまりふざけたこと言ってると呪い殺しますよ?」

『ははっ、きみが言うと洒落にならない』


 うざいことこの上ない。

 電話越しでなければ殴っていたかもしれない。


 ……ちなみに、私に呪術関係の一切を教えたのは他でもない叔父であり、私がいくら呪いを放ったところでまともに敵うはずもなく、従って先の台詞もまったくの虚言であることは互いに暗に了承済みだ。どこまでも食えない人である。




                  *



『それにあえて説明をつけるとすると――、そうだね、、かな』


 迂遠な言い回しの末に、叔父は言った。


「まじないの反動……」

『ああ。人も怪異もまとめて遮断していた力が急速に失われたことで、かえって人を寄せつける効果を生み出してしまった――そういうことは、あるかもしれないね』


 それは。それでは、結局はあの二人も怪異の――


 また私は巻き込んでしまったのか。

 人を遠ざけるどころか、こちらから他者に侵食してしまったというのか。


 それでは――何も変わっていないではないか。他人の意思のいかんに関係なく、近づく者に呪いや祟りを振り撒いてきた中学時代までの私と。


 あの頃と、同じことを、また――。



                  *



『ああ、でも誤解しないでほしいのはね――』


 と、叔父は付言した。


『もしまじないの反動があったとしても、それはあくまできっかけ、些細な影響でしかないと思うよ』

「……そう、なのですか」

『そうさ。たかだかお札のまじないの効果が数日間にわたって他人の意志を束縛し続けるなんてことは――、まあ、ないだろうね。だいたい、今回のは怪異対策の副作用だったのだから尚更だ。生きている人間というのは、それだけでもけっこう強いものだよ』


 そう言われても容易には納得しづらい。

 またそれらしい説明を弄して私を煙に巻こうとしているのではないか――そう邪推してしまう。



                  *



『――いいかい、言鳥ちゃん』


 叔父の声がふいに優しげになる。


「…………なんですか」

『きみがなるべく他人とかかわらずに生きていこうと努力してきたのは、私も理解するところだ。特に去年の一年間、或人あると君が卒業してからの中学三年の期間は、学校の中に頼るものもなく、だいぶ気を張っていたことだろう』


 でもね――、と叔父は続ける。


『でもね、言鳥ちゃん。きみはたぶん自分で思っているよりもずっと危なっかしくて、一人にしておくと何をしでかすか分からないところがあって……、そして十分に人を引き寄せる魅力が備わっている――私はそう思っているよ。それこそまじないの効果などなくとも、ね』

「なななな、なにを……! あまり適当なことを言わないでください!」

『適当なことではないさ。天地神明と――、そう、君のお兄さんに誓ってもいい』

「私が兄のことを出せばなんとでもなると思われているなら心外です」

『はっはっはっ。まあ、どう受け取るかは言鳥ちゃん次第だけどね。また何かあったら連絡してよ。それじゃあ――』


 そう言って通話は切れた。

 ……なんだかどっと疲れた。


「はあぁぁ……」


 私はいつもより長くため息を吐いた。



                  *



 あの山の怪異との一件のあと、詠宇ようと詩華の二人は、なんだかんだで私の友人ポジションに収まりつつあった。


 登校時にはやけに嬉々として声をかけられるし、放課後や休日も何かと時間をともにすることが多くなっていた。

 学校でも休み時間ともなれば二人揃ってわざわざ会いにやってくるし、クラス合同の授業のときなどは気がつくとどちらかが隣にいた。


 私としては無理にでも拒絶を続けてもよかったのではあるが――、如何せん住んでいるところが同じなのだ。学生寮で寝食の場を共有するうちに、次第に三人で過ごすことが当たり前になっていった。


 入居時はあれこれ文句もあったものの、寮生活はそこそこに快適であった。叔父の口添えもあって、怪異現象に関する諸々にもいろいろと融通が利いた。


 はじめの出会いこそ非日常なものであったが、結果的にあの劇的な邂逅が私たちの距離を一挙に縮めたことは疑いのない事実であった。


 今になってみれば、そんな機会を与えてくれたあの山の魔ものたちにも少しくらい感謝してもいいかもしれない――そう思える程度には、私は二人を友人として受け入れていた。



                  *



 ただひとつ、気にかかっていることがあった。

 山の魔ものたるが私に語りかけてきたあの言葉――。


『――お山に行かないか、我らがともがらよ』


 

