5.



「……そうじゃない」


 僕の反応に妹は不満げな態度を向けた。

 彼女の冷徹な瞳に睨まれるのは、毎度なかなかに背筋が寒いものがある。

 もしかすると、そこらの妖怪よりも怖いかもしれない。


「え? ああうん、そうだね……。僕には言鳥ことりみたいに怪異に実際に触れて確かめることが出来ないからなぁ。だからまるで見当違いなことを言ってるかもしれないのは分かってるつもりなんだけどさ……。癪に障ったなら申し訳ないな、ごめん」

「いやだからそうじゃなくって……」

 

 僕の冗長な講釈も、妹には釈迦に説法だったのかもしれない。

 しかし怪異を感じ取る能力を持たない僕には、あれこれ思索を巡らすことでしか、その世界を探る手段は残されていないのである。



                  *



 桜の木の幹や枝を傷つけるとそこから真っ赤な血が噴き出す――言うまでもなく、『真っ赤な血』は『埋められた死体』を連想させるワードである。連想させるためのワード、と言ってもよい。

 つまり。

 僕が思うに、この『血が噴き出す』という話は、『死体が埋まっている』という話の付加要素……謂わば、後づけの話なのではないか。


 連想と言うならば、そもそもこの話が広まっている背景には、


・桜があんなに綺麗に咲くには何か理由があるに違いない。

 ↓

・それこそ屍体でも埋まっていないと釣り合いが取れない。

 ↓

・むしろ桜の花が薄紅色なのは死体の血を吸っているからだ。


 ……というようなイメージの伝言ゲームがあることは明白であろう。そこから、血を吸っている木の幹を傷つけると血が噴き出すという発想につながっていったのではないだろうか。『美しい桜』と『凄惨な死体』という組み合わせのギャップが、この話を好奇の対象として盛り立てているのである。……たぶん。




                  *



「まあ、本当に桜の木が血を吸っているのなら、花びらから血の一滴でもにじんでもよさそうなものだけど……っよっと」


 そこでちょうど例の桜の木の前を通りかかった僕は、舞い落ちてきた花びらの一枚を片手で掴み取る。指で花びらをすり合わせると、それは少しの血の色を漏らすこともなくクシャクシャになってしまった。


「桜の木の下には屍体が埋まっている。桜のほうからしてみれば風評被害もいいところのような気もするね……。それでもこの話がいまだに根強く残っているのは、恐らくこの巨大な桜の老樹にあまり生徒を近づけさせたくないという学校側の思惑も手伝っているんじゃないか」

「そんなものなのかな……」


 妹がなびく髪を押さえながら呟く。

 春の風が木々の枝をざわつかせ、無数の花弁が空に舞った。

 花盛りの大きなの桜の木の下で、空気までもが桜色に染まったかのように思えた。

 そうして暫くのあいだ、僕たち兄妹は満開の桜を見上げていた。


「それにしても言鳥。まだ入学したばかりだというのに、うちの学校の言い伝えに随分と詳しいんだね」

「あっ。そ、それは……」


 僕の問い掛けに、何故か顔を俯かせてもじもじする妹。

 やはり、僕と妹の言動には依然として隔たりを感じる。

 僕もまだまだ努力が足りない。

 精進しなければなと思う。



                  *



 その日の夕方のことである。

 既に日も沈んだ頃合いに、妹が全身赤い液体まみれで僕のアパートを訪れた。

 まるで正面から血飛沫を吹きつけられたような惨状であった。


「…………どうしたんだいその格好。また鬼退治でもしてきたのかい」


 僕が訊ねると、妹はむすっとして一言、


「……いいから、シャワー貸して」


 とだけ答えて、浴室に消えていった。

 何だろうか。

 妹が突然怪我を負ったり酷く汚れて帰ってくることは今までにも何度かあった。それはたいてい怪異に関する事件を経た後のことであった。そのため、僕も今更然程の動揺はしなかったが……また僕の知らないところで怪異存在と対決でもしてきたのだろうか。

 あらゆる怪異に干渉し、そればかりか日常的にそれらへの対処をこなす。

 現役女子高校生にしてスーパーゴーストバスター。

 それが僕の妹であった。

 怪異の世界について、僕が出来ることはとても少ない。でも正直に言えば、妹にあまり危険なことはしてほしくないなと、そのように思う。



                  *


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