2.



 さて、少しばかり時を進めよう。

 場面は飛んで、私の高校入学後に移る――。


「……あの、暮樫くれがし言鳥ことりさん?」


 名前を呼ばれてふり返った。


 見ると女子生徒が二人、こちらを窺うように並んでいる。

 胸元に一年のバッジを着けているから、同学年か。


 放課後、学校の玄関前ホール。

 下校する生徒が私たちの横をつぎつぎ通り過ぎていく中でのことだ。

 全校を騒然とさせたあの雷雨の日から、一週間半が過ぎようとしていた。


「何か――?」


 私は、私を呼び止めたらしい二人組をじっと見比べる。


 一人は背の高い女子。

 ややきつめの顔立ち、赤茶けた髪がやたらと長い。

 背筋はすらりと伸び、高身長も相まってある種のふてぶてしさが漂う。

 姉御肌な雰囲気――とでも言い表せば伝わるだろうか、そういう感じ。

 どうやら最初に私を呼んだのは彼女のようだった。


 もう一人のほうはおおよそ平均身長。

 緩くウェーブのかかったミディアムボブは一人目の彼女とは好対照だった。

 だが何と言うか――、全体的な印象として、

 別に髪が白いとか血の気が引いているというのではないのだけれど、中空に線が浮いているような独特の希薄さがある。


「あなたたちは……?」


 私が問うと、赤茶けた髪のほうは『敷手石ふていし詠宇よう』、色素の薄いほうは『甘木あまき詩華しいか』と名乗った。


 しかし名前を聞かされても、私の記憶に覚えはない。

 少なくともクラスメイトではない、と思う



                  *



「ええと……、それでどちら様でしょうか?」


 私は再度問いかける。

 向こうは名乗れば分かるだろうと言わんばかりの顔をしていたが、分からないものは分からない。

 私が苛立ちをつのらせているのが見て取れたのか、赤茶けた髪で背の高いほうの女子――敷手石詠宇が慌てて、


「ほら、あたしら二人とも、あんたと同じ学生寮の住人だよ。何度か擦れ違ったりしたろ?」


 と言い加えた。


「ああ……」


 そう言われれば、そんな人たちもいた気がする。

 視界には入っていたと思うが、完全に意識の外だった。


 何しろ四月前半はずっと増殖する学校の怪異潰しに追われていたのだ。

 身辺に気を配っている余裕などほとんどなかった。

 人間関係のことともなればなおかしである。


 元々、他人への興味というものを私はそれほど持ち合わせてはいない。

 それに過去を鑑みるに、私たち兄妹が里の外の人間と積極的にかかわってもロクなことにはならないのはよく分かっていた。



                  *



「……で? 名前を確認したかっただけなら、私はこれで」


 ようやく最近、学校内の怪異出現頻度も落ち着いてきたのだ。

 いつまでも居残っている理由もない。

 さっときびすを返そうとする私を、


「ちょ、ちょ、ちょっと待った!」


 と引き留めたのはこれもまた赤茶けた髪のほう――詠宇だった。

 私はやむを得ず踏み出した一歩をストップさせる。


「……何か」

「あんたはさ、その……おばけとか見える人なんだよな……?」


 詠宇は恐る恐る尋ねた。

 その顔は少しこわばって見えた。


 ――まったくうんざりする。



                  *



『言鳥ちゃんって、幽霊とかおばけとか見えちゃう人なんだよね……?』


 それはこれまでの私の人生の中で幾度となく繰り返されてきた質問だった。

 私にとってその質問の内容はおよそ取るに足らない、あまりにありきたりな事柄であった。


 私は中学時代のことを思い出す。


 一年の時に隣の席になったあの子も、二年の時のクラス委員だったあの子も、また別の時に突っかかってきたあの子も――、教室で一人席に着く私に接触してくる相手が、決まって最初にかけてくる言葉がそれであった。


「――そうだけど?」


 故に、私が返す言葉もワンパターン。しぜん素っ気ないものになってしまう。

 どうせ次に来る質問も予想はついている。


『それってその……怖くないわけ?』


 だから私はまた仕方なく淡々と答えるのだ。


「――別に」


 その後の相手の反応はいくつかに分類される。


『あ、やっぱりそうなんだ……』

『なんかごめん……』


 あるいは、疎外。

 あるいは、困惑。


 そんなものいるわけないと頭ごなしに否定してこようとする輩はまだ楽だった(それも実際の怪現象を前にしていくうちにおのずと少なくなっていったが)。


 触れてはいけないものに触れてしまった――たいていはそんな顔をして、勝手に距離感を感じて遠のいていく。勝手に私を交友圏域の外部に設定する。

 向こうから声をかけてきておいて、至極失礼なものだと思う。


 まれに称賛や憧憬の声を向けられることもあったが……、それは往々にして珍獣を見るような好奇のまなざしとセットであった。



                  *



 だから今回もまたか、と思った。


 この手の興味本位の人間の対応はもう飽きた。すぐに去っていくことが分かっている相手に時間を割いているほど、私は暇ではない。


 今日はまっすぐ兄の部屋に向かおうと思っていたのだ。

 学校の怪異もあらかた退治し終えて、しばらくぶりの自由な放課後だ。


 あの無自覚に怪異を引き寄せる兄がまた妙なものにまとわりつかれていないかも心配だった。私が目を離している隙におかしなものが寄ってきていないだろうか……。


 兄は妹の私が守らなければならない。

 先を急がなければ。


 私は二人を無視して帰路につくことにした。



                  *



 ――それなのに。


「ついてこないでって言ってるじゃないですか」


 私は下校路を歩きながらため息を漏らす。

 今、私の後ろにはさっきの女子二人――敷手石詠宇と甘木詩華といったか――が、ぴったりとくっついてきていた。


「そうはいかない。こちとらようやっとつかんだチャンスなんだ」と、詠宇。

「そうね。今ならソシャゲガチャに明け暮れる廃課金者の気持ちが少しだけ分かる気がするわ」と、詩華。


 チャンス? ソシャゲガチャ?

 いったい何の話をしているのだろう。

 あまり身勝手な都合を押しつけないでいただきたい。


「……いい加減にしてもらえないでしょうか。私、このあと用事があるので」


 私は振り向くことなく拒絶の意を口にする。

 しかし私がどれだけ無視しても二人は諦める様子はない。

 このままでは兄のアパートまでついてきそうな勢いだった。


 それは困る。

 兄にも迷惑がかかるだろう。

 これだから他人とかかわったりするものじゃない。

 

 どうしたらいいのか……。


 ――と、そこで私は一考する。


 よし、こうなったら兄の部屋に行くのは後回しだ。

 まずはこの二人を撒くことを優先させるべきだろう。うん、そうしよう。

 兄のことは気がかりではあったが、私の平穏な生活のためには致し方ない。


 それに兄には今朝ちょうど、私が持っていた呼びかけの怪異を弾くまじないの札を、ある限り全部渡してきたばかりであった。

 あれだけの数があれば、もし複数の怪異が兄に寄り着くような事態があったとしても当面は乗り切ることができるはず。

 おかげで私の手持ちの魔除け道具は底をついてしまっていたが……。


 ともかくいまは二人を諦めさせることが先だ。

 そう思い直し、私は兄のアパートとは反対の方角へと進路を変えるのだった。



                  *



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