 は確かにそう言っていた。


 それはあたかも、――そんなふうにも受け取れる物言いだった。


 あれはいったいなんだったのか……。

 そして兄ではなく、妹の私を呼んだのには何か意味があったのか……。


 いまひとつ、すっきりしない。


 考えを巡らせるうちに、あの山でのことだけでなく、他の数多の怪異のことや、幼い頃の兄との思い出までもが思い起こされ、ぐるぐると記憶の渦にのみ込まれていくような感覚をおぼえた。


 私は何者だったか。

 ここにいる、私は。

 いつから、私は――。


 私の思索は出口のない迷路に入り込もうとしていた。


 そのとき――、



                  *



 ――おーい。

 ――おぉーい。


 声がした。


「おぉい、言鳥って」


 名前を呼ばれて、私の意識は引き戻される。


「なあ、もう終わったんだろ、電話」


 詠宇だった。

 彼女の怪訝そうな表情がぱっと目に映る。


「昼休み、もうすぐ終わっちゃうわよ」


 詠宇の後ろから、詩華がひょこっと顔を覗かせる。

 ふわっとしたミディアムボブが首の動きに合わせて揺れた。



                  *



 叔父からの電話に出た私は、昼食をとっていた場所から少し離れたベンチに席を移していた。しかし通話が終わってもなおその場を動こうとしない私を不審に思い、二人のほうがこちらに来てしまったらしかった。


「なんだよ、ぼうっとして。大丈夫か?」と、詠宇。

「しばらくどこを見ているのか分からないふうだったけれど。わたしたちが近づいても気づかないし」と、詩華。


 私はそんなにぼうっとしていただろうか。

 どうやらまた二人に心配をかけてしまっていたようだ。


「ああうん、なんでもない。ごめん」


 曖昧に微笑して答える。

 どうもこういう近しい会話に、まだ慣れない。

 今の私は上手く笑えているだろうか。



                  *



「ならいいけどよ……、言鳥のことだからあたしらの知らない、何かあの世の化け物とかに魂抜かれてんじゃないかとか思って不安になるからな」


 そう言ってキッと私を見る詠宇。

 私を見下ろす、きつく睨んでいるような視線だった。


 しかし私は知っている。


 一瞥では不機嫌そうにも見える彼女の瞳が、その実、私をおもんばかるあたたかなまなざしを宿していることを。


「ふふっ、どうせまたお兄さんのことでも考えてうわの空になっていたのでしょ」


 そう言ってからかいの笑みを浮かべる詩華。


 しかし私は知っている。


 外野で冷やかすようなことを言いながら、彼女が私のことを誰より注視してくれていることを。まあ詩華の場合、その表れ方は多少捻くれてはいるようだが……。



                  *



 山の怪異に遭ったあの日。


 二人が私の友人になるという言い分は、私からするとあまりに強引としか思えないものだった。

 反対に彼女たちからすれば、私に接触するまでに随分と長い過程を経てきたようで、あの場で友人になると宣言するというのも当然の成り行きであったのだろう。


 両者の間には認識のずれがあった。

 その違和感は今も埋めようがない。


 それでも私は思いを馳せずにはいられないのだ。


 こんなふうに私の怪異を引き寄せる体質を思い遣ってくれる人たちは今までにいなかったと。

 こんなふうに私と兄との関係を了解してつき合ってくれる人たちは今までにいなかったと。


 それがたとえ、怪異やまじないが招き寄せた結果であったとしても……。

 それも含めて、こういう関係を〝友人〟と呼んでもよいのかもしれない――今はそのようにも思う。



                  *



「それじゃ、そろそろ教室に戻るか」


 詠宇が校舎のほうを見て言う。


「そうね。もうチャイムが鳴ってしまうわ」


 詩華も答える。


「ほら、言鳥もさ」

「行きましょう」


 二人にうながされて、私も立ち上がる。

 白くかすむ春の空が不思議と高く見えた。


 季節はもうじき、五月になる。



                  *







                       〈「+ 暮樫言鳥の日常」、了〉


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