3.



 詠宇よう詩華しいかの二人から逃げ回っている間にも行く先々で怪異は降りかかってくる。


 多くの場合ただ厄介なだけの暮樫一族のこの体質だが……今回、私は


 あらためて自分の現状を確認する。


 手持ちの魔除けグッズは連日の〝学校の怪談〟撲滅活動でほぼ使い切っている。

 残っていた呼びかけ除けのお札も、今朝すべて兄に渡してしまった。


 いわば、今の私は怪異回避機能をオール解除した状態。

 つまりは、市中を跋扈ばっこする幽霊妖怪が好きなだけ近寄って来放題なのである。


 それは私自身のみならず周囲の人間にも被害が及ぶ恐れがあるわけで――。

 普段なら早急に道具を補充するなりして対策を講じるところを、今日はあえてそれを、


 私の後ろには女子二人組がまだついてきている。

 いかなる理由があるのかは知らないが、拒否してもついてくるというのならば相手方が堅持する「暮樫くれがし言鳥ことりにかかわりたい」という意志をどうにかしてくじいていくしかない。


 だから今この時間は、怪異のみなさんに存分に近寄ってきていただく。


 見たところあの二人は一般人。

 常日ごろ、まじないごとや霊能力とは縁遠い種類の人間のようだ。

 今は私の近くにいる影響で、軽度に〈視える〉ようにはなっているみたいだけれども……。


 ともあれ、いくら二人の諦めが悪かろうとも、幽霊や化け物が次から次へと現れるさまを目の当たりにすれば、遠からず嫌気がさして去っていくことだろう。


 そうなってくれれば、私の勝ちだ。


 ……うん、これでいこう。我ながら完璧な計画である。

 さすが私。

 こんな面倒事すぐに終わらせて、兄のもとへ行かなければ。



                  *



 方針を固めた私は、ただちに実行に移った。


 足取り確かに、近場にいくつか点在する「怪異が発生しやすいエリア」を目指して闊歩かっぽする。

 辻や境界、橋や史跡等、一般にが集まりがちな、いつもの私なら通るのを避けるような場所をこれ見よがしに狙って回る。


 ついでに脅威になりそうな奴を見つけては駆除していった。


 城址公園では襲いかかってきた鎧武者の霊を叩き潰し、坂を転がってきた大量のつちを蹴散らした。また神社の境内でうごめいていた怪しいお面の群れを撃ち払い、スクランブル交差点に立っていたなんかよく分からないぼうっとしたのを張っ倒し、繫華街の人混みで悪戯を繰り返す化け狸に苦言を呈した。

 大橋を渡った際、橋のたもとにたたずんでじっとこちらを見ていた人のかたちをした何かがいたが、私が睨み返すと一瞬びくっとしてから霧のように消えた。造作もない。


 しかし、これだけあからさまに怪異現場に当たっても、詠宇と詩華は諦めなかった。


 どういうことか。

 怪異を見せつけるだけでは足りないというのか。


 中心街の目ぼしい怪異スポットを回ってしまった私は、計画の版図を広げざるを得なかった。



                  *



 市の中央区域を離れ、繁華街を抜けて寺町に入る。

 町並みはビルに代わって瓦屋根の古い建物が多くなっていった。


 二人を撒こうとなるべく細く入り組んだ道を選ぶ。

 途中、自分でも歩いたことのないような狭い路地を何本も通った。


 そこでも、もちろん怪異に遭遇した。


 黒くうずくまる影のようなものや突然べろんと垂れ下がってくる布状のもの、進路正面に立ちふさがる頭部だけが際立って大きい坊主や家と家の隙間を無邪気に走り回る子鬼の類などを見かけたが、二人はそれらを見てもなお怖気おじけづく様子はなかった。そればかりか、それら怪異妖怪を追い払う私の行動を面白がって観察している節さえあった。ますます不愉快極まりない。


 住宅地を過ぎると次第にひと気も少なくなり、やがては田畑ばかりが目につくようになる。そのうち人の数だけでなく家屋自体が見えなくなっていく。


 気づけば私は町の外、山の入り口にまで来てしまっていた。



                  *



 日は大きく傾いていた。


 山裾に至る遊歩道は緩い傾斜でところどころに丸太の階段がしつらえられていたが、基本的に舗装はされておらず草木の茂る間に土と砂利の道が続いていた。


 私は何かに導かれるようにして山道へと足を踏み入れた。


 夕刻の山は暗い。

 取り囲むのは木々のざわめき。

 しっとりと湿しめり気を含んだ、冷えた空気が肌を撫でる。


 まだ市街地からそう離れてはいない。

 振り返れば街の明かりが見えるような距離だ。


 でも、未舗装の足元をじゃっじゃっと鳴らして歩いていると、このまま山の奥まで吸い込まれていってしまうのではないか――と、そんな感慨に陥る。幹線道路を行き交う自動車の音がずいぶんと遠くに感じられた。


 いくらなんでも、ここまで来ればあの二人も撒けただろう……。

 そう思って私は少しの安堵を覚えた。



                  *



 そのときだ。


 ――オォーイ。


 呼び声がした。


 ――オォーイ。オォーイ。


 間延びしたような、それでいてはっきりとした声だ。

 声はどうも私を呼んでいるらしい。


 ――オォーイ。オォーイ。

 ――オォォーイ……。

 ――きゃはははっ……。

 ――オォォォーイ……オォォイ……。

 ――きゃははははっ……。


 混じって、小さな子供の笑い声。

 つられて耳を澄ませると、何者かが私に語りかけてくる。


 ――あなた、お山に行きますか。

 ――あなた、お山に行きますか。


 その声は小さな鈴の音のように私の耳に優しく響いた。

 私はしばし軽やかな心地よさを感じた。


 しかしどうもおかしい。


 確かに耳に届いているのに、それがどの方向から発せられているのかが判然としないのだ。山の下のほうからするような気もするし、もっと上、山頂から呼んでいるような気もする――。



                  *



 そこではっとして思う。


 あの声にこたえてはいけない――。


 あれは人ならざるものの声だ。

 異界に通じる魔のもの――そう、

 まだ幼かった私たち兄妹を引き裂いたものたちの声――。


 ――あなたお山に行きますか。

 ――あなたお山に行きますか。


 やめて。

 私はどこにも行かない。

 行きたくない。

 私は耐え切れずに耳を押さえ、頭を伏せた。


 辺りはどんどん暗くなる。山の闇はいっそう濃くなり、自分が今どこに立っているのかも不鮮明になっていった。夕闇に紛れて高くて大きな何かが、いくつも並んで私を見下ろしているのが分かった。無数の声が私の頭上をぐるぐる回る。


 ――あなたお山に行きますか。

 ――使いの者が参りました。

 ――お迎えに上がりました。

 ――さあ、手を。

 ――さあ。


 やめて。

 やめてやめて。

 私にかかわらないで。

 もう私から奪わないで。

 私たち兄妹を、もう一人にしないで――!


 何かが私を引き込もうとしていた。

 しかし――、


「暮樫言鳥――っ!」


 寸前、誰かが私の名前を強く呼んだ。

 今度は人の声だった。



                  *



